「なあ、リィン君」


 猫なで声で呼ばれるのは何度目になるのだろうか。溜め息を飲み込むようにリィンはグラスを傾け、それから「何だ」と短く聞き返した。


「いつになったらお前は俺のことを好きになってくれるんだよ」

「いつになったらも何も、本気で思ってないだろ」


 失礼だなとクロウは言うけれど、顔を赤くして明らかにアルコールが回っている状態で言われたところで説得力の欠片もない。たとえこうして告白を聞くのが初めてではないとしても、これまでも何度も言われたそれは全て酒の席。ついでに言えばリィン以外にも言っているのを知っている。これでどうやって信じろというのか。


「俺は昔からリィン君一筋だぜ?」

「…………そうか」

「あ、信じてねぇだろ」


 他の奴等に聞いてみろというクロウの主張を実行したところでみんな困るだろうなとリィンは友人達の顔を思い浮かべる。今日一緒に飲んでいるのはリィン一人だが、みんなもクロウが酔うとどうなるかを知っているのだ。
 苦笑いをするか、呆れるか、知らないとばっさりと切り捨てるか。どれにしたってクロウの求める答えは得られないだろう。そもそもクロウが求める答えも酔っている今しか必要ないのだろうけれど。


「こんなに直球で伝えてんのに、何でお前には分かってもらえないんだろうな……」


 その理由はクロウが酔っているから以外にはないだろう。これが酔っていなければ、と考えてはみたがそれでも信じたかどうかは怪しい。クロウのことだから人のことをからかっているのではないかという疑問が出てきそうな気もする。
 そもそも、自分達はどちらも男だ。好きだと言われて信じろというのもなかなかに難しいのではないだろうか。別にそういったことに偏見があるわけではないが、普段から女好きを公言している相手に対してそうは思わないだろう。


(いや、女好きと言うほどではないか)


 学生時代、この学院の女子生徒は全員アンゼリカが目を付けたために男子生徒は悲しい思いをしたのだという話を聞かされたことがある。他にも普通にどの子が好みかと聞かれたり、誰か気になる女子はいないのかと色恋の話を振られたりはしているから女の子が好きだとは思う。
 でも、考えてみればクロウに彼女がいるという話は聞いたことがない。本人に言えばアンゼリカに取られたのだから当たり前だと言われそうなものだが、それ以降も全く女性の影は見られない。もしかしたら自分が気付いていないだけなのかもしれないけれど、一緒に暮らしていて気付かない……というのもクロウなら有り得るかもしれない。


「なあ。どうやったらお前は信じてくれんの?」

「……とりあえず酒の席で告白するのを止めたらどうだ」


 まずはそこからだろう。これでは何十回と告白されたところでとても信じられない。本気ではないこの告白のことをわざわざ指摘する必要はないのかもしれないけれど、どの道酒の席で告白をするのは相手がリィンに限らず止めておくべきだろう。


「酒の席じゃなかったら信じるのか?」

「少なくとも今よりは信じられる」


 ふーん、とまた一口クロウが酒を煽る。言った傍から飲むのか、とは思ったけれど言わなかった。既に酔っているのであればどちらにしても変わらない。後は飲み過ぎないでくれれば良いというのがリィンの本音だ。自分より幾らか体格の良いこの男を運ぶのは結構大変なのだ。


「つまり、酒が入ってなければキスしたりしても良いわけか」


 くいっ、とグラスを傾けたタイミングで聞こえてきたあまりに飛躍しすぎた発言にリィンは勢いよくむせた。ごほごほっと咳が止まらないリィンを「大丈夫か?」と心配する声は意外と冷静に聞こえた。


「大、丈夫だが。いきなり何を言い出すんだ」

「だってお前がそう言ったんだろ」

「言ってない」


 一体何をどう聞いたらそうなるのか。リィンには酔っぱらった友人の思考回路が全く分からなかった。酔っていなければ分かるのかといえばそうでもないけれど、少なくともここまで飛躍した発言が出てくることはないと思う。


「じゃあ何だよ。シラフだったら告白OKしてくれるっつー話?」

「……お酒が入っていなければ、告白も本気だと信じられるっていう話だろ」


 何故告白を信じられるかどうかという話が一つも二つも先へ行ってしまっているんだとリィンは頭を抱えたくなる。普段なら、とアルコールが入っているクロウに対して言っても仕方がない。しかし、だからといってここまで飛んだ思考になるものなのだろうか――というのは考えるだけ無駄だろう。
 リィンはお酒に強い方だが、先程のクロウの発言もあって酔いは完全に醒めてしまった。だがクロウの方はまだアルコールが抜けていないのだろう。はあ、とリィンの口からとうとう溜め息が零れ落ちる。


