『なあ、リィン! 今日は向こうの方に行ってみようぜ!』


 昔からずっと傍にいた幼馴染。いつだって俺の手を引いて、俺の知らないことを沢山教えてくれた。一緒にいることが当たり前で、そんな幼馴染のことが昔から大好きだった。


『幼馴染だから? まあそこは否定しねーが、その幼馴染を好きになるのは変か?』


 でも、その幼馴染は俺のことを好きだと言った。幼馴染としてでも、友達としてでもなく。そういう意味で好きなのだと言われて、今更だけど自分達の間にもそれは有り得るのだと気が付いた。
 だけど冷静に考えてみればそれはおかしな話ではない。幼馴染とだって普通に恋愛をしたり結婚をしたり出来るのだ。そもそも恋愛ということ自体を真剣に考えたこともなかったけれど、幼馴染に告白されてから俺は初めて“好き”の意味を考えるようになった。








 あの日、別れ際にクロウはいつも通りで良いのだと言った。今までと何も変わっていないという言葉は少し引っ掛かったが、本当にクロウは翌日も何事もなかったかのように普通に接してきた。気を遣ってくれた風でもなく、そこには昨日までの日常が変わらず広がっていた。
 しかし、クロウの告白を聞いたリィンはそのことを考えずにはいられなかった。ちゃんと考えるために返事を保留したのだから当然といえば当然だが、あまりに変わらない様子を見ているとあれは人をからかっただけではないのかとも思ったこともなかったわけじゃない。けれどすぐにそれはないかとクロウの顔を思い出しては否定し、そうして気が付けば一ヶ月という時間が流れていた。


「……クロウ」


 昇降口で鉢合わせ、そのまま一緒に帰るかという流れになるのはいつものこと。他愛のない話を繰り広げ、その話が一段落したところでリィンは幼馴染みの名前を呼ぶ。
 すると「どうした?」と聞き慣れた音が耳に届く。さっきまでと全く変わらない声音にリィンは開きかけた唇を一度閉じた。僅かな迷いに気が付いたのだろうか。クロウはぽんぽんとリィンの頭を優しく撫でた。それからもう一度「どうした?」と赤紫に見つめられたリィンはやがて自分にはないその色を見上げた。


「この前のこと、色々と考えたんだ」


 クロウの気持ちを知った。たったそれだけ、とはリィンには思えなかった。だから今までと何も変わらないわけがないとあの時のリィンは思った。
 それから毎日、変わらないように見える日常の中でリィンは幼馴染みのことを沢山考えた。長いこと一緒にいるけれど、これほどまで幼馴染みのことを考えたのは初めてかもしれない。そういう意味でクロウのことを真剣に考えたのも初めてだ。そう、この一ヶ月は初めてのことばかりだった。


「本当にクロウは俺が好き、なんだよな?」

「そうだな。俺は昔からお前が好きだ」

「昔から?」


 そういえばクロウはいつから自分に好意を抱いていたのか。告白された時はそれどころじゃなくて全く聞いていなかったなとリィンはあの日を思い出す。考えてみればどこが好きなのかさえ知らない。
 そう思っている間に聞き返した質問は昔からと繰り返すことで肯定された。そのままいつからなのかと尋ねたら初めて会った日だと答えられて青紫の瞳は真ん丸になった。それは今より十年以上も前、リィンがこの街に越してきた時の話になる。

 お隣へ挨拶に行く母にくっついてリィンが見たのは今までに見たこともないきらきらと輝く銀色。それから自分を映すその瞳は綺麗な赤紫色をしていた。
 正直にいえば、あの時のリィンは自分より一つ歳上だと紹介された男の子にびっくりした。目を奪われた、といっても良いのかもしれない。
 よろしくなと差し伸べられた手を戸惑いがちに握り返したあの帰り道。リィンは母に凄く綺麗な色だったと初めて会った男の子のことを話していた。その翌日、彼はまだこの街に来たばかりで何も知らなかったリィンを遊びに連れ出してくれた。クロウと親しくなったのはそれからすぐのことだ。


「つっても、最初は可愛い子だなとか仲良くなりてぇなって感じだったけどな。それが恋だって自覚したのはそれから少し後」


 あの頃からクロウは自分を好きだったなんて知らなかった。そもそもクロウが自分を好きだと知ったのも一ヶ月前だが――とそこまで考えてリィンは気が付いた。
 何も変わっていない。クロウが言ったそれに疑問を抱いていたリィンだが、あの時彼が言っていたのは自分自身のことだったのだ。その言葉通り、次の日もいつも通りだったのはクロウ自身は特別何かが変わったわけでもなかったから。勿論リィンに自分の気持ちを伝えることはしていたけれど、今はそれで良いと話した彼の日常はリィンほど大きく変わることはなかったのだろう。


