秋も半ば、トリスタの街並みにも色鮮やかな紅葉が見られるようになった十月の最終日。今日も一日の授業を終えたとある学院生達は技術棟に集まっていた。


「そういえば今日はハロウィンだね」


 技術棟のテーブルを囲みながらそう話題を切り出したのはトワ。十月最後の日である今日は世間ではハロウィンという名のイベントが行われる。当然このトリスタも例外ではなく、ハロウィンの日には子供達が仮装をしてあのお決まりの台詞を言う。そして言われた方は微笑ましくお菓子を渡すのだ。


「つまり、今日は合法的に悪戯が出来る日だね」

「全然違げーよ」

「もう、アンちゃん……」

「アンはぶれないね」


 さらっと言ってのけるアンゼリカに三者三様の反応を返す。すぐに否定したクロウ、困ったように笑うトワ、軽く受け流すジョルジュ。アンゼリカも含めていつも通りの反応だ。
 お菓子をくれなければ悪戯をするぞ。ハロウィンはそんな意味合いの言葉を言ってお菓子を貰うイベントだ。確かにお菓子がなければ悪戯だと言ってはいるものの悪戯が主目的ではない。子供達の目的はお菓子を貰うこと。だからこの日は訪ねてくる子供達の為にお菓子を用意するのだ。決して合法的に悪戯をしても良い日というわけではない。


「お菓子か悪戯か選べってことなら悪戯を選ぶ子猫ちゃんがいるかもしれないだろう?」


 しかしアンゼリカは先程の台詞を訂正することなく、逆にこの二択で全員が全員お菓子を選ぶとは限らないと主張をし始めた。
 そんなヤツいねーだろ、と突っ込むのがやや遅れたのは一瞬コイツなら有り得るかもしれないと思ってしまったからだ。ジョルジュやトワも同じ心境だったのか、二人とも苦笑いを浮かべている。


「ただお菓子を貰うだけのイベントではつまらないじゃないか」

「まずハロウィンは子供のイベントだろーが」

「そうとは限らないさ。ハロウィンに仮装パーティを開くなんて話も珍しくない」


 どっちにしろ悪戯が目的のイベントではないなと言うクロウにつまらない男だなと返すアンゼリカ。君だってお菓子より悪戯が好みだろうと問われて一瞬言葉に詰まったのがいけなかった。ほらみろと言わんばかりの友人に「お前と一緒にするなよ」と今度こそクロウは否定する。


「お菓子より悪戯っつーのは分からなくもねぇが、俺は初めから悪戯を選ぶ物好きがいるなんて思ってねーよ」

「やっぱり悪戯の方が好みなんじゃないか」

「もう、クロウ君もアンちゃんもハロウィンは悪戯する日じゃないんだよ?」


 段々とハロウィンの方向性がおかしくなってきたところでトワが間に入る。彼女に同じ質問をしたならまず間違いなくお菓子を選ぶだろう。それは甘い物が好きなジョルジュにしても同じ。というより大抵の人間はお菓子を選ぶのではないだろうか。
 しかしお菓子がなければどの道悪戯ということになる。そこも含めてハロウィンだ。こういうのもハロウィンの楽しみの一つだと話すアンゼリカは徐に口角を持ち上げると。


「trick or treat. さあトワ、悪戯とお菓子とどちらにするんだい?」

「ええ……!?」


 突然例の言葉を投げ掛けられて驚くトワを見ているアンゼリカはとても楽しそうだ。今日はハロウィンなのだからこの台詞を口にするのも間違いではない。さっきも言ったようにハロウィンは子供のイベントというわけではないのだ。
 さて、トワはどちらを選ぶのか。えっととあたふたしながらポケットからキャンディを取り出したトワはそれをそのままアンゼリカの前に差し出した。


「ごめんね、アンちゃん」

「おや、フラれてしまったか」

「アン、ハロウィンを楽しむのも良いけど程々にね」

「分かっているよ」


 なあクロウと呼ばれて「何で俺に振るんだよ」と些か不機嫌そうな声が返る。注意するべきはクロウも同じだろうと言うアンゼリカにだからお前と一緒にするなよとクロウは先程と同じ言葉で返した。だがそれに対して君の方が実際に手を出しそうなものだろうと言えてしまうのがアンゼリカである。


「誰が誰に手を出すんだよ」

「あれ、言ってもいいのかい?」


 楽しげな視線を向けられたクロウは小さく舌打ちをして碧眼から逃げた。本当にこの女は、心の中で呟いたそれは勿論声に出さない。


「アン」

「分かってるって。意外と面白い反応が返ってくるからついね」


 案外分かりやすいよねと言われてクロウはほっとけとだけ言い返した。そんなことはないと否定したらまた面倒なことになりそうなものだ。余計なことは言わないに限ると判断したらしい友人の態度に「今年も教会に行くのかい?」と話を逸らしたのはジョルジュだ。


