「リィンってクロウ先輩と付き合ってるの?」
「何で?」
唐突にクラスメイトに尋ねられたリィンは、頭に浮かんだ疑問をそのまま声に出していた。そんなリィンに「何でって……」と彼女たちは顔を見合わせた。
「クロウ先輩と仲いいじゃん」
「幼馴染みなだけだよ」
「幼馴染みと付き合ってる子もいるよ。それにほら、先輩ってカッコいいし!」
「まあ、カッコいいとは思うけど」
「ぶっちゃけ好きになったりしないの?」
好きか嫌いかと聞かれたら、好きだと答える。だけど彼女たちの言う“好き”はそういう意味の好きではないのだろう。
幼馴染みがカッコいいことはリィンも認めるが、それでいて誰とも付き合ったことがないことも事実だ。もしかしたらリィンが知らないだけで恋人がいたこともあるのかもしれないけれどおそらくないだろう。そういった話題になっても決まって彼女はいないと答えているから。
「幼馴染みとしては好きだけどそれだけだよ。でもどうして急にクロウの話?」
「後輩がクロウ先輩のことを好きだって言ってたんだけど、そういえばアンタたちって付き合ってたかなと思って」
えっ、と零れた声は教室の雑踏に消えた。よく一緒にいるからてっきり付き合っていると思っていたと話す友人の声がどこか遠くに聞こえた。
多分そのあとも何かしら話していたと思うけれどあまり覚えていない。
クラスメイトと恋愛の話になることは珍しくない。それなのにどうして、こんなにも心が乱れたのだろう。
「――――ン、おいリィン」
自分を呼ぶ声にはっとする。声のした方を振り向くと赤紫の双眸とぶつかった。
「ごめん、何の話だっけ?」
授業を終えた放課後。たまたま昇降口で会った幼馴染みと方向が同じだからと一緒に帰るのはよくあることだ。
今日も今から帰るのかとどちらともなく一緒に歩き始めた。だけど、もしもクロウに彼女ができたのなら今まで当たり前だったこういうことも当たり前ではなくなるのだろう。
「何かあったのか?」
それでも、自分たちが幼馴染みであることは変わらない。
そう結論づけたところで口を開く。
「何でもないよ」
「お前の何でもないは何かあるだろ」
「どうしてそうなるんだ」
「昔からそうだろ」
即答されて言葉に詰まる。そんなことはない、と言ったところでこの幼馴染み相手では意味がない。
「ま、言いたくないならいいけどな」
あんま考え過ぎんなよとだけクロウは言った。追求してこなかったのはリィンが誤魔化そうとしたからだろう。
聞いて欲しいなら聞くし、話したくないなら話さなくていい。昔からクロウはそうだ。時には踏み込んでくることもあるのだが、それは多分クロウの方が正解なのだろう。リィンも同じようにクロウから聞き出そうとすることがあるからなんとなく分かる。
「……そういえば、クロウに聞きたいことがあったんだけど」
別に隠すようなことはない。ただ、自分でも何と説明したらいいのか分からなかった。だから代わりの言葉を探して尋ねる。
「聞きたいこと?」
「クロウって付き合っている人とかいるのか?」
「……何で急にそんな話になるんだよ」
「いや、クラスの友達に聞かれたから」
正直に答えれば「あー」とクロウは納得したような声を出した。
理由もなく色恋の話を振るわけがないと思われているのはこれまでの付き合いからだろう。実際、自分たちの間でそういった話になる時はいつもクロウがきっかけだ。
「つーか、聞かなくても知ってるだろ」
「いないと思うとは答えたけど、幼馴染みだからって何でも知ってるわけでもないだろ?」
正確には聞かれた内容も答えたことも少し違う。しかし友人が聞きたかったことは同じだろう。
クロウの言うようにリィンはその答えを予想はしているが本人に確かめたわけではない。幼馴染みだからこそ他の友達より彼を知っているのは間違いないがそれだけだ。もちろん、逆もまた然りである。
「ならお前はどうなんだよ」
実は付き合っている相手がいるのか、と聞かれるのは予想の範疇だ。切り返す言葉はこれまで一度だって変わったことがない。
「いつも言ってるけどそういう相手はいないよ。俺のことより結局クロウはどうなんだ」
