そういや明日はリーヴスの方に行くんだけどよ、とARCUSに連絡があったのが昨晩のこと。それを聞いて約束を取り付けたのはリィンだったが、わざわざ連絡をくれたということは向こうも最初からそのつもりだったのだろう。
今日も一日を終えたリィンは早めに手を付けていた仕事を片付け、軽く校舎を見回ってから一足先に上がらせてもらった。そして約束をしていたリーヴスの宿酒場へと向かうとそこには既に約束の人物の姿があった。こちらに気が付いたらしい友人は軽く手を上げ、リィンもその席へと向かう。
「よう、お疲れさん」
「そっちもお疲れ様。早かったんだな」
「意外と早く片付いてな。お前こそ、もう少し掛かると思ったぜ」
「こっちも早めに仕事が終わるようにはしていたんだけど、トワ先輩に後は大丈夫だからって送り出されたんだ」
昼間、何か嬉しいことでもあったのかとトワに尋ねられたリィンはクロウが仕事でこちらに来ることと会う約束をしている話をした。すると「それなら今日は早めに上がってね」と笑顔で言われてしまい、放課後にも改めて声を掛けてくれたトワの厚意に甘えさせてもらうことにした。
成程なと納得したクロウはとりあえず何か頼むかとメニューを手渡した。それを受け取りながらテーブルの上にある皿を確認したリィンは適当に合いそうなものを注文する。そこへクロウもワインを追加する。
「もう飲めるんだろ?」
「飲めるけど、あまり強くはないから程々にしてくれ」
言えば分かったよとすぐに頷いてくれた。間もなくして運ばれてきたワインでまずは乾杯をする。酒の席としては何てことのないそれがどこか特別なように感じるのは、今こうしてテーブルを囲んでいる友人と酒を酌み交わせる日が来るとは思いもしなかったから。傾けたグラスから少しは飲み慣れてきたワインがゆっくりと喉を通り過ぎた。
「昔は誘っても全然乗ってくれなかったのにな」
こくんとワインを一口飲んだところで赤紫が楽しげにこちらを見つめていた。昔、という言葉が指している時期はすぐに思い当たった。
「あの頃はお互いまだ学生だっただろ」
「ちょっとくらい良いだろ。お前も固いよな」
固いとかいう以前に学生の飲酒は禁止されているのだが、それを言ったところでこの友人ならバレなければ大丈夫だとでも言うのだろう。それに対して駄目に決まっているだろうと言い返すようなやり取りはその昔にもしたことがある。
変わっていない、のは当たり前かと運ばれてきた料理にも手を伸ばす。人の性格なんてそう簡単に変わるものではない。先程クロウがリィンに言ったことといい、お互いに思ったことは同じかもしれない。
「そういやお前も二十歳か」
ぽつり。呟くような声に顔を上げると「今更だが今日は誕生日祝いに奢ってやるよ」とクロウは言った。誕生日なんてもう数ヶ月の前の話になるのだが「いーんだよ、祝ってねぇんだから」と目の前の友人はくいっとグラスを傾ける。それから奢ってもらえる時は奢られとけと続けた。その何ともクロウらしい言い分にリィンは小さく笑う。
「ありがとう。それじゃあ今日はご馳走になるよ」
「おーそうしろそうしろ。酒も幾らでも追加して良いからよ」
「いや、それは程々にして欲しいんだが」
クロウはお酒に強いのかと尋ねると「まあそれなりにはな」と返される。確かに弱そうにも見えないが、と思ったリィンはつい。
「そういえばクロウって…………」
今は何歳になるんだ――と思ったのだが、聞くべきことではないかとリィンは途中で言葉を止めた。しかし、何かを言い掛けられた方はその先が気になるだろう。クロウが「何だよ」と疑問を返すのは当然で、何でもないとはぐらかそうとするリィンを赤紫はじっと見つめた。
結局、リィンはその視線に耐え切れなかった。元はと言えば声に出してしまった自分が悪いのだ。仕方なく先程の言葉の続きを口にするとクロウはきょとんとした表情を浮かべた。
「知ってるだろ?」
「知ってるけど、その…………」
何というべきか。言葉に迷うリィンを見たクロウは少し考えるようにした後に「ああ」と何かに納得したように頷いた。
「書類上は今年で二十二」
「書類上……?」
最初に付けられた言葉を聞き返すとクロウはワインをこくりと飲んでからリィンを見た。
「肉体的には二十だろうな。誕生日が来れば二十一だが」
誕生日なんてもう関係ないような気もするけど、とリィンの質問の意図を読み取ったクロウが答えるのを聞いて「そうなのか……」とリィンは相槌を打った。
自分達が二歳差であることはリィンも当然知っていた。しかし、今のクロウの年齢が幾つになるのかは空白の一年半近くの時間によって定かではなかった。どちらにしても成人はしているのだから問題はないが、そう思った時にそれが疑問として頭の中に浮かび、思わず声に出してしまったのだ。
「つまり今は同い年だし、ミラに困った時は助けてくれよ?」
