突如、視界に広がった強い光に反射的に目を閉じた。
 時間にしたらほんの数秒ほど。それから徐々に光が収まっていく気配にゆっくりと瞼を持ち上げて、思わず声を漏らした。


「……は?」


 さっきまで遺跡にいたはずなのに目の前には多くの建物が並んでいる。その時点で既におかしいが、眼前に広がる見覚えのある景色が記憶の中のものと一致しないことに違和感を覚える。
 それはつまり、似たような別の場所だと考えるのが普通なのかもしれない。問題はこれが別の記憶とは一致することだ。


(いや、それこそ有り得ない)


 記憶というものは曖昧なものだ。似たような景色を見覚えのあるそれと同じだと錯覚しているだけだと思いながらも心臓がやけに五月蝿く感じる。
 落ち着け、と息を吐く。
 まずは状況を把握するべきだ。ここはどこなのか。原因はほぼ間違いなくあの光だろう。別の場所に移動したということは空間転移かはたまた幻か――幻にしてはやけにリアルだと思うが。

 辺りを見回して、止まる。
 程なくして地面を蹴ったのは反射だ。大通りを外れて進んだ先が人気のない小高い丘の上だったのは偶然ではない。ここならば誰もいないだろうと、知っていた。


「…………何がどうなってんだよ」


 はあ、と息を吐いて顔を上げた先にあるのはどこまでも続く青。有り得ないと思う反面で迷いなく目的地に辿り着いたことが自身の記憶との一致を証明している。


「本当、有り得ねぇだろ」


 もしも、仮に、この考えが正しいのだとすれば。移動したのは場所だけではない。例の光によって生み出された幻だと考えるのが一番現実的だろう。
 世の中には自分の知らない不可思議な力が存在することを踏まえて考えれば、絶対に有り得ないと言い切れないのが現実ではあるのだが。よりにもよって。


「道に迷われましたか?」


 耳に届いた声に思考が中断される。
 人気がない場所といっても誰もこないとは限らない。あまり人がこないだけでクロウもこの場所を知っていたし、偶然この場所を訪れる人もいるだろう。
 もっとも、この人がここへきたのは偶然ではないだろうけれど。


「……少し考えたいことがあって、静かな場所を探してたら偶然ここに辿り着いただけですよ」

「そうでしたか」


 もはやこれは必然というべきだろうか。偶然だと言葉を並べてはみたがとても偶然だとは思えない。夢か現実かは分からないがここまできたら覚悟を決めるしかない。


「心配してわざわざ追いかけてくれたんですか?」

「いえ、私も少し息抜きがしたくて足を運んだだけですよ」


 そして偶然にもこの場所で鉢合わせた、ということらしい。
 それがこちらへの気遣いであることは分かっているが、その気遣いが自分に向けられるのは新鮮な気がする。


「ここへはよくいらっしゃるんですか?」


 それ以上にこんな風に話すことが新鮮だなと思いながら頭を回転させる。いつまでも当たり障りのない会話を続けるというわけにはいかない。


「そうですね。たまにここから海を見たくなりまして」

「確かに、いい景色ですね」


 観光客と話したことはあるし、観光客の立場で話を聞くこともある。どちらかといえば得意分野ではあるのだが、いつものようにいかないのはこの状況のせいだ。どんな状況であっても臨機応変に対応すべきであることを考えれば、結局は言い訳に過ぎないが。


「そうだ。これも何かの縁ということで、もしよければひとつゲームに付き合っていただけませんか?」

「ゲーム?」


 唐突な提案に思わず聞き返すと「ええ」とさらに説明が続いた。


「コインが裏か表か。それを当てるだけの簡単なゲームです」

「それは――」

「勝った方が何でもひとつ、質問できるというのはどうでしょう?」


 振り向いた瞬間、目が合う。その人は柔らかな笑みを浮かべた。
 おすすめの場所はあるか、美味しい店を教えて欲しい。そのあたりがこちらの質問として無難なところか。向こうが聞きたいのはこの街の感想などだろうか。

 ただまあ、シンプルなゲームだとしてもそれが単純なものとは限らない。

 本当にただのゲームならば確率は五割。裏があるのなら勝敗は既に決まっている。
 それならば、とこちらがコインを投げることを提案したとしても目的は果たされるのかもしれない。つまり、何を選んだとしても結果は同じだ。


「……表」

「では、私は裏ですな」


 キン、と高い音とともに銀色のコインが宙を舞う。くるくると回転しながら重力に従って落下をはじめたコインはやがて手の甲へ着地する。
 仕掛けがあろうと勝者がどちらであろうと行き着くところはきっと変わらない。
 だからこの勝負は勝てるだろう。これを勝ちと言っていいかは分からないが選択を委ねられた理由は分かる。


「表。この勝負はそちらの勝ちのようですね」


 ここでどちらを選択したとしてもこちらの気持ちを尊重してくれるのだろう。
 もはやゲームではないがそれを承知で乗ったのだからお相子だ。少しは近づけているかと思ったがまだまだ遠いらしい。

