もうすぐ隣国でお祭りが開かれる、そんな話題を耳にしたのはギルドへ依頼の報告に向かった時のことだ。今年で八回目になるそのお祭りは毎年賑わっており、近隣諸国からも多くの人が集まっているという。道端でそんな話をしていた奥様方も家族で行くつもりなのだと笑っていた。お祭りか開かれ、多くの観光客がやってくるのは経済的にも良いことだろう。そう思いながらギルドへ向かう足を再び動かす。
 マスターに依頼の報告を終えたら適当に近くの宿場町で宿を取る。この街にいる間暫く世話になる女将に挨拶をしてから部屋に通され、一先ず荷物を下ろす。それから新しく引き受けた依頼の相談をし、この地方の特産品をふんだんに使った夕食を楽しみ、広い浴場でゆっくりと汗を流す。そうやっていつも通りに過ごしながら、リィンはぼんやりと窓の外を眺めていた。


「どうした、考え事か?」


 突然降ってきた声に振り返れば、いつの間にか部屋に戻ってきたらしいクロウがそこに立っていた。その言葉に「ちょっとな」と返すと、クロウは少し考えるようにしてからリィンの向かいにある椅子へ腰を掛けた。


「何だ、可愛い女の子にでも声掛けられたのか?」

「そういうのじゃないから」

「じゃあ夕方の話を気にしてんのか」


 いつもの冗談をばっさりと切り捨てれば、今度は的確な指摘が飛んでくる。これでも二人は長い付き合いをしている。これくらいのことは想像に難くない。
 同時にそれは隠しても意味のないことであり、隠す必要もないことだろう。すぐに夕方の話だと分かる程度にはクロウもそのことを考えていたのだろうから。当たり前といえば当たり前でもあるのだが、それを知る人間は自分達を除けば他にいない。


「別に良いんじゃねーの」


 沈黙を先に破ったのはクロウだった。お祭りというのは平和だからこそ行われることだ。何年も続いているということは大勢の人がお祭りに協力し、みんながお祭りを楽しんでいる証である。


「今あの国は平和なんだろ。それなら俺達が気にすることなんてないと思うぜ」

「でも、クロウはここにいる」

「そりゃ俺がここにいたいからだ」


 それに俺一人でどうこうなる問題でもない、とはクロウの心の中だけで呟かれた。たかが子供一人――といっても今はもう成人しているが、自分がいるからといって何にもなりはしない。その為に生きてきたわけでもない。あんなことがなければ、そういう道に進んだ可能性もあったかもしれないが今となっては現実になることのない想像に過ぎないことだ。

 しかし、リィンはクロウのようには考えられなかった。だって国の人々は知らないのだ。クロウが、王子がこうして生き延びていたことを。

 確かに今のあの国も平和なのかもしれない。けれど、リィンにとってのあの国は隣の友人がいてこそだった。クロウと彼の祖父である親切な国王がいなければリィンはここにはいなかった。彼等が作ろうとしていた国こそがリィンにとってのあの国であって、今の国はそこからは掛け離れている。だから例え今あの国が平和だとしても素直にそれで良いとは思えなかった。
 そんなリィンの内心を知ってか知らずか、クロウは話を続ける。


「お前だって国の連中と争いたい訳じゃねーんだろ?」


 クロウの言葉にリィンも頷く。国が変わってしまったといってもそこで暮らす人々に罪はない。戦いになれば少なからず一般市民にも影響を与えることになる。何もリィンは戦いを望んでいるというわけではないのだ。ただそこにいるべき人がいなくなってしまった国を見ているのが辛いだけ。
 それを見たクロウは「なら良いじゃねーか」と笑う。リィンの気持ちはクロウにも分かっている。分かった上で話しているのだ。リィンの気持ちも自分の気持ちも、全部踏まえた上で。


「大体、俺が一国を纏められると思うか?」

「クロウなら出来そうな気がするけど」

「おいおい、本気で言ってんのか?」


 俺には絶対無理だと本人は言うが、これでも幼い頃は様々な分野の勉強をしていたことをリィンは知っている。何せいつもすぐ傍で見ていたのだ。そんなリィンが年を重ねるに連れて騎士としての勉強をするようになったのもごく自然なことだった。彼とその国を守るため、クロウも自分や国のために多くを学んだ。だからやろうと思って出来ないことではないのだろうが。


「まあ、クロウ一人に任せてたらギャンブル施設を増やしたりしそうだな」

「そこが盛り上がれば国だって潤うんだから悪いことではねーだろ」


 過去は過去。自分達は今もこうして生きており、それなりに楽しくやっている。祖国のことが気にならないといえば嘘になるが、国も自分達も上手くやっているのなら良いだろう。
 そんな風に話すクロウにあやかってリィンも冗談を口にする。クロウにリィンのことが分かるのならば逆もまた然り、実際こんなところでとやかく言ってもそれは机上の空論でしかない。もしもクロウにその気があるのならリィンはいつだって力を貸すけれど、国が平和である限り彼がそんなことを言わないことは分かりきっている。彼は今も祖国のことを大切に思っているから。逆にいえば、何かあればすぐにでもクロウは動くだろう。そして、それを行動に移せるだけの力を彼は持っている。


「とにかくだ。今は平和にやってるみたいだし、お前もそんな気にすんなよ」


 国も自分達もそれぞれ上手くやっているのなら、願うのはその平和がこの先も続いていくことぐらいだ。クロウ自身が気にしていないことをリィンが気にすることはない。それに。


「大事なモンはちゃんとここにあるしな」


 声を抑えて呟かれたそれも静かな部屋ではしっかりと向かいに座るリィンまで届いた。独り言ともとれるそれに「えっ?」とリィンが疑問の声を上げると、反応するように上へと向けられた赤紫の瞳とかち合い、次の瞬間には優しく細められた。


「お前だよ、リィン」


 大好きだった祖父をはじめ大勢の人間が亡くなった。クロウ自身も表向きはこの事件で命を落としたことになった為に国を出ることを余儀なくされ、一夜にして何もかもを失った。
 けれどたった一つ、弟同然のリィンだけは自分と一緒に連れ出すことが出来た。それも亡き祖父が自分達を逃がす算段を付けてくれたお陰だ。小さな手を引いて隠し通路を走り、そのまま人目につかない道を通りながら国を出た。何があってもこの手は離さない、そう強く思っていたことをクロウは今も覚えている。


「お前さえいてくれれば、俺はそれで良いんだ」

「クロウ……」


 大切なものを沢山失った。けれど一番大切にしていたものだけは守ることが出来た。その大切なものを失わないように、大切な弟を守る為にひたすらに生きてきた。そして今はお互いに支え合っている。それはこれからもずっと変わらない。守られるだけは嫌だ、というのは二人に共通している思いだ。弟だから、王子だから、そんな理由で守られるのは嫌だから一緒に戦うのだと決めたのはもう何年も前の話だ。


「……俺も、クロウが一緒ならそれで良い」


 たった一人の家族。クロウにとってのリィンも、リィンにとってのクロウも同じ。彼さえいてくれれば他に望むものなんてない。何か一つ望むとすれば、それは互いの幸せだけ。


「両思いか。嬉しいねぇ」

「ずっと前からそうだろ?」

「言うようになったな」


 クロウの冗談にリィンが乗り、二人で笑い合う。
 青と赤の紫がぶつかって、そのまま唇を寄せ合った。







ただそれだけで十分なんだ