「クロウは彼女を作らないのか」


 問い掛けると赤紫の瞳がリィンを映した。それから「何で」と些か低い声で返される。不機嫌さを隠そうとしないのもやはりお酒のせいなのだろう。


「いつも俺に好きだって言うから」

「それはお前が好きだからだろ」


 好きだって言うから、彼女が欲しいのかと思ったんだと言い終えるよりも前に遮られた。


「別に彼女が欲しいわけじゃない。俺はお前が欲しいだけだ」


 そうクロウは言いきるけれど、それもお酒が入っているからこその発言だろうとリィンは判断した。そういうのは酔っていない時、好きな子に対して言ってあげれば良いのにと思いながら「そうか」と流したのはいつものことだった。
 何せ、次の日になればクロウは今日のことを殆ど覚えていない。そのこと自体は今のところ誰かに迷惑を掛けているわけでもないのだから構わない。ただ、初めにも答えたように信じられるかどうかでいえば信じられないというのが正直なところだ。


「……本当に、シラフの時に言ったら。信じるか?」


 やけに真剣な声で問われる。隣を見れば赤紫は真っ直ぐにリィンを見つめていた。その視線に思わず手が止まった。


「今よりは信じられる、けど」

「信じるのか? 俺が学生の頃から、お前と出会った時から好きだったって。酒のない場所で言ったら」

「え…………」


 学生の頃、俺と出会った時から?
 リィンはクロウが今し方口にした言葉を頭の中で復唱した。今までも好きだとは酒の席で何度も言われてきた。だけど、こんな風に好きだと伝えられたのは初めてだった。


「言っとくけどマジの話だからな。ま、お前は……お前じゃなくても普通は信じないが」

「ちょっと待ってくれ!」


 状況に付いていけないリィンを置いて話を進める目の前の友人に思わずストップを掛ける。


「その話、本当なのか……?」

「……本当だから、困ってんだろ」


 つまり、この話は事実らしい。もう長い付き合いになるけれど初めて聞いた話にリィンは驚きが隠せない。だけど、リィンが気になるのはそこだけではない。


「……もう一つ。クロウ、本当は酔ってないだろ」


 リィンが尋ねるとクロウは口角を持ち上げた。


「さあ。飲んでんだから酔ってはいるんじゃね?」


 ほんのりと染まった頬はまだアルコールが残っていることを表している。だがそれはリィンしたって同じことだ。そういえば、この友人は隠し事が上手いことを忘れていた。
 ――いや、正確には忘れてはいなかった。けれどここが酒の席だったから見事に騙された。酔った振りかどうかを確認する術などない。あれは全部演技、だったと、したら……。

 ぶわっとリィンの顔に一気に熱が集まる。
 だって、クロウの言葉が真実だとすればこれまでの告白は全部。それどころか。


「……信じてくれるか。俺が、酒の席以外で告白しても」


 信じて、その言葉を聞いてくれるか。
 ふっと微かな笑みを浮かべてクロウは問い掛けた。その声がやけにとても優しくて、リィンの心はとくんと音を鳴らす。僅かに視線を逸らしたのは反射だった。


「…………信じるも何も」


 今までのが全部クロウの演技だったというのなら、信じるしかないではないか。毎回毎回、飽きることなく好きだと言われ続けて。本気ではないと思っていた言葉が全て本気だったと知って、そんな目で見られたら。


「次はちゃんと伝えるから、覚悟しておけよ」


 そう言ってグラスに注がれていた残りの酒をクロウは一気に流し込んだ。そして。


「好きだ、リィン」


 ――誰よりも。何よりも。
 幾度と聞いて来たはずの言葉が色を変えた。そう感じたのはリィンだけで、クロウは初めからそういうつもりだったのだろう。でも、ここまではっきりと熱が込められていたのは初めてだ、と思う。

 とくんとまた一つ、心が騒ぐ。顔が赤いのはアルコールのせいか、それとも。
 分かっているかのような顔をした友人は「飲みすぎんなよ」と言って新たに酒を追加した。それはこっちの台詞だと、かろうじて返したら分かってるとクロウは口元を緩めた。








真実は全て隠して、今だけの愛を囁いて
(でも次は、包み隠さない愛を)