「……それも昔の話なんだよな?」

「小学校に上がる前だしな。可愛くて、優しくて。素直で真っ直ぐなお前が好きになってた」


 その言葉にリィンの顔が熱くなる。こんなことを言われたのは生まれて初めてだ。告白をされたのも初めてだけれど、それを言ったらクロウはリィンの初めてを沢山共有してきた相手でもある。年上のこの幼馴染はリィンよりも多くのことを知っており、それは様々なことをリィンに教えてくれた。二人だけの秘密だと約束したそれは今でも大切にしている。
 リィンにとってクロウは大切で、特別な幼馴染。ただの友達ではない彼が大好きで、一緒に遊ぶ毎日が楽しかった。大きくなって学校に通うようになってからもその幼馴染と帰れる時は嬉しくて、でもそれはクロウが幼馴染だからだとずっと思っていた。だって、幼馴染は普通の友達と違うから。


「この一ヶ月、お前はどうだった?」


 色々と考えてくれたんだろ、とクロウは数分前にリィンが言ったことを口にする。ただの幼馴染ではなく、そういう意味で考えてみてどうだったのかと。
 聞かれたリィンは暫し視線を宙へ彷徨わせた。それからゆっくり、口を開く。


「…………クロウのことを考えると、胸がどきどきした」


 普通に声を掛けられてもやけに意識してしまって心臓が五月蝿かった。その度にクロウは小さく笑っていつも通りに話してくれた――と思う。
 笑うクロウはどこか嬉しそうにも見え、また赤紫に浮かぶ熱はいつからだったのか。隠していたのか、それとも言われるまで気付かなかっただけなのか。意識すればするだけ考えてしまって、時々苦しくなることもあった。それがどうしてなのか、リィンは一ヶ月という時間を掛けてゆっくりと自分の気持ちを紐解いていった。


「クロウは幼馴染みで、幼馴染みとしては勿論好きだ。けど、クロウが知らない誰かと結婚するのは何故か嫌だと思った」


 何もおかしくはないはずの未来予想図。でも、リィンはこれまでその未来を考えたことはなかったのだ。クロウは当たり前のように隣にいてくれたから。かといって自分がその相手になることも考えたことはなかったのだが、ただ漠然と一緒にいられるものだと思っていたのかもしれない。


「……幼馴染みって、昔から一緒にいる親しい友達だろ?」

「そうだな」

「幼馴染みっていうのはそれだけでも特別だけど……多分、クロウだから特別なんだ」


 幼稚園、小学校、中学校と同じだった友達はクロウの他にもいる。けれど幼馴染みと呼べるほど親しかったのは一つ上のクロウだけだった。また高校まで一緒なのもクロウだけ。尤も高校はその幼馴染みに誘われたことも進路を決めた一因だ。
 幼馴染み、という言葉が持つ意味。それは先程リィンが説明したように、幼い頃からの親しい友人であること以上の意味を本来は持たない。それ故に他の友人と違うのは間違っていないけれど、こうして悩んでいるうちにそれだけではないことにリィンは気が付いた。

 そう、幼馴染みだから特別なわけではなかったのだ。それがクロウだから。そこに含まれている感情は友達という言葉だけでは片付けられないのだと、自覚した。

 息を吸って、吐いて。見上げた赤紫に映るのは自分。どきどきと五月蝿い心臓の音を聞きながら、リィンは意を決して告げる。


「俺も、クロウが好きだ。だから」


 そこまで言ったリィンの唇にクロウの人差し指が触れる。


「まだちゃんと言ってなかったからな。その先は俺に言わせてくれ」


 言いながら赤紫は優しく細められた。クロウの指が離れ、開きかけた唇を閉じたリィンがその赤紫を見つめるとクロウはふっと口元を緩めた。


「好きだ、リィン。俺と付き合ってくれ」


 好きです。付き合ってください。
 文字で伝えられたそれを今度はクロウの言葉で告げられた。二度目の幼馴染からの告白。一度目はその言葉の意味に気付けず、意味を知ってからもあまりに突然のことに驚いてきちんと答えることは出来なかった。
 でも、今度はリィンもちゃんと答えることが出来る。幼馴染が、待っていてくれたから。


「……こちらこそ、よろしくお願いします」


 差し出した右手を見て小さく笑ったクロウはその手を自分の左手で掴むとそのまま指を絡ませた。それを見て思わず隣を見上げると「嫌か?」と幼馴染――恋人が聞いてくるから嫌なんて言えるわけもなく。
 そもそも嫌ではないのだけれど、恥ずかしいというのがリィンの本音だ。でも、たったそれだけのことでクロウはとても嬉しそうな顔をしていて、リィン自身も恥ずかしくもありながらその温もりが心地良いと思ってしまったから「嫌じゃない」と答えたら「そうか」と返すクロウはやっぱり嬉しそうで。

 恋人ならそれも良いか、とリィンは微笑みを浮かべてその手をそっと握り返した。



 好きの気持ちは一つではない。
 そしてその好きにはそういう意味も含まれていた。

 だから、今日からはただの幼馴染から恋人に一歩関係を進めよう。










fin