この件に関する資料を見つけて欲しいんだ。
依頼人の元を訪ねた二人は、一冊の本を例にこういったちょっとしたものでも構わないから研究のための資料探しを手伝って欲しいと頼まれた。十冊もあれば助かるという話した依頼人は、これから研究会があるからとこの広い図書室に二人を案内して早々に出掛けてしまった。
残された二人はといえば、平均身長は余裕であるはずの自分たちより遥かに上の方まである膨大な資料を見上げ、どちらともなく顔を見合わせた。
「この中から探すって、マジで言ってんのか」
「これだけあるから、俺たちを頼ってきたんだろ」
とても一人では探せない、探せるわけがない。そう判断したからこそ、遊撃士協会に依頼を出したのだ。分類ごとに分かれているようないないような本棚に、せめて使ったら元の場所に戻すべきだろうと二人が思ったのは言うまでもない。多分この辺にあるというような説明もされていないということは、本当にどこに何があるのか分からない状態なのだろう。
「しかし、よくもまあここまでぐちゃぐちゃにできたモンだよな……」
どこかのタイミングで綺麗に整頓しようと思わなかったのか。呆れるクロウに「とりあえず俺はこっちを探すから」とリィンは近くの本を手に取った。
そのままペラペラとページを捲り始める相棒にはあと溜め息を吐いたクロウも目の前の本に手を伸ばす。タイトルでも分かっていれば端から見ていけばいいけれど、全部広げていかなければならないとなると相当な時間が掛かるだろう。
(今すぐに二人で向かってくれ、と頼まれるわけか)
ここに来るまでは資料探しに朝から二人で向かうように言われた理由が分からなかった。そんなに大変なのかと考えながらやってきたのだが、その理由も今なら分かる。おそらく最初に依頼人から軽く話を聞いていたのだろう。
本を探す、のではなく本に載っている資料を探すのが目的だ。目次で分かればいいのだが、目次のないような本も多く結局は一つずつ確認していくしかない。確認するといっても量が量なだけに流し見をして次の本を手に取るが、一日掛かりでも二人でどこまで探すことができるのか。
パタン。一冊目を確認し終えたリィンは先程取った本の横にあった本を取る。たくさんの活字を追いながら目的のものを見逃さないように気を付けて一冊、また一冊と繰り返す。そうやって真剣に取り組んでいたリィンだったが。
パラパラ、パタン。パラパラ、パタン。
テンポよく聞こえてくる音が気にならなかったわけではない。それでも暫くは自分の作業を続けていたのだが、ポンポンと積み上げられていく本にとうとうリィンは声を上げた。
「…………クロウ」
「あ?」
パタン、と本を閉じて赤紫の瞳はリィンを映した。その本はまたクロウの隣にある本の山へと乗っけられる。本を取ってからここまで、一分も掛かっていない。一冊ずつ真剣に読んでいたら終わらないだろうが、それにしたって早すぎる。
「幾ら本が多いからって適当に読み流されても困るんだが」
「こんだけあるんだから読み流さなきゃやってらんねぇだろ」
「それにしたってもう少しちゃんと……」
そう言っている間にも新しい本を手にしたクロウはパラパラと勢いよくページを捲って本の山を三リジュほど高くした。
「…………聞いてるのか?」
あまりに早い一連の動作も気になるが、自分の話を聞いているのかも怪しいのではないかと思い始めたリィンが尋ねると「聞いてる聞いてる」と適当な返事がきて。
「クロウ」
「お、まずは一冊見つかったぜ」
「……は?」
自分の読んでいた本を閉じて一度注意をしようかと思った矢先のことだ。唐突な発言にリィンの口からは素っ頓狂な声が零れた。
するとクロウは「ほら」と持っていた本をリィンに見せた。そこには確かに、目的の資料について書かれたページがあった。
「適当に読み流しちゃいるが、それはお前も同じだろ。ただまあ、俺は割と読むのは得意なんだよ」
速読って知ってるか? とクロウは問うた。その言葉にリィンは資料から目を外して赤紫を見る。向けられた視線にクロウはふっと口角を持ち上げた。
「…………そういうのは先に言ってくれないか」
「わざわざ言うほどのことでもねぇだろ」
「言ってくれればこれはクロウに任せて他の依頼も引き受けられただろ」
「おい」
速読ができるとしてもこの量を一人では無理だろう、と突っ込むクロウに冗談だとリィンは笑った。
「でも、本当にクロウは何でもできるな」
「何でもってことはねぇけど、速読なら練習すりゃあ誰だってできるようになることだぜ」
そうなのかと聞いたリィンに速読は技術の一つだとクロウは話した。だから別に特別なことではないと言うけれど、誰にでもできることだとしても誰もが身に付けている技術ではない。そのことからやっぱり凄いなとリィンは純粋に思う。
「だが速読も善し悪しだぜ? 覚えておいて損はないだろうが普段は普通でいいだろ。そういう時は逆に意識しないと駄目なんだよな」
何気なく読み始めるとついページを丸ごと記憶してしまうのだとクロウは言う。速読のできないリィンにはいまいち分からないが、ゆっくり楽しみたくてもなかなかそうはいかないということらしい。
そういうこともあるんだなと思いながらリィンもまた資料探しを再開しようとしたところでふと、いつかの出来事が頭に浮かんだ。
「…………そういえばこの前、何を書いていたのかは見てないって言ってたけど」
あれは一週間ほど前のことだ。リィンが書き物をしていたところにクロウがやってきて、反射的に隠したそれをこの友人は見てないし一瞬だから分かるわけないだろう言っていた。しかし、速読というのは今クロウが言っていたように瞬間記憶でもある。ということはだ。
そこまで言ったところで「やべっ」と聞こえたかと思うとクロウはさっき見つけた本を別のところに置いてさっさと新しい本を手に取った。つまり、クロウにはあの一瞬で全て読めていたのだろう。はあ、と溜め息を吐いたリィンは再び本を置いた。
「……隠すようなことを書いていたわけじゃないし、気にしなくてもいいから」
「本当に、気にしなくてもいいのか?」
聞き返したクロウにリィンは数秒ほど間を開けながらも頷いた。それを見たクロウはパタン、と本を閉じてリィンを見る。
ぶつかる視線。その視線から先に逃げたのは青みがかった紫だった。
「それはともかく、今は依頼が先だ」
ほんのりと頬を染めながら言ったリィンに「つまり、依頼が終わったらいいんだな?」と尋ねるクロウはどこか楽しそうだ。
墓穴を掘った、のはどちらだったのか。まだ大量に残っている資料を前に二人は今度こそ資料探しを再開するのだった。
fin