「全く、お前は頑張りすぎなんだよ」
第三学生寮、二○一号室。
はあ、と溜め息を吐きながら呆れたようにクロウは言った。この部屋の主はといえば、クロウの前にあるベッドの上で横たわっている。
「別にそんなことはないと思うけど」
「いつも生徒会の手伝いしてる奴をどう見たらそうじゃないって言えるんだよ」
「それも俺がやりたくてやってることだし」
そう言ってごほごほと咳をした後輩にとにかく休めとはっきり口にする。強く言っておかなければすぐにでも無理をしそうだからだ。
というより、クロウが気付かなければ何事もないかのように今日一日を過ごしていてもおかしくなかったのではないかとさえ思う。自分の体調も気にせず無理をして、ではなく気付かずに過ごして無理をしていたのではないかと。
「つーか、少しは具合悪いとかなかったのかよ」
なかったんだろうなと思いつつも一応尋ねてみる。すると案の定なんともなかったと返ってくるのだからどうしようもない。いやでも思い返してみれば今朝はちょっとだけ、と続いた言葉にはやはり溜め息しか出なかった。
「体調管理も大事なことだろ」
「それはその……すまない」
クロウに謝ることはないのだが、体調管理を怠ったという点に関しては思うところもあるのだろう。軍人の卵である士官学院生である自分達は特に気を付けなければならないことの一つだ。
とはいえ、誰だって好きで風邪を引いたりはしないだろう。どんなに気を付けていても風邪を引いてしまうことだってあるし、風邪を引いてしまった今となってはそこを気にしても仕様がない。
「ま、今日は一日ゆっくり休め。寝てれば良くなるだろうしな」
体調が悪い時は体を休めることが一番だ。薬も飲んだことだし、後は睡眠をとれば自然と回復に向かうことだろう。
「んじゃ俺は行くけど、お前はちゃんと寝てろよ」
「その、迷惑を掛けて申し訳ない」
「バーカ。こういう時はありがとうって言えば良いんだよ」
言えば、一瞬驚いたような表情を見せながらも「ありがとう、クロウ」とリィンは口にした。それに短く返事をして、クロウはバタンと部屋の扉を閉めた。
元から騒がしいほどではない寮内だが、今日は特に静かだ。それもそのはず。今日は自由行動日で寮に残っている人間が殆ど居ないからである。
「さてと、どうするかな」
今日が自由行動日で良かったというべきか。逆にだからこそ風邪を引いている後輩に気付くのが遅くなったともいえるが、早めに気付いてやれて良かったと思う。
いつものように生徒会の手伝いで依頼をこなしていたリィンに偶然会わなかったら、今もこのトリスタのどこかを走り回っていたのかもしれない。流石に悪化してくれば気付くだろうが、早いうちに気付いた方が治す時間も短いし本人も楽だろう。
「とりあえず、残ってる依頼を片付けるか」
どこかいつもと違う気がして声を掛けて、それから熱があるんじゃないかという話になったのは二十分ほど前。気のせいだろうと言って残りの依頼をこなそうとする後輩を良いから来いと寮に連れ戻したのがその五分後くらいだろうか。そしてやっぱり熱があった後輩に寝ろと言って、でも残りの依頼があると言われたのを俺が代わりにやっておくからと説得したのはその更に十分後くらいだ。
(頑張りすぎなんだよな)
本人は否定していたけれど本当にそう思う。リィン自身は本人の言葉通り、特別頑張っているというつもりもないのだろうけれど。もっと息抜きをしながら過ごしても良いんじゃないかと思うことがある。
(それが悪いとは言わねぇけど)
時には休んだり、思いっきり遊んだりするべきではないだろうか。休める時に休むことだって大事なことだ。言えばこれも否定されそうなものだが、それはもう彼の性格なのだろう。
生徒会から受け取っている今日の分の依頼は残り二つ。早いとこ終わらせて寮に戻ろうとクロウは依頼主の元へ向かうのだった。
□ □ □
怪我をしても気付かないうちは痛みを感じない。けれど気付いた途端に痛みを感じるようになるということがある。リィンの風邪もそれと同じで、自覚した後から症状がより現れたような気がする。
「ん……」
重い瞼を持ち上げる。一体どれくらい寝ていたのだろうか。
今日もいつものように起きて、それからポストに入っている依頼を確認して第三学生寮を出た。クロウに会ったのは一つ目の依頼を終えたところで、時間的にはお昼ぐらいだったと思う。
「起きたか」
聞こえてきた声の方を向けば、赤紫の瞳と目が合った。まだ覚醒しきらない頭を動かしながらリィンはゆっくりと体を起こす。
「クロウ、どうしてここに……?」
「お前がちゃんと寝てるかと思ってな」
そんな心配をされるほど子供ではないのだが、大丈夫かと尋ねる声はとても優しかった。
いや、いつも飄々としているこの人が頼りになる先輩であることはとっくに知っている。単位が危なくなった為に今は同じクラスメイトでもあるが、以前から何かと気に掛けてくれる人だった。
「熱は下がったみたいだな。あ、残ってた依頼もちゃんと終わらせたから気にすんなよ」
「ああ、ありがとう」
「トワも心配してたぜ。あんま無理すんなって、伝言」
それで何か食べれそうなら食べた方が良いと思うんだけど、とどんどん話が進んでいく。残りもしっかり食べて薬を飲んで寝ろということらしい。
もう大丈夫そうではあるが、ここまできたらちゃんと休んで治しきってしまうべきだろう。リィンも素直にクロウの言葉に従うことにする。
(そういえば、いつからクロウはここに居たんだ?)
部屋に戻って来た後、クロウが出て行ったことまでは覚えている。それから先のことは寝ていたから分からなくて当然なのだが、夕食の時間的に気にして来てくれたのだろうか。
(それにこれも……)
夕飯にと渡されたそれは、明らかにシャロンが夕飯に用意したものとは違うと思われる。クロウがシャロンに頼んでくれたのか、それともクロウ自身が用意してくれたのか。ただ食べろと渡されただけにそこまでは分からないものの、このお粥が風邪を引いた自分の為に用意されたものであることくらいは分かる。
「よし、じゃあ後はぐっすり寝ておけよ」
お粥を食べ終え、薬を飲むところまで確認してから漸くクロウは立ち上がった。
何かあったら呼べよと言い残していく辺り、自分でも節介すぎるかと内心で苦笑いを零しながら足を進めようとした時。ぎゅっと服を掴まれたのに気が付いて立ち止まる。
「クロウ、その……」
真っ直ぐに向けられる青紫の双眸。何か言いたそうにしているその様子に、クロウは口角を持ち上げてわざとらしく尋ねた。
「何だ? 一人じゃ寂しくて眠れねぇのか?」
「そんな訳ないだろ。いや、そうじゃなくて」
本当に今日はありがとう、と真っ直ぐなお礼を告げられた。今日だけで何度目かになるそのお礼。自分の代わりに依頼を引き受けてくれたこと、こうして看病してくれたこと。
全く、そんなに言われるほどのことはしていないというのに。どちらかといえば俺がしたくて勝手にしたことなんだけどなと思いながら、クロウはリィンの頭にそっと手を乗せた。
「こういう時くらい素直に先輩を頼れよ」
ぽんぽんと頭に乗せた手を下ろすと、今度こそクロウは二○一号室を後にした。
その温かさに小さく笑みを浮かべて、リィンはまた体を横にする。ドアの前で暫し立ち止まっていたクロウもまた、微かに笑みを浮かべてゆっくりとその場を離れるのだった。
大きな手の温もり
その温かさにほっとして、気が付けばそこは夢の中