コトリ。音がして顔を上げたら、赤紫の双眸とぶつかった。


「あんま難しい顔で読んでんなよ」


 言いながら置かれたのは赤いマグカップ。そのまま時計を確認してみると、最後に見た時刻より一時間半も経過していた。どうやらその間にクロウは洗い物だけではなく風呂まで済ませてしまったらしい。おそらくリィンが真剣に本を読んでいたために声を掛けないでくれたのだろう。


「ありがとう」

「しかし、よくこんなモン読む気になるよな」


 活字の羅列を覗いたクロウはすぐに本から目を離す。だが、この同居人はもっとややこしい文章をも読み解ける頭脳を持っているのだ。わざわざ読む気にならないだけであって、このくらいの本なら難なく読んでしまうだろう。
 読む気にならないのか、とっくに読んだことがあるのか。その点は分かりかねるけれど、と思いながら持ち上げたカップにあれ? とリィンは首を傾げた。


「頭を使ってる時は甘いモンがいいって言うだろ?」


 まあそこまで甘くもねぇけど、と言われて中を見てみると、そこには黒よりも白に近い茶色の飲み物が入っていた。家にあるものからしておそらくカフェオレだろう。
 こくり、一口飲んで広がったのはまろやかな甘み。美味しい、と自然に零れた感想にクロウはふっと微笑んだ。


「そりゃあよかった」

「何か特別なものを入れてるのか?」

「蜂蜜を少しな」


 やっぱりただのカフェオレではなかったかと思ったところでふと、リィンはクロウが手に持っている色違いのマグカップを見た。


「クロウが飲んでるのもカフェオレなのか?」

「それがどうかしたか?」

「いや、珍しいなと思って」


 リィンの分はカフェオレにするにしても自分の分は普通にコーヒーでもよかったはずだ。それなのにクロウが飲んでいるのもカフェオレだというのは少し意外だった。
 そう口にしたら、傾けたカップを降ろしたクロウは徐に手元へと視線を落とした。


「お前の分を作ったら懐かしくなってな。久し振りに飲みたくなったんだ」


 あたたかな色を浮かべた赤紫がカップを見つめる。その優しげな表情にあ、と思う。


「……そうか。クロウにとっては思い入れのある飲み物なんだな」

「んな大層なモンでもねぇけどな。祖父さんが飲んでたコーヒーを俺も飲んでみたいってワガママ言って、でもガキだった俺には苦くて結局飲めなかったから祖父さんがカフェオレにしてくれたんだ」


 美味しそうに飲んだり、食べたりしているのを見ると興味を惹かれる気持ちはリィンにも分かる。特に子供は好奇心が旺盛だ。リィン自身も経験はあるし、幼少期のクロウもそうだったのだろう。コーヒーを飲みたいとせがむ幼い友人を想像して、思わず笑みが零れた。


「それじゃあクロウがコーヒーを好きなのはお祖父さんの影響なんだな」

「かもな。だがお前だって似たようなもんだろ?」

「そうだな」


 ハーブを育てることが趣味の母が作ってくれた紅茶をリィンは幼い頃からよく飲んでいた。リィンがコーヒーより紅茶を好むのはそんな母の影響だった。


「でも、今はコーヒーも同じくらい好きだよ」


 元からコーヒーも嫌いだったわけではない。だけど今は、同じくらい好きといえる。それもやはり、リィンの身近にいる人がコーヒーを好んでいる影響だ。
 両手で包んだマグカップの中でカフェオレが揺れる様子を眺めながら、リィンの口元は自然と緩んでいた。


「いつの間にか、仕事先で買う紅茶もコーヒーも半分ずつ飲むようになったよな」


 初めのうちは試しに一杯飲んでみたいと貰う程度だった。それがいつからか、二人で一つの箱を開けるようになった。紅茶もコーヒーも、同じくらい飲みたいと思うようになったのは間違いなくこの同居人の影響だろう。そのお陰で二倍も三倍も、美味しいものを楽しめるようになったのは幸せなことだ。


「お前が好きだからな」


 すっと落とされた言葉に顔を上げる。見つけた紫色の瞳は優しい色を浮かべていた。じんわりと、あたたまるのは手に持ったカップだけが理由ではない。


「俺も、クロウが好きだよ」

「それじゃあ両想いだな」

「知ってるだろ」


 まあな、と言いながらカップを置いたクロウを見てリィンも本の横にカップを置いた。そうして触れ合った場所はさらに熱かった。










fin