今日も一日の仕事を終えたトワは部屋で書類の整理をしていた。それが一段落つき、少し休憩でもしようかと思ったところでと不意に断片的な記憶が脳裏を過ぎった。


「え……」


 今の記憶は一体何なのか。
 夢か現実か。いや、現実だったのならどうして今自分はここにいるのか。かといって眠っていたわけでもないのに夢というのもおかしな話だ。
 何がどうなっているのか分からない。けれど、もし今の光景が現実になるのだとすれば何としてでも阻止しなければならないだろう。でも、どうやって?


「…………」


 ゆっくりと息を吸って、吐いて。とくとくと音を立てる心臓がいつもより五月蝿く聞こえるのはきっと気のせいではない。
 ポケットからXiphaを取り出したトワは見知った名前の一つを見つけてボタンを押した。一回、二回、電子的な音が鳴っている間も鼓動が早い。そして三回目の電子音の途中で通話が繋がる音がした。


『よう、どうした?』


 聞き慣れた声にほっとする。よかった、繋がった。そんな風に思ってしまったのは先程の光景が頭に残っているせいだろう。


「こんな時間にごめんね」

『別に構わねぇよ。それより何かあったか?』


 何か、あったのは間違いない。だけどこれをどうやって説明したらいいのだろうか。
 これから起こるかもしれないこと。ただの杞憂ならそれでいい。しかし本当に現実になったら、と考えるとこのまま何もせずにはいられない。


「クロウ君、反移民活動団体≪真なる憂士団≫って知ってる?」

『ああ、聞いたことくらいならあるが』

「そのことで少し調べてもらいたいことがあるんだけど……」


 そこで言葉を区切ったトワは、少しだけ考える。明日の朝までとなると今すぐに調べてもらわなければならない。もちろんトワ自身もできる範囲で調べるつもりではあるのだが。


『トワ?』


 クロウの声にはっとする。


「ごめん、やっぱりこの件はわたしの方で調べてみるから――」

『トワ』


 遮るようにもう一度名前を呼ばれてトワは言葉を止めた。その声色からクロウの言おうとすることは何となく分かった。


『何があったかは分からねぇが調べものなら協力する。それより、大丈夫か?』


 士官学院で出会ってから決して短くない付き合いをしてきた。トワがクロウの言おうとしたことを察したように、クロウもまたトワの様子がいつもと違うことに気づいたのだろう。


「……クロウ君に隠し事はできないね」

『ゼリカやジョルジュだって気づくだろうぜ』

「うん、そうだね」


 あの二人もまた、トワの小さな変化にも気づける大切な友人たちだ。もしも電話をかけていたらクロウのようにすぐに見破られていたことだろう。自分たちの間で隠し事は無意味だ。


「ちょっと不思議なことがあって」

『不思議なこと?』


 うん、と頷く。どうやって説明したものかと悩んだが上手い言葉が見つからず、結局さっき起こったことをそのまま話すことにした。
 夢を見ていたのかもしれない。だけど現実かもしれない、不思議な出来事。未来予知なんてできるわけがないけれど、しいて言い表すのならそれが一番近いだろうか。


「明日の朝、学校に≪真なる憂士団≫が現れる光景を見たの」

『そいつは……』

「自分でもおかしなことを言っているのは分かっているんだけど、もしもあの光景が本当だったらって思うと」


 生徒たちが危険にさらされてしまう。そして自分も命を落とす、のだろうか。それでも大事な生徒を守れたならよかったが、脳裏に過った光景ではその生徒の命も――。


『……この世界には俺たちの知らない不思議な力がたくさんある。お前が見たっていう光景もきっと何らかの意味があるんだろう』

「クロウ君……」

『だから俺の方でも調べてみる。お前は無理するな』

「ありがとう。でもわたしもできる限りのことはしたいの」


 どこまでできるかは分からない。それでも何もせずにはいられないから。
 そんな風に伝えればクロウははあと溜め息を吐いた。


『それでお前に何かあったら困るんだが』


 その言葉にきょとんとする。トワ自身に起こるかもしれないことはまだクロウに話していなかったはずだ。それなのにクロウはまるで何かがあるかのような言い方をする。


「えっと……」

『お前のことだ。生徒に何かあれば真っ先に行動に出るだろ』


 見事に言い当てられたトワは「あはは」と苦笑いを零す。
 でも生徒が第一なのは当たり前のことだ。そのように話せば、理屈は分かるが納得はできないと返ってきた。


『連中が動くなら今夜の可能性が高い。その辺も含めて俺の方で探ってみる』

「それならわたしも――」

『動くなら一人の方が都合がいいからな。お前は導力ネットを使って連中のことを調べておいてくれ』


 確かにクロウなら一人で任せても心配はいらないだろう。相手が武装していることを踏まえてもクロウが力量を見間違えることはない。
 それでも心配になってしまうのは友人として当然のことだ。けれど、クロウもトワのことを心配しているからこそこのように言ってくれているのだろう。そのことが分かるからトワも大人しく引き下がることにした。


「うん、わかった。ありがとう、クロウ君」

『礼を言うのはまだ早いだろ。ま、こっちのことは心配すんな』


 クロウならきっと大丈夫。そう思える友人が近くにいてくれることが心強い。
 そうと決まればトワは自分のやるべきことをやるだけだ。


『なあ』


 不意に呼びかけられて顔を上げる。音声通話だから互いに顔は見えないはずだけれど、それに合わせるようにクロウは言葉の続きを口にした。


『いい店を見つけたから今度どこかで会おうぜ』

「いいお店?」

『ああ。たまには息抜きも必要だろ?』


 こっちにきてから暫くバタバタしてたしな、とクロウは話す。どちらかというと忙しかったのはトワの方なのだが、ここのところ少しは落ち着いてきたからそれもいいかもしれない。
 何より、未来の約束というのが今のトワにはとても魅力的だった。共に明日を乗り越えよう。暗にそう言われている気がして心がほんのりとあたたかくなる。


「うん、そうだね」

『なら決まりだな。ちゃんと予定空けとけよ?』


 じゃあまた連絡すると言ってクロウは通話を切った。暫くXiphaを見つめていたトワもやがてそれをポケットにしまって自分のやるべきことをはじめた。







それは何てことのない
けれどかけがえのない未来への約束