「うん、そのつもりだよ。良かったらみんなも一緒にどうかなって思ったんだけど」

「そうだね。せっかくだから僕も行こうかな」

「トワからの誘いを断る理由はないからね」


 やはりぶれないアンゼリカの発言にもうと笑いながら、黄緑色の瞳はもう一人の友人を伺うように見た。


「クロウ君はどうかな……?」

「ま、年に一度のイベントだしな。乗らない理由はねーだろ」


 クロウの言葉にトワは嬉しそうに笑う。やっぱりみんなで楽しみたい、三人に声を掛けた彼女はそんな風に思っているのだろう。トワの笑顔につられるように三人の口元にも笑みが浮かぶ。
 それじゃあ子供達に配る用のお菓子を用意してからまた待ち合わせよう。そう話して四人は一旦別れるのだった。



□ □ □



 お菓子を用意してトリスタの街に向かうと、そこには可愛らしいお化け達がいた。トリックオアトリートと元気な声で尋ねる子供達を微笑ましく見つめながら街の人逹はお菓子を配っているようだ。
 学院の前で合流した四人もそのまま教会へ向かい、そこで子供達とハロウィンを楽しんだ。わいわいと騒ぎながら、ありがとうとお礼を言って大きく手を振る子供達に手を振り返して歩くのは何百回と行き来している学院へと続く一本道。


「喜んで貰えて良かったな」

「うん。みんな楽しそうだったね」


 こんなにお菓子をもらったんだと見せてくれた子供達はとても嬉しそうだった。おおすげえなと言いながらちょっと分けてくれよと言ったクロウに子供からお菓子を取るんじゃないとアンゼリカ。外でも変わらないやり取りをしながら時間はあっという間に流れていった。


「トワはまだこの後仕事があるのか?」

「少しだけ。それだけは今月中に終わらせたくて」

「相変わらず忙しそうだな」


 子供達と別れ、学院に戻ろうとしたところで質屋に用事があると言ったアンゼリカとジョルジュとは教会の前で別れた。何でも導力バイクに使う部品を頼んでいたのだとか。あいつ等も相変わらずだよなと話したのはついさっきのことだ。


「クロウ君はまだ何か学院に用事があるの?」

「用事ってほどのことでもねーけどな」


 ちょっと図書館に用があると言えば、返却期限は守らないと駄目だと先に注意された。分かってるよと返しても「本当に?」と疑問系で返されるのは普段の行いのせいだろう。返却期限が切れているのにと溜め息を吐く司書のキャロルを見るとトワはクロウの友人として申し訳なくなるのだ。トワが気にすることではないとおそらく全員が言ってくれるだろうけれど。


「でも、みんなでハロウィンを楽しめるのは今年で最後だと思うとちょっと寂しいかな」


 二年生である自分達はおそらく来年はこの街にいないだろう。トリスタで三回目のハロウィンを迎えることはない。そう考えると少しばかり寂しさを覚える。
 去年と今年。トリスタでハロウィンを過ごしたのはたった二回だけれど、トワが誘った時にはみんな既にお菓子を準備していた。持ち歩いてはいなかったもののおそらく今年もそういう話になるんだろうなと全員が思っていたのだ。今は当たり前のように四人でいるけれど、来年にはそうでなくなっているなんて。卒業するのだから当然である反面、まだいまいち実感はわいてこない。


「別に会おうと思えばいつでも会えんだろ」


 今生の別れでもないんだから、そんな風に話すクロウにトワも「それもそうだね」と笑う。帝国は広いけれど会おうと思えばどうにでもなる。きっと誰かが今度みんなで集まろうと言えば断る者はいないだろう。


「明日からはクロウ君も二年生に戻るんだよね」

「おう。あとはこのまま単位さえ落とさなきゃ無事に卒業だな」


 本当にもうサボったりしないでよとトワは友人を気にかける。後輩逹のクラスで過ごす彼も楽しそうではあったけれどやはり友人としては一緒に卒業したい。
 そんなトワの心の声まで聞こえてしまったクロウは大丈夫だと笑う。後輩逹と過ごすのも悪くはなかったが元々留年にならない為に入ったⅦ組だ。クロウだってトワ逹と卒業したいと思っている。それに授業中に寝るのも駄目だからねととことん心配してくれる友人の為にも留年はとても出来ない。

 そうして他愛のない話をしながら歩いているとあっという間に図書館前の分かれ道まで着いた。生徒会室へ向かうトワとはここでお別れだ。
 わたしは生徒会室に戻るからと手を振る彼女を前にふと頭に浮かんだのは、数時間ほど前の友人の言葉。


「なあ、トワ」


 名前を呼ぶと進めようとした足を止めてトワが振り返る。一緒にするな、と否定をした言葉ではあるけれど今日は十月三十一日。おそらくこの士官学院の中でも何人もが口にしたであろうそれを投げ掛けたのに深い意味はない。


「trick or treat」


 尋ねたのは今日がハロウィンだからであってお菓子より悪戯を選ぶ可能性を考えて聞いたわけではない。どちらかといえばお菓子を貰えたらラッキーだなくらいの気持ちだ。
 だが、さっきのアンゼリカの発言のせいだろう。ええっと声を上げたトワは驚きと困惑が混ざったような表情を浮かべた。