そして途中まで言い掛けてからいけないと思ったけれど、クロウはいつもの調子でミラの話を持ち出しては口角を持ち上げた。そんなクロウの態度にリィンは小さく息を吐き、口元を緩めた。
「同い年って、誕生日が来てないだけじゃないか」
「誕生日が来るまでは同い年だろ」
持つべきものは頼れる友人だよな、などと言い出した友は本当に相変わらずだ。先輩だった頃からミラを貸してくれと言っていたのだから同い年も何もないだろう。これが仮に年下になっていたとしても同じことを言われる気がする、というリィンの想像はおそらく間違いではないはずだ。可愛い後輩が困っているんだから、くらいのことは言いそうなものだ。
一つ差も二つ差もそこまで大きいわけではないけれど、やはりこの差は小さくない。もしもクロウが本当に同い年になっていたのだとしてもこの差が本当の意味でゼロにはならないのだろう。何となく、そんな気がした。
「それなら俺が困っていたらクロウもミラを貸してくれるのか?」
今は、同い年だというのなら。同じことはこちらにも言えるのではないかと問い掛けてみる。するとクロウは「まずお前がミラに困る状況が思いつかねぇ」と零した。だが、次の瞬間には「でもまあ、そん時は助けてやるよ」と言ってくれるのだ。ダチだしな、と言って。
「ただ俺も手持ちのミラがなかった時は一緒に世界の果てまで逃げるか」
そのまま冗談を口にする友人に「どうして踏み倒すことが前提なんだ」と尋ねると「二人で逃避行っつーのも悪くないと思ったんだがな」などと返って来た。
逃避行って……と呆れるリィンにクロウは笑う。お前となら結構楽しくやれそうなんだけどな、と。
「俺とお前なら大抵のことはどうにか出来るだろ」
「それはそうかもしれないが、そこまでしなくても他に何かあるだろう」
そうやって返したリィンに冗談だってと言ったクロウは相変わらず真面目だなと今度は口に出した。そもそもお前がミラに困る状況が思いつかねぇよと少し前の言葉を繰り返し、もしもの話だと念を押してから近くを通り掛かったデイジーに声を掛けてグラスを追加する。
「それとも、俺と一緒じゃ不安か?」
何があるか分からねぇもんな、というのはどこまでが冗談のつもりなのか。勿論全てが冗談であることは分かりきっている。その上で、ただの冗談にも聞こえなかったのはクロウという友人のことをリィンは知っているから。
「クロウと一緒で不安なことなんてないだろ」
くいっとこちらもまたグラスを傾けて言えば「へえ?」とクロウは楽しそうにこちらを見る。言わなくても分かっているだろう、と思うのだが。言わなければ伝わらないのではなく、言わせたいのか――と思ったところでリィンの思考が一瞬止まる。
何故、という疑問の答えはリィンの中にあるのか。それとも目の前の友人が持っているのか。その疑問について考えるよりも先にクロウは口を開いた。
「そりゃあまた、信頼されてるんだな」
「……信頼されていないと思われていたなら心外なんだが」
「いや、お前ならそう言ってくれると思ってたぜ」
掴みどころがないのは今に始まったことではない。しかし、クロウが何を言いたいのかがいまいち分からない。多分、何かを言おうとはしているのだろうけれど。
「…………本当、変わんねぇな」
小さな呟きは賑やかな店内であっという間に掻き消える。一瞬で消えた音に「え?」と疑問を返すと「本当に二人旅も楽しそうだったんだけどな」とはぐらかされた。いや。
「クロウ、どこかに行くのか?」
「ま、いずれはな。けどその前に野暮用があるんだが……時間があるならお前も付き合うか? ちっと遠出になるけどな」
遠出? そう聞き返したら列車なら移動だけで半日近くだと言われてリィンはその目的地を察した。ここから半日近く掛かる場所でクロウに縁がある場所が一つ、浮かんだ。
「……良いのか?」
「一人で行くのも退屈だしな。つってもそっちは色々と忙しいだろうし――」
「クロウが良いのなら、俺も一緒に行かせて欲しい」
真っ直ぐに赤紫を見て伝えるとクロウは小さく笑って「なら日にちはそっちに任せる」と言った。お前の方が忙しいだろうと言われたけれど、忙しいのはむしろクロウの方ではないかとリィンは思う。士官学院の教官であるリィンはある程度決まった休みがあるのに対し、クロウの休みは不定期である。
合わせるならこちらの方が良いと思ったのだが、付き合わせるのはこっちだから気にするなとクロウは意見を変えなかった。どちらかといえばこちらが付き合わせてもらうのだけれど。
「分かった。またARCUSで連絡する」
不定期だからこそ、こちらからある程度の日付を提案した方が良いのかもしれないと思うことにしてリィンはそれ以上言うのを止めた。このままやり取りを繰り返したところで終わりがないのは見えている。
