好きだ、と言われても返す言葉がなかった。裏切ると決めている時点で受け入れる選択肢はないだろう。余計に傷つけるくらいなら、初めから切り捨てる方がいい。
――そう、分かっていたのに。
勘違いだ、気の迷いだ、と言ったところで何度も首を横に振ったそいつは受け入れてくれなくてもいいと言った。迷惑をかけないから好きでいさせて欲しいと。
きっと、それも迷惑だと切り捨てるべきだったのだろう。
いや、切り捨てたところで何も変わらなかったのかもしれない。結局、正解なんて誰にも分からない。
そもそも正解なんて最初から存在しないのかもしれないが、少なくともこんな未来は想像していなかった。そう思いながら無数の星へ向けていた視線を目の前を歩く背中へ移した。
「しかし、お前も物好きだよな」
夜の海辺に自分たち以外の人影はない。二人分の足跡だけが砂浜に増えていく。
「こんな絶好のシチュエーションで女子を誘わないなんて勿体ないにもほどがあるだろ」
声をかければ喜んで付き合ってくれる女子は多いはずだ。それなのにどうして、わざわざ男を誘ってしまうのか。
「だから誘ったんだろ?」
返ってきた言葉に溜め息を吐く。だから、と返すなら相手が女子の場合だろう。
さーと音を立てた小波が、溜め息さえもさらっていった。
「あのな、人の話聞いてたか?」
「聞いてるよ」
「俺は女子って言ったんだが」
「つまりは好きな人ってことだろ」
さらっと言ってリィンは振り返った。立ち止まった友に合わせてこちらも足を止める。真っ直ぐな瞳は「何か間違っているか?」とでも言いたげだ。
間違いしかないだろう――と言いたいところだが、正直なんとなく分かってはいた。
ただ、分かっているのと納得しているのはイコールではない。誘いには乗ったけれど、それとこれは別問題だ。
「好きでいることは、許してくれただろ?」
こちらが口を開くより早くリィンは言った。口元に緩く弧を描いたその表情は、あの頃と比べれば随分と大人びたものだ。
「……あれは、お前が」
「分かってる。でも、俺の気持ちはあの頃からずっと変わっていない」
やめておけ、と。一度は断ったのだ。それでも好きだからと言われて、最終的にこっちが折れた。
要は好きにしろと諦めただけの話だが、裏を返せば肯定も否定もしなかった。
どうして唯一の好意を自分なんかに向けてしまったのか。呆れたものの嬉しかったのも事実だ。そんな資格なんてないのに。
「一緒にいたかったんだ、クロウと」
真っ直ぐなところは昔から変わらない。本当にどこまでも真っ直ぐで、時々眩しくなる。自分とは正反対で、だからこそ惹かれたのだろうか。
――いつの間にか惹かれていたから、理由なんてはっきりとは覚えてないけれど。変わらない熱にやっぱり呆れてしまう。
「相変わらず勿体ないヤツだな」
「そう思ってくれるなら、そろそろ聞かせてくれないか」
静かに通り過ぎる夜風が肌を撫でる。
それは微かな涼しさと潮の香りを同時に運んできた。
「クロウは俺のこと、どう思ってる?」
いつだったか。前にも似たようなことを聞かれた覚えがある。
告白された時ではない。好きでいることを許して欲しいという頼みを半ば諦めながら受け入れて、暫くした頃だろうか。
「どうもこうも今言っただろ。物好きでどうしようもないヤツってな」
当時も多分、似たようなことを返したと思う。受け入れてもらえることだけで満足していた後輩はそれ以上を求めることはしなかった。
似たような質問なのに、今求められているのは違うと分かってしまうのは何故だろう。案の定、気づかない振りさえリィンは許してくれなかった。
「本気で答えてくれ」
「答えてるだろ」
「知りたいんだ」
真剣な色を浮かべた青紫の瞳がクロウを映す。
変わっていない、なんてよく言えたものだ。それでも同じだと主張するつもりなのか。流れた年月だけが理由ではないことくらい、薄々分かっている。
「……嘘は言ってねぇんだから、いいだろ」
クロウが今ここにいるのは、ほんの僅かなボーナスステージに過ぎない。先がないと分かっていて言えることなどない。