「もう、ハロウィンは悪戯する日じゃないって言ったのに」

「俺は別に悪戯したいとは言ってないぜ?」


 まあ悪戯なら悪戯で良いとは思ってるけど、とは言わなかったがトワは好き好んで悪戯を選んだりはしないだろう。尤もそれはトワに限った話でもないのだが、お菓子とも悪戯とも答えないトワに「悪戯の方が良いのか?」と冗談で尋ねると「クロウ君はどんな悪戯をするつもりなの?」と少し強めの口調で聞き返される。
 これは完全にアンゼリカのあの発言のせいだろう。けどクロウもそれを思い出して尋ねたのだからトワのこの反応にどうこう言うことは出来ない。


「そりゃあ悪戯を選んだ時のお楽しみだろ?」


 先に言ったらつまらないと答えたクロウにトワは少しだけ考えるような素振りを見せる。
 だが、一応そういう反応をしたもののトワには初めから一つしか答えがなかった。


「……変なことは駄目だよ?」


 目を丸くさせた赤紫にお菓子はさっきみんなに配っちゃったからとトワは慌てて補足する。言われてみれば納得の理由だ。成程なと相槌を打ったクロウは徐に口角を持ち上げる。


「ちなみに、変なことってどんなことだ?」

「ええ……!? えっと、変なことは変なことだよ」


 全く答えになっていないそれにクロウは思わず喉を鳴らした。顔を赤くするあたり、トワが考えたことが何かはなんとなく想像出来る。


「まあ所詮は悪戯だからな」


 言うなり少しばかり屈んだクロウは、ちゅっと小さな音とともにトワの額に唇を落とした。


「ごちそーさん?」


 顔を更に赤くした彼女がこちらを見たところでクロウはそう言った。


「クロウ君……! そういうのは好きな人にやらないと駄目だよ」


 変なことは駄目だと言ったばかりだというのに、そう言いたげなトワにただの悪戯だろとクロウはそこを強調する。これはもう悪戯に入らないとはトワの言い分だ。クロウの言い分はといえば、口じゃないからセーフ。
 そういう問題じゃないと言う彼女にこれもハロウィンの一環だとクロウは主張を変えない。それに好きな人でなければ駄目だというのなら間違ってもいない。ぼそっと呟いた彼の言葉が聞こえてしまったトワはえっと小さく驚きの声を上げ、少々何かを考えた後にあの言葉を口にした。


「trick or treat」


 お決まりの台詞をトワに投げ掛けられてクロウは目をぱちくりとさせた。先程トワはお菓子を全て子供達に渡してしまったが為に悪戯を選ぶことになったわけだが、クロウがその問いをトワにしたのならその逆だって有りだろう。そう思ったトワは赤紫をじっと見つめた。
 だがクロウにしてもトワと同じくお菓子は子供達に渡してしまった。おそらくトワもそれは分かっているのだろう。ハロウィンは悪戯をするのが目的ではないと数時間前の技術棟で話していたというのに今はお菓子がないことを分かった上でお互いにあの台詞を口にしている。


「悪戯、って言ったらどうするつもりだ?」


 正しくはお菓子がないから悪戯の一択なのだが何とも不思議な状況である。これはやっぱりお菓子より悪戯じゃないかとアンゼリカに笑われても仕方がない。でもお菓子がないのだからそれこそ仕方がない。
 クロウの言葉に意を決したように赤紫を見上げたトワはぎゅっと彼の服を掴んで精一杯背伸びをした。引っ張られて僅かに腰を落としたクロウの頬にトワはそっと唇を寄せた。


「……こういうのは悪戯に入らないんじゃなかったのか?」

「悪戯に入るって言ったのはクロウ君だよ?」


 お互いの頬に朱色が乗る。それが夕日のせいだけでないことはどちらも分かっている。先に仕掛けたのはクロウだが、まさかトワにこんな仕返しをされるとは思わなかった。好きな人が相手でなければこういうことは駄目ではなかったのか、など今更聞くことでもないだろう。
 数秒ほどの沈黙の後、先に口を開いたのはクロウだった。


「それが悪戯に入るとして、悪戯で終わらないかもしれねーけど」


 良いのか、と聞かれてトワは思わず笑ってしまった。良くなかったらこんな悪戯はしないよ、と柔らかな声で話す彼女にそれもそうかとクロウの口元にも笑みが浮かぶ。


「でも、アンちゃんのこと言えなくなっちゃったね」

「お菓子がない状況で悪戯を選ぶしかなかったんだから同じとも言い切れねーだろ」


 そうかなと笑うトワは今度こそ生徒会室に行くからと学生会館に向かった。まだ話をしていたい気持ちもあるけれど、いつまでもそうしていたら今月中に片付けなければならない仕事が終わらなくなってしまう。それが分かっているトワも程々に頑張れよと彼女を見送った。
 本当はお菓子がなかったわけでもないんだけど。その事実はお互いの胸の内に秘められた。








さて、あなたはどちらを選ぶ?