今より一年前の四月、この学校に入学してから色々なことがあった。色々、なんて言葉で片付けられないくらいには様々な出来事があったが、それだけのことを説明もしていられないからそこは割愛する。
この学校に入学してからまた四月がやってきて、俺達の学年が上がると同時に新入生達が入ってきた。去年俺達が試験運用したARCUSを扱う特化クラスなんてものも新設され、新しい一年がスタートした。
……と、それも今となっては数ヶ月も前の話だ。
やっぱりその数ヶ月にあった色々なことは割愛するとして、先輩として出会った後輩達とも今や同じクラスメイトとして付き合っている。最初こそクラスメイトとして敬語や敬称をやめるのを戸惑っていた後輩も漸くそれに慣れてきたらしく。
「こんなところにいたのか、クロウ」
自然とタメ口で話すようになった後輩兼クラスメイトは、俺のすぐ傍までやってきて立ち止まった。
「おう、何か用か?」
「いや、用という用はないんだけど」
まあ座れよと促せば、長居するつもりはないからと返された。そうだとしてもわざわざ立って話すこともないだろうと言えば、それじゃあと後輩は向かいの椅子に腰を掛けた。
「で、何の用だよ」
「だから用はないって言っただろ。たまたま通りがかっただけだ」
「たまたまって、お前は生徒会の手伝いしてたんだろ?」
今日は自由行動日。部活動に所属していないこの後輩は、いつも生徒会からの依頼を片付けるべくトリスタを走り回っている。聞いたわけではないけれど、おそらく今日もそうやってトリスタを走り回っていたのではないだろうか。
「それはさっき終わったんだ。それでここに寄ったらクロウがいたから」
用があって探していたわけではない。ただ、生徒会の手伝いをしながら俺の姿を見掛けなかったから先程の反応だったらしい。
それならそれで構わないのだが、そうなると今度はついさっきのコイツの言葉と矛盾している気がした。
「ちょっと待て。生徒会の手伝いが終わってここに寄ったのに長居するつもりはないって、お前はここに何しに来たんだよ」
俺達が今居るのはトリスタにある喫茶店、キルシェだ。喫茶店に入る目的も全員一概ではないだろうが、生徒会の手伝いが終わっているというのなら俺の疑問は間違っていないだろう。
「ああ。今日渡されていた分の依頼は終わったんだが、さっき外を歩いている時にちょっと頼まれ事をして」
そういうことか、とすぐに納得してしまった。この後輩といい依頼を回している生徒会長といい、本当にお人好しだなと思う。これはもう性格なんだろう。
「お前な、せっかくの自由行動日なんだから少しは休めよ」
「ちゃんと休んでるさ。それに、困っている人が居たら放っておけないだろ?」
きっと、あの生徒会長も同じことを言うんだろうなと思った。そのこと自体は決して悪いことではないのだが、もう少し休んだりとかないのか。
……ないんだろうな。本人達は仕事だからとかそういう理由で動いているわけでもない。そこにあるのはただの厚意だろう。それもやっぱり悪いことではないけれど。
「あーそうか。でも急ぎの用じゃないんだろ? ならちょっと付き合えよ」
言いながら追加で注文を頼めば、後輩は「俺はすぐ行くから」なんて言ったが気にせずそのまま頼んだ。トワといいコイツといい、周りが強引にでも言わなければ休まず働きそうなものだ。こういう奴には強引な方が丁度良いだろう。
間もなくして運ばれてきたアイスティー。九月になったっていうのに外はまだまだ暑い。それに生徒会の手伝いで動き回っていたのなら喉くらい乾いているだろうと思って頼んだものだ。
「ほら、とりあえず飲めよ」
「え、でも」
「ちょっと休むくらいの時間はあるだろ」
どんだけ仕事熱心だよ、と思ったままに口にすれば向かい側から溜め息が零れた。どうやら観念したらしい。一口ほど飲んでから「クロウはもう少し真面目に授業を受けた方が良いけどな」と付け加えたあたり、本当に砕けたよなと思う。
「真面目に受けてるじゃねぇか」
「授業中に寝ているのを真面目とは言わないだろ」
単位が危ないという理由で一年のクラスに居るのに、これでは意味がないだろうと真面目な彼は言う。そうはいっても、淡々とした授業を聞いていると眠くなるものだろう。
