一通りの依頼を終えて第三学生寮に戻ると「よう、お疲れ」と先に戻っていたクラスメイトに迎えられた。八月の半ばにⅦ組へと編入してきたこの先輩はすっかりこの第三学生寮に馴染んでいた。


「クロウ先輩、戻っていたんですね」

「少し前にな。他の奴等はまだみたいだぜ」


 そうですかとリィンは相槌を打ちながら近くの時計に目を向ける。現在の時刻は午後四時手前、部活動を行っている者も遊びに出掛けている者も寮に戻ってくるのはもう少し先だろう。リィンも今日は早めに生徒会の手伝いが終わったがいつもなら大体それくらいの時間になる。


「今日もまた忙しそうにしてたな」

「見てたんですか?」

「見てたっつーか、あんだけ学院とトリスタを行き来してりゃ見掛けるだろ」


 学院生やトリスタの住人に今日彼を見掛けたかと質問したならそれなりにYESという回答を得られることだろう。クロウもリィンをキルシェで街の子供達と遊んでいる時にちらっと見掛けたのだ。相変わらずだなと思っていたところでミラーを出されて見事に逆転されたりもしたが、その後で街中をぶらぶらしていた時にも見慣れた深紅の制服が目に飛び込んできた。頑張り屋の生徒会長も含めて彼等はトリスタで見掛けることの多い人物トップテンに入りそうなものだ。


「手伝いも良いけど、自由行動日なんだから自分のやりたいこともしろよ」

「俺は部活にも入っていないですし、生徒会の手伝いをするのもやりがいがありますから」


 それとこれとは違わないかと問えば、それに自分の時間もあるから大丈夫ですと返された。いやだからと否定しかけたクロウは結局全て溜め息と一緒に吐き出した。この後輩もあの生徒会長も本気でそう思っているタイプの人間なのだ。部活動に所属していないのはクロウも同じだが、言ったところで返ってくる答えは想像出来る。どうせ暇だからとか手が空いているのならとかそんなところだろう。
 別にそれが悪いとは言わないけれど、こういうタイプの人間は周りが見ていないと頑張りすぎることも少なくない。自己管理が出来ないとは思っていないが、第三者から見ると少しは休憩もしろよと言いたくなるくらいではある。さてどうしたものかと考えたクロウはふとあることを思い付く。


「そういや知ってるか? ハグするとストレスが三分の一になるらしいぜ?」


 いつだったか、本か何かで見た知識を披露するとリィンはへえと感嘆を溢した。そんな後輩にクロウは口角を持ち上げる。


「だから疲れてる時は気になる女子にハグしてもらえよ?」

「どうしてそうなるんですか……」


 呆れるリィンに相手もストレスが減るんだからWin-Winの関係だろうとクロウは当然のように言う。しかしその理由を言って抱き締めさせて欲しいと話したところで何人の女子が了承してくれるのか。普通に断られるだろうと思ったリィンは間違っていないだろう。
 いいから気になる女子に頼んでみろよと言ってくる先輩、現在は同輩でもあるその人にリィンはまずそういう相手もいないからと断る。女子の胸に飛び込める大義名分だろうなどと言い出したクラスメイトにそれは失礼だろうとリィンが真っ当に返せば「つれねーな」と零されたが、アリサ達が聞いたら絶対に怒るだろうなとリィンは苦笑いを浮かべた。


「しゃあねぇな」


 リィンが乗らないと分かったクロウは溜め息混じりにそう言って「ほら」と両手を広げた。だがリィンはその意味が分からずに首を傾げる。


「仕方ねぇから優しい先輩が胸を貸してやるよ」


 これなら遠慮することもねーだろとクロウが言う。つまり、女子の元へ行かないのならここでハグをしようという話らしい。
 漸く状況が飲み込めたリィンだが、異性でなくともいきなりハグをしようと言われてどうしたら良いものか。いきなりといってもその理由は先程聞いたばかりとはいえ、まさかこういう話になるとは思っていなかった。


「えっと……そもそもそんなにストレスなんて溜まっていないと思うんですけど」

「分かってねぇな。そう思ってるだけで実際はストレスが溜まってるもんなんだよ」


 でも、と言い掛けたリィンにいいからとクロウはその腕を引いた。突然強い力で引っ張られたことでバランスを崩したリィンは、結果的にそのままクロウの胸に飛び込む形となった。そしてクロウはリィンが逃げないようにと素早くその背中に腕を回した。


「ク、クロウ先輩……!」

「どうだ、少しはストレスが減りそうか?」

「いや、それは分からないっていうか――」

「ついでだから訂正しとくが、今は先輩じゃねーからな?」


 とうとう指摘されてリィンは言葉に詰まる。そんな後輩――同輩にクロウは楽しそうに笑いながら腕の中のリィンを見る。


「あの、クロウせ……」

「クロウ」

「…………クロウ、俺は本当に」

「大丈夫っていうヤツほど大丈夫じゃねーんだよ」


 遮るように言われてリィンは開いたままの唇を閉じた。それから青紫の瞳は右へ左へ移動する。どうしたら良いのか戸惑っている、といったところだろうか。


「あんま難しいことをごちゃごちゃ考えんなよ。人間っつーのは誰しも休息が必要なもんだからな」


 当たり前といえば当たり前だ。導力機器にしたって定期的なメンテナンスが必要なのだ。人間にだって当然休息は必要なものである。それがいつどれくらい必要かというのは人によって違うだろうが、こうして休息を取ることにあれこれ考える必要は全くない。休憩くらいいつでも取れる時に取っておけば良いのだ。これもその内の一つ、その程度の認識で良いとクロウは腕の中の青紫を見た。


「つーか、たまには素直に甘えとけ」


 甘えろといきなり言われても正直困ったリィンだが、それを見たクロウは「俺が今そういう気分なんだ」と付け足した。甘やかしたい気分だから大人しく甘やかされておけと。


「……分かったよ」

「お、漸く素直になったか」

「たまにはこういうのも悪くないかもしれないな」


 そうだろと言うクロウにリィンも小さく笑みを浮かべる。
 この先輩はこれまでも何気に自分のことを気に掛けてくれていた。ちょっと強引だけれど、これもクロウなりの優しさなのだと悟ったリィンは素直にその厚意を受け取ることにした。そしてリィンもぎゅっとその腕をクロウの背へと回す。

 温かい。その体温にどことなく安心する。
 別にストレスは溜まっていないと思うと答えたのは嘘ではないが、そう言われている理由も分かる気がするなと心の中で思う。


「……クロウ」

「ん?」

「もう少しだけ、付き合ってくれないか?」


 そんな風に思ったリィンが言えば、クロウは「しょうがねーな」と笑った。それから可愛い後輩の頼みだしなと言う先輩に今は同輩なんだろと先程クロウ自身が言った言葉を返すと「じゃあ優しいお兄さんが付き合ってやるよ」と言い直した。
 優しいお兄さんという印象はあまりないけれど、街の子供と遊んでいる様子といい面倒見の良い兄貴肌ではあるのだろう。優しいというのも否定はしない。意外とよく見ている、というのは些か失礼かもしれないがなんだかんだで良い先輩――否、良い友人だ。







其の一、ハグをするとストレスが減る

「ってことだからいつでも遠慮せずに声掛けて良いぜ」
「勿論、女子に頼んでも良いけどな?」

「だからそういう相手はいないって言っただろ」
「……でも、何かあった時は頼らせてもらいます」