何を言ったとしても傷しか残せないのなら、言わない方がいい。結局、あの頃と結論は何も変わらない。それなのに、目の前の青年は緩やかに首を横に振った。
「もう、後悔はしたくないんだ」
後悔なんてしなくていい。いっそのこと忘れてしまえばいいのに、不器用な彼にはできないのだろう。それはもう、十分過ぎるほど知っていた。
「最後かもしれないんだ、俺も。だから」
嘆願されて、心が揺らぐ。
最後だとしても、言わないままでいた方がいいことだってある。そもそも。
「……仮に別の答えがあったとして、だ。それがお前の望むものとは限らないだろ」
「それでもいい」
即答されて言葉に詰まる。
消せない過去、先のない未来。様々なことが頭の中を駆け巡る。たとえ何度やり直せたとしても過去を変えるつもりなどないが。
クロウ、と名前を呼ばれる。
――結局、俺はコイツに甘い。
「…………後悔しないんだな」
甘ったれ、と言いながらも他人に頼ることをしないこの後輩が、自分にだけ甘えてくれることが嬉しいのだからどうしようもない。これも惚れた弱みだろうか。
諦めと覚悟が混ざった息を吐き出し、ゆっくりと下ろした瞼を持ち上げる。
波の音が小さく離れていく。それから静かに告げた。
「好きだ」
一生、伝えることのないはずだった想いが零れ落ちる。たった三文字の言葉にリィンは緩やかに目を細めた。
あまりにも嬉しそうな表情に、心臓がひとつ跳ねた。同時に、じんわりと胸の奥が熱くなるのが分かる。本当にもう、どうしようもない。
「……ありがとう、クロウ」
「礼を言われることはしてないだろ」
「すごく嬉しいんだ。だから、ありがとう」
遠のいていた波の音が不意に大きくなる。その音を聞いていると、遠い記憶が呼び起こされる。あの場所に全部捨ててきたはずなのに、どうしてこうなってしまったのか。
こんなはずじゃなかったと思うのも何度目だろう。捨てたつもりで捨て切れていなかったのか、どこかの誰かが捨てさせてくれなかったのか。もしくは、その両方か。
「満足したのかよ」
「ああ。これでもう、思い残すことはないな」
「……本気でそう思ってるか?」
え、と首を傾げたリィンの胸元を掴む。
ほんの一瞬触れただけで、青紫の瞳が大きく開かれた。
「お前が言い出したんだ。責任取れよ」
そう言って小さく笑みを浮かべる。
勝手を言っているのは百も承知だが、一度声に出してしまったのだ。少しくらい欲を出してもいいだろう。それこそ、思い残すことのないように。
そんなことを言える立場ではないけれど、それでも手を伸ばしてきたのはリィンの方だ。最後くらい、その手を握り返すのも悪くないと思った。
「責任、取ってもいいのか?」
「その気がないのに言わせたのかよ」
「そうじゃなくて……いや、分かったよ」
頬にリィンの手が触れたところで目を閉じる。
程なくして、唇に柔らかいものが重なった。あたたかなものが胸に満ちる感覚に、少し前にリィンが言ったことの意味も理解した。
とはいえ、コイツまで連れて行く気はない。だからせめて、今だけは。
「馬鹿なこと考えるなよ」
そっと離れたところでリィンが言う。
どうして分かってしまうのか、なんて考えるだけきっと無駄だろう。
「何のことだよ?」
「責任は取るって言っただろ」
「別にお前のことは昔から疑ってねぇよ」
ぱちりと目を瞬かせたリィンは「それなら最初からそう言って欲しかった」と眉尻を下げた。それはどうしたってできない相談だったと、それらが過去となった今は分かっているだろう。
その代わり「今からじゃ遅いのか?」と問いかければすぐに否定が返ってくる。大人になっても分かりやすいことだ。
「そろそろ戻ろうぜ」
今度はこちらが先に歩き始める。ああと頷いたリィンは早歩きで距離を詰めて隣に並んだ。二人分の足跡が同時に砂浜へ増えていく。
遠くない未来に、終わりは必ずやってくる。
だけど、今はただ。この穏やかな時間が少しでも長く続いたら――と、心からそう願った。
捨てきれなかったもの
諦め切れなかったのはどちらだったのか
(……多分、どっちもだろう)