言えば当然のように否定されたが、絶対他にも俺と同じ考えの奴はいるはずだ。
「分かった分かった。今度からは気を付ける」
「…………本当か?」
何なんだよ、その疑っているような目は。お前は俺の言葉が信じられないのかと尋ねてみると、あまりというような反応で返された。全く失礼な奴だ。
ま、俺も本気で寝ないように気を付けるつもりはないけれど――なんてことは勿論声には出さない。出さなくてもバレているようだが気にせず話を変える。
「そういや後で旧校舎にも行くんだろ? 必要ならいつでもARCUSで呼べよ」
「ああ、助かるよ」
前回は第五層を見て回ったんだったな。今回は第六層になるんだろう。何があるか分からない旧校舎の探索はⅦ組全員への依頼だ。今日もまた何人かの仲間と共に謎の旧校舎を調査するわけだ。
……ま、謎の旧校舎に何があるのか。そして、その旧校舎でこの後輩が辿り着く先を俺は知っているわけだけれど。そんなことは表に出さずに話を合わせる。今度はどうなっているんだろうな、なんて。
「この先も永遠と新しい層が現れたらどうするよ?」
「どうするって言われてもな……。やれるだけのことはやるさ」
「そうだな。ここまできたら旧校舎の謎も解き明かしたいもんな」
俺の言葉に目の前の後輩も同意する。
けれど、その謎を解き明かした時。俺達は今のままでは居られなくなるんだろう。先輩と後輩ではなく、クラスメイトでもなく。それどころか真逆の関係になる時が、そう遠くないうちにやってくる。絶対に。
(こんな風に過ごせるのも、あとどれくらいだろうな)
まだはっきりとした日にちは分からないけれど、きっともうそれほど多くはない。当たり前のように広がっていた非日常の終わりが近づいている。
だが、当たり前のようになっている非日常には誤算もあった。本当、とんだ誤算が生まれてしまったものだ。入学してから今日まであった色々なことの中に含まれるそれは、いつの間にこれほどまで大きくなってしまったんだろうか。
(本当、どこでどう間違ったんだか)
俺にとっての間違いはそれだけではないだろうが、どうしてこんな間違いをしてしまったんだろうと思う。特別何かをしたわけでもない。気が付いた時には遅かった、といえばいいだろうか。今となってはどうしようもないほどのそれは、やはり胸の内に秘められている。
「クロウ?」
こちらの様子を窺うように名前を呼ばれて黒髪を見る。どうかしたのかと聞いてくる後輩は、先輩と後輩という関係だった時よりも確かに近い距離に居る。
「いや、何でもねーよ」
「そうか?」
「あ、やべ。一時に約束してたんだ」
一時、という言葉に自然と視線が時計へと流れる。そこに示された時刻はというと。
「一時って、もうすぐじゃないか!」
「まあ、走ればなんとかなるだろ」
なるのか? と疑問を浮かべる後輩に多分大丈夫だと言いながら俺は先に席を立つ。そのままちゃっちゃと会計を済ませてしまえば、それに気付いた後輩はすぐに立ち上がったがいいからと制した。
「たまには後輩らしく奢られとけ」
もともと俺が引き留めたようなものだ。注文だって俺が勝手にしたこと。ここで俺が金を払うのは当然の流れだろう。
しかし後輩は腑に落ちないような顔をして。
「……その後輩から五十ミラを騙し取るような先輩に言われたくはないんだが」
と、いつかのことを話題に持ち出した。
あの時は持ち合わせがなかったんだ、という言い訳は信じてもらえるだろうか。実際にあの時は持ち合わせがなかったわけだが、初対面でのその出来事はどうやら忘れて貰えそうにない。
だけど、それはそれ。これはこれということで。
「俺が人に奢るなんて滅多にないんだから、有り難く奢られろよ」
じゃあほどほどに頑張れよ、とだけ言って俺はキルシェを後にした。忘れられそうにないのは良いことなのか悪いことなのか。分からないけれど、それが俺達の出会いだったのだから仕方がないか。
ほどほどに、と付けたところであの後輩には大して効果はなさそうだがまあいいだろう。少しは休憩になっただろうと俺も目的地へ急ぐのだった。
多分、自分は彼に心底惚れている
(いつから、なんて俺の方が知りたい)