おうと頷いたクロウはそれから「お、そうだ」と何かを取り出した。見覚えのあるその山は第Ⅱ分校でも多くの生徒が楽しみ、聞いた話によれば軍でも戦術性が高いと評判になっているというヴァンテージマスターズのカードだった。
「お前もやってるんだってな。せっかくなら付き合えよ」
「クロウもやってたのか」
「やってたっつーか、さっき噂に聞いてルールは覚えたってレベルだ。一応デッキは揃ってるから胸を貸して貰おうかと思ってな。それとも、こっちの方が良いか?」
そう言ってクロウが取り出したのはリィンにとっても馴染み深い柄のカードの山。かつてのトールズ士官学院、今の本校で流行っていたそれは。
「ブレード……!?」
「俺が勝ったら百ミラでどうよ?」
いきなり出された賭け事はお断りさせてもらったが、トリスタでは見慣れていたそれもこのリーヴスでは久しく見ていなかった。といってもリーヴスの街で見掛けなかっただけでブレードのカード自体はリィンも持っているのだが、対戦は暫くしていない。
それにしても次々とゲームが出てくるなとリィンは思う。先程の話からしてヴァンテージマスターズはこの街で仕入れたもののようだがブレードはわざわざ持ってきたのか。かくいうリィンも普段からそれらを持ち歩いているだけに人のことは言えないが、尋ねるとこっちは大抵持っていると言われた。やっぱりか、と思ったところでふと、思い出す。
「……そういえば、ブレードってジュライが発祥のカードゲームだったんだな」
「ん? ああ。そうらしいな」
俺としては昔から遊んでるカードゲームっつー印象だけどな、と赤紫の視線はテーブルの上のカードへと落ちる。トリスタでは色んな奴と対戦出来て楽しかったなと話すクロウの声はどことなく優しく聞こえた。
リィンの持っているそのカードは質屋で手に入れたものだが、確かあれも元を辿ればこの友人が流したものだった。そして分校の生徒であるスタークの持っていたトランプもクロウから貰った物だという話だったな――と思ったところでリィンはあることが頭に浮かんだ。
「ミラは賭けないけど、良かったら他のものを賭けて勝負してみないか?」
提案するとクロウは僅かに目を見張った。だがすぐに口の端を持ち上げて笑う。
「へえ? お前から賭け事なんて珍しいこともあるモンだな。一体何を賭けるつもりだ?」
「俺が勝ったらクロウの小さい頃の話が聞きたい」
例のトランプの一件で昔のクロウの話は興味があったのだが、どうせなら本人から聞いてみるのも良いかもしれない。賭け事が好きな友人ならこういった勝負にも乗ってくれるのではないかと。そう考えての発言にクロウは少ししてから「そういうことか」と何かに納得した風にリィンを見た。
「当然、お前も負けたら話してくれるんだろうな?」
「ああ。といっても大した話はないんだが」
「そりゃあお互い様だろ。けど、この俺様にカードゲームで勝てると思ってんのか?」
「ブレードなら誰かさんがコツを教えてくれたからな」
それに色んな人の対戦も重ねて腕もそれなりに上がっている。幼い頃からよく遊んでいたというクロウと比べればまだまだかもしれないが、対戦を重ねることで実力を付けてきたのはヴァンテージマスターズにしても同じ。そちらは経験値もリィンの方が上なはずだから勝負は分からない。ゲームの類が得意で頭の回転も速いこの友人相手に油断は出来ないだろうけれど。
「クク、面白いじゃねーか。なら早速試してみるか」
「望むところだ」
じゃあまずはブレードからいってみるかと懐かしのカードを手に取る。賑やかな店内でするブレードというのも懐かしいな、と思いながら頭に浮かんだのは二年前の春先の出来事。リィンが貰ったブレードのカードがこの先輩から回ってきたものだと知った頃のことだ。
思えば、クロウとブレードをするのは随分と久し振りだ。自分から持ち掛けた賭け事だが、それとは関係なくただこうしてクロウとまたブレードを出来ることが嬉しい。手札を眺めながらリィンは心の中で呟く。何て事のない日常をまたこの友人と過ごせるなんて夢みたいだ。でも、それは紛うことなき現実。
「俺の先攻だな」
行くぜ、と出されたカードに対抗する数字をリィンも自分の手札から一枚場に出す。そうして過ごす懐かしい時間はこれが最後ではない。一進一退の攻防を繰り広げながらする学生時代の思い出話も、勝負の結果によりお互いに明かす幼い頃の話も。これから何度でもする機会がある。勿論、ブレードにしてもヴァンテージマスターズにしても幾らでも対戦する機会があるのだろう。
それはもう懐かしい時間ではなく、大切な友と過ごす大切な時間。これからもずっと、続いていく時間。取り戻した平和と友との掛け替えのない未来。
懐かしい日々のその先に
広がる未来に友がいてくれることがこんなにも嬉しくて
まあ今はそれで良いか、とそんなリィンを見つめて友は思うのだ