静かな夜が過ぎ、また日が昇る。ぱちぱち、と瞬きを二回。そのまま窓の方へ視線を向けるとカーテンの隙間から僅かに太陽の光が差し込んでいた。


(朝、か……)


 今は何時だろう、と傍らに置いてある時計を見ると時刻は七時を指していた。早すぎず遅すぎず、といったところだろうか。早朝の鍛錬をする分には遅いが休日の朝であることを考えれば遅いこともない。
 現在時刻を確認したリィンの視線は次いで隣へと向かう。小さく呼吸を繰り返しながら微かに揺れる銀糸。時に自信有り気に、ある時は楽しげな色を浮かべ、優しげに細められる。そんな赤紫の瞳も今は瞼の奥に隠れている。同じ紫でも自分とは違う色をしたその瞳が見えないとどことなく幼くも見えるような気がする。


(……なんて言ったら怒られるか)


 いや、怒るというよりは寝てたってカッコいいだろうくらい言いそうなものだ。整った顔をしているから否定はできないが、世の中の女性がどんなに彼に惹かれようと無防備なこの表情を見ることは叶わない。そのことにちょっとした優越感を覚えるのは恋人の特権というやつだろう。
 軽く持ち上げた手でそっと、白銀に触れる。柔らかな銀糸を指に絡め、解いて。零れ落ちた髪の先を追い掛けるようにリィンの手はクロウの頬に触れた。


(あったかい)


 当たり前のことを感じて目を閉じる。その温もりがゆっくりと、リィンの心に熱を広げる。安心と喜び。手に伝わる熱は手のひらから、心から、じわじわと体全体へと広がっていく。
 何でもない当たり前は普通では考えられないような奇跡によって今、ここにある。一度は喪いかけた、何にも代えがたい存在。大切な仲間や家族、それ以上の――。


「くくっ……」


 ふと、殺しきれなかったと思われる声が耳に届いた。同時に伝わる微かな振動。ぱち、と目を開ければすぐ傍でクロウが肩を揺らしていた。


「……いつから起きてたんだ」

「今さっき、つーか何で起きないと思ったんだよ?」


 それを言われると返す言葉に困るが、寝ている振りをする必要はないだろう。はあ、とリィンが息を吐いた横でクロウはまだ笑っている。


「どうせならキスくらいしてくれても良かったのにな?」

「寝てるクロウにしてどうするんだ」

「なら今するか?」


 じ、と喜色を浮かべていた赤紫が熱を帯びた。口の端は持ち上げられ、半分くらいは挑発だったのかもしれない。
 残りの半分は――思いながらリィンは僅かに体を動かして一アージュにも満たない距離をゼロにする。触れた唇がかさついているのはお互い起きたばかりだから。けれど互いの熱に触れ、離れる頃には唇に仄かな潤いが残った。


「好きだよな、お前も」

「クロウも大概だろ」


 まあな、と伸ばされたクロウの左手がリィンの髪に触れる。上から下へ撫でるように動いたその手は最後にリィンの後頭部に向かい、流れるような動作で軽く引き寄せられた。
 それに逆らうことなく従えば再び二つの熱が混ざりあう。先程より長く、求めたのはどちらだろう。互いの熱を、相手の存在を。放したくない、離れたくない。正直どうしようもないなと思う。けれど求めた分だけ、それ以上に想い人は深い愛情を返してくれる。深みに嵌まってしまったのはもうとっくの昔の話だ。


「……さっきの」

「ん?」

「起きている時ならクロウも俺を求めてくれるだろ」

「とんでもない殺し文句だな」


 笑うクロウにリィンはむっとした表情で見つめる。それならクロウはどうなんだと、尋ねたら「俺か?」とクロウの瞳が真っ直ぐにリィンを捉えた。


「俺はお前のその目が見たい」


 俺のことが好きで堪らないという、その目が。
 そう言ったクロウの赤紫色の瞳から、奥にある隠しきれないほどの熱が交わった視線を通してリィンに流れ込む。どっちがだ、と思ったリィンもつい数分前にこの赤紫が見えないことを残念に思ったばかりだ。正直なところ気持ちは全く同じだった。けれどそれはクロウにしても同じなのだろう。


「リィン」


 聞き慣れた声が呼ぶ。溶けそうなほど甘い声で。ふっと細められた瞳にとくんと心臓が鳴る。
 二人きりの時にしか、外では絶対に見られない恋人の姿。自分しか知らない、知られたくない。そんな恋人にしか見せない自分も確かにあるのだ。そう、お互いに。


「まだ起きないのか?」


 目が覚めたというのにクロウは布団から出る気配がない。それどころかリィンを呼び寄せる。今日は休日なのだから急ぐ必要はないけれど。


「たまにはそんな日があっても良いだろ?」

「たまに、ではない気がするけど」

「まあ細かいことは良いじゃねーか」


 ほら、とクロウが呼ぶからリィンは元から少ない距離を更につめた。そしてぎゅっと、クロウの腕に包まれる。


「本当、あったかいよな」

「寝起きだからだろ」

「寝る時だってそうだぜ?」

「人を湯たんぽみたいに言わないでくれ」


 いいじゃねーか、湯たんぽ。クロウの言葉をリィンはよくないと否定する。温もりだけを求めるのならそれこそ湯たんぽでも用意すれば良いのだ。
 ――なんて言っても、本当に湯たんぽで満足されてしまったらそれはそれで複雑だ。けれど人を湯たんぽ扱いはどうかと思う。不機嫌さを隠さなかったリィンの声にすぐ横でまたクロウが笑う。


「やってることは変わらねぇと思うんだがな」

「ならクロウが湯たんぽになってくれ」

「寝起きならともかく、俺の体温じゃあまり意味なくね? まあリィン君がお望みなら」


 良いのか、と呆れるリィンに役得だろうとクロウはさらっと言う。けど、と続けた恋人は青紫を優しげに見つめた。


「お前が欲しいのは温もりだけじゃない気がするけどな?」

「……クロウには言われたくない」


 湯たんぽ扱いは不満だが、クロウの求めるあたたかさは理解しているつもりだ。おそらくクロウにしたってリィンの求めるものは分かりきっているのだろう。
 抱き締められたまま、そっと瞳を閉じる。とくん、とくんと耳に届きはじめる音。その音に安心し、時にそれをリィンが求めていることなどクロウにはお見通しに違いない。しかし、クロウだってこうしてリィンを求めるのだから自分達はきっと大差ないのだ。


「リィン」


 ゆっくり、顔を上げる。間もなくしてぶつかった赤紫にリィンは自然と口元を緩めた。


「好きだ、クロウ」


 求められたような気がしたからはっきりと言葉で伝えた。でも、それは正しかったのだろう。満足そうな顔をしたクロウは微かに腕に力を込めて柔らかな声で囁いた。


「愛してる」


 言葉が、想いが、熱が伝わる。それはとてもあたたかく、何にも代えがたい幸せだ。求めて、求められて。深い深い情に溺れそうだ。
 溺れれば良い、とクロウなら口角を持ち上げて笑うのだろう。けれど実際はとっくに溺れているのだからこのやり取り自体が無意味だ。そう思って、リィンもまたクロウの背中に回した手をぎゅっと強めた。そんな小さな動作にまた近くで恋人が笑った気がした。








いつの間にか二度寝をして
目を覚ますと愛しい色が真っ先に映った