「もしそうなら幼馴染みとは帰ってねぇよ」
その言葉を聞いた瞬間、どうしてつきりと胸に小さな痛みが走ったのか。今までならそうかと頷いて終わる話だったのに、昼休みの話で変に意識してしまったせいだろうか。
ごく自然に考えられる可能性のひとつは昔からあったはずだ。そもそも、相手はただの幼馴染みで――。
「なあ。俺もお前に聞きたいことがあるんだけど」
呼びかけられて顔を上げる。何だ、と短く返せば夕焼けに染まった空を見つめながらクロウは続けた。
「もし告白されたら付き合う気はあるのか?」
「……クロウこそ急にどうしたんだ」
「深い意味はねぇよ。あくまで可能性の話」
そう言われても何と答えればいいのか。経験がないからこそ聞かれているのだろうが、考えたこともないというのが正直なところだ。
リィン自身は恋というものを漫画やドラマの世界でしか知らないから一般的な答えは分からない。だけど、あるかないかの二択で答えるとすれば。
「ないとは言わないけど……その時になってみないと分からない」
思い浮かんだままの答えを口にしたら「お前らしいな」とクロウは笑った。でもまあそうだよなと呟いた後に赤紫の双眸がこちらを映した。
「じゃあ考えてくれないか」
とくん。一際高く心臓が鳴った。向けられた視線に足が止まる。
何を、と思うだけで声にはならなかった。でもその答えはすぐに告げられた。
「好きだ。昔からずっと。これからも俺の隣にいて欲しい」
本気だと分かる。真っ直ぐな想い。
だけど同時に驚きと困惑が生まれる。だって、クロウは。
「一応言っておくが、お前の返事が何だろうと俺たちが幼馴染みであることは変わらない。だからそこは気にしなくていい」
まるで見透かしたかのように言われる。それでもクロウは変えたいと思ったから告げたのだろう。幼馴染みや友としてではない、その気持ちを。
「……どうして今なんだ?」
「伝わると思ったから」
どういう意味だろうと思ったところで「一人の男として、意識しただろ」とクロウは続けた。これ以上は何でと聞く意味がないかもしれない。昔から彼はよく見ているのだ。それこそ、リィン自身が気づかないことまで。
「幼馴染みだからじゃない。お前だから、一緒にいたい」
ひとつずつ、伝わる想いが胸に広がっていく。ドキドキと鼓動が早くなる。
「俺と付き合ってくれないか」
すっと手を伸ばされる。いつだってクロウはリィンの手を引いてキラキラした世界へと連れ出してくれた。そんな毎日が楽しくて、いつしか彼が隣にいることは当たり前になった。
時は流れ、高校生になった今は知識も交友関係もあの頃より随分と広がった。たくさんの選択肢が増えた中で、成長した彼はあの頃のようにその手をリィンの前に差し出す。特別だから、と。
薄く開きかけた唇を閉じる。ぎゅっと手に力がこもった。
「……俺は、クラスの友達やクロウみたいに恋愛のことは分からない」
「俺だってお前しか好きになったことがないからな。一緒に知っていけばいい」
「迷惑をかけるかもしれない」
「かければいいだろ。つーか迷惑なんて思わねぇよ」
「それはクロウが優しいから――」
「お前だからだ。言っただろ? ずっと前から好きだったって」
零れる不安が消されていく。柔らかな声色が大丈夫だと伝えてくる。
胸が、いっぱいになる。
「俺がお前の特別になりたいんだ」
だから考えてくれないかと彼は言う。今すぐじゃなくていい。どんな答えでも幼馴染みであることは変わらないから、と。
重力に従うように降りていく手を寸前で掴んだリィンは、ゆっくりと息を吸った。
「……俺で、よければ」
今出せる、精一杯の答えを伝える。
僅かに目を見張ったクロウは程なくしてそっと目を細めた。
「お前がいいんだよ」
ありがとなと手を握り返される。あの頃よりもずっと大きくなった手のひら。でも、そのあたたかさは変わっていなかった。
いつもの帰り道。そっと手を引かれて歩き出す。普段より会話は少なかったけれど、心はあふれるほどの想いで満たされていた。
幼馴染みと恋
一歩ずつ、二人で進んでいこう