 ゆっくりと息を吸って、吐いて。
 真っ直ぐにその瞳を見つめて口を開く。


「最初から気づいてただろ」


 夢か現実かさえ定かではない世界で分かっているのは、ここがかつてのジュライ市国であるということ。そして。


「確信はなかったがね」

「……本当かよ」

「質問には答える約束だろう」


 大きくなったな、と目を細めたこの人がジュライ市長――祖父であるということだけだ。


「他人の空似って考えるのが普通じゃねーの」


 この世界のクロウはまだ幼いはずだ。どんなに似ていたとしてもクロウがクロウであると分かるわけがない。
 普通――という定義もこの街を出て世界を知るにつれて難しくなったが、大多数の人間はそれを有り得ないと考えるだろう。クロウ自身もそう思った。それなのに何故、分かったのか。


「よく似ていたからな」

「似てるってだけなら違うかもしれないだろ」

「だから確信をしたのは直接話してからだ」

「特定できるようなことを言った覚えはねぇけど」

「言葉ではないからな」


 そう言って微笑む祖父の言いたいことは、なんとなく分かる。そもそも理屈ではないのだろう。


「……そういや何で追いかけてきたんだ?」


 一度質問したことではあるがさっきの答えはこちらに合わせただけのものだ。気になったから追いかけたのは間違いないだろうが。


「気になったから、では納得はできないか?」

「仕事中だろ。まあだからこそ怪しいヤツを放っておけなかったのかもしれねぇが」

「最初から怪しんではいなかったよ。放っておけなかったのは確かだが」


 どういう意味かと尋ねるよりも先に「肝心なことは言わないだろう」と祖父は続けた。
 誰が、なんてこの状況で考えるまでもない。でもそれは祖父がクロウに気づいていることが前提の話だ。街中で見かけた時点では確信は持っていなかったといっていたが、やはりその時点でほぼ確信はしていたのだろう。

 けれど、今回のことに関しては言わなかったのではなく言えなかっただけだ。
 クロウ自身も状況を理解できていなかったし、そもそも未来の人間である自分に話せることなんて――と考えていたところで頭に温もりが落ちる。


「詮索するつもりはないが、あまり一人で抱え込むものではない」


 ああ、駄目だ。昔からそうだった。本音を隠したところで結局はバレるのだ。
 何でいつも分かってしまうんだろうと思う反面で、それが嬉しいという気持ちもあった。今となっては懐かしい過去に過ぎないけれど、このあたたかさは偽物ではない。


「もうガキ扱いされるような年齢じゃねぇぜ?」

「幾つになっても可愛い孫に変わりはないさ」


 それはそうだが、と思ったところで視界の端でふわっと光が舞う。
 ひとつ、ふたつと増えていくその意味を理解するのに時間は要さなかった。


「どうやら時間のようだな」


 ふわふわと辺りに浮かぶ光は祖父の目にも映っているらしい。
 結局、この現象のことは分からないままだ。過去に飛ばされたわけも、その場所がジュライだったことも、そこで祖父に会ったことも。全ては偶然だったのか、それとも。


「クロウ」


 十数年振りに呼ばれた、名前。祖父にとっては何てことのない、けれどクロウにとっては二度と聞くことのないはずだった音に顔を上げる。


「世界は広い。時には困難にぶつかることもあるだろう。だが、真っ直ぐ自分の信じた道を進むといい」


 ここが過去のジュライであることは間違いないが、具体的にいつ頃なのかは分からない。当時のクロウが知らなかったことで祖父が知っていたことは多いだろう。
 しかし、未来のことは誰にも分からない。
 ジュライがこの先歩む未来も、クロウが選んでいく道も祖父は知らない。クロウ自身も当時はこのような未来を想像などしていなかった。今だってまさか、こんなことになるなんて思いもしなかった。自分の選んできた道に後悔はない、けれど。


「その道が正しいとは限らないんじゃねぇか」


 間違った道を歩いてきたつもりはない。たとえ過去に戻ったとしても同じ道を選ぶだろう。だが、これが祖父に胸を張れる道かと聞かれたら。


「でも選んだのだろう?」


 聞き返した祖父の瞳は真っ直ぐにクロウを映していた。


「正しいかどうかなど誰にも分からないことだ。だからお前自身が後悔しない道を選ぶといい」


 その道を信じているよ、と。
 優しい声音が胸に落ちて中心からじんわりと広がっていく。


(……敵わないな)


 いつの日か必ず乗り越えると思っていたけれど、その壁の高さを改めて実感した。
 だけど、諦めるつもりもない。師匠からそう教わったし、何よりもその師匠――祖父との約束を違える気はない。


「分かった。もう立ち止まらねぇよ」


 先に進むと決めたのはもっと前だが、祖父の前ではっきりと言い切る。この先もきっと様々なことが待ち受けているだろうけれど自分の道は決まっている。


「いつか、酒でも飲みながら話聞いてくれよ」

「もちろんだ。その日を楽しみにしているよ」


 光が満ちる。視界が白に埋め尽くされて思わず目を閉じた。

 話したいことはいくらでもあったけれどもう十分だ。
 次に目を開けた時には元の遺跡に戻っていた。軽く辺りを見回した限りでは変わったところはない。あれが夢だったのか幻だったのかは分からないけれど。


「とりあえず調査再開といくか」


 自分のやるべきことは変わらない。いつかくるその日に祖父と笑って話ができるように真っ直ぐ、前へと進んで行くだけだ。
 だから今は、見守っていて欲しい。心の中でそっと呟いて足を踏み出した。







懐かしい思い出を胸に明日へ向かう