「次の自由行動日、空いてるか?」
ちょいと付き合って欲しいことがあるんだが、と廊下でばったり会った同僚に聞かれる。
特にこれといった用事はない。頭の中でぱっとスケジュールを確認したリィンはああとすぐに頷く。するとクロウは小さく息を吐いた。
珍しいな、とリィンは友人の反応に首を傾げる。だが、どうしたんだろうという疑問はクロウの次の発言で更に深まることになる。
「なら丸一日空けといてくれ。依頼のことはトワに頼んである」
「えっ?」
「朝一の列車に乗るからよろしくな」
手をひらひらと振ったクロウはおそらく次の授業に向かうのだろう。言い終わるなり早々に立ち去ってしまった。
依頼のことといい列車の時間といい、随分と準備がいい。何も予定がなくてよかったとリィンは心の中で呟く。しかし、これほどの手回しをしてまでリィンを誘う用事とは。
(次の自由行動日、か)
厳しい暑さが続いた八月ももうすぐ終わろうとしている。
チャイムの音が鳴り響くのを聞いたリィンは止めていた足を再び動かした。
大切なヒトたち
怒濤の日々から一年。必死で取り戻した日常の中にある、当たり前のような奇跡。
きっと、クロウにも何かしら思うところがあるのだろう。そう思いながら待ち合わせた友人は朝一の列車に乗り、帝都から程近い小高い丘へとリィンを連れていった。
「悪かったな、いきなり付き合わせて」
青く澄んだ空をバックに銀糸が緩やかな風に揺られる。
その光景を目にしたリィンはやっぱり青が似合うなとぼんやり思った。クロウ自身が青を好んで身につけているわけではないけれど、蒼はクロウによく馴染む。
「俺の方こそ、色々と手を回してくれてありがとう」
「礼を言われることはねえよ。誘ったのは俺だし、依頼を引き受けてくれたのはトワだからな」
「それなら誘ってくれてありがとう」
二つ目のお礼を口にしたところで先を歩いていたクロウが足を止めた。
くるり、振り向いた友の口元は緩やかな弧が浮かんでいた。
「なんだ、バレてたのか」
「隠していたわけでもないだろ?」
「まあな」
そう言ってクロウは空を見上げた。
その視線を追いかけるようにリィンも顔を上げる。
「早いモンだな」
「……そうだな」
燦々と輝く太陽の日差しに汗が滲む。だけど、少し前と比べれば大分過ごしやすくなってきた。
一年前の空も、こんな色をしていたのだろうか。
仲間たちと共に駆け抜けた激動の時代。あの頃は今より空に近い場所で過ごしていたというのに、記憶は既に朧気だ。
「オルディーネは飛翔能力に長けていたんだよな」
相棒と試練を乗り越える過程で知った、彼らの得意分野。リィンの一言にクロウはふっと頬を緩めた。
「地上戦が多かったからあまり活かしてやれなかったが、オルディーネがいたから見れたモンは多いな」
「それは俺も同じだな」
空からの景色はもちろん、彼らがいたからこそ得たものは多い。帝国の動乱に巻き込まれたのは彼らも同じ、それを乗り越えられたのはかけがえのない相棒がいたからこそ。
「ヴァリマールがいたから、俺は今ここにるんだろうな」
Ⅶ組のみんなや先輩たち、教官や教え子。他にもたくさんの人との縁がリィンをここまで導いてくれた。それぞれの縁が特別で、ヴァリマールとの絆もその一つだ。
出会ってからあの日までずっと、どんな時だって力を貸してくれた相棒。自分は彼にどれほど助けられただろう。
「最初はなかなか苦戦してたみたいだけどな」
耳に届いた声に振り向けば、クロウはふっと口角を持ち上げた。それを見たリィンもまた微かな笑みを見せる。
「クロウだって似たようなものだったんだろ?」
「まあ最初から乗りこなせる連中の方が普通じゃねえわな」
そう言われてまず思い浮かんだのは猟兵王の姿だった。彼はリィンたちよりもあとに起動者になったが、彼とゼクトールとの戦いは凄まじかった。やはり、長年培ってきた戦闘の勘があるのだろう。
最後に起動者となったルーファスも騎神を上手く扱っていたが、そんな彼らも最初は幾らか手こずったのだろうか。少しだけ考えてみたけれど、その姿はあまり想像できない。
「俺はすっかりお前に追いつかれちまったな」
ぽつり。呟かれた声が風に乗る。
見上げた先に広がる青に僅かに目を細めたクロウは、それからリィンを振り返った。
「俺もアイツも、お前らの成長を見るのが結構楽しみだったんだぜ」
そう言って友は笑う。彼の相棒がこの場にいたなら、同じようにリィンを微笑ましく見つめただろうか。
いや、もしかしたらリィンの相棒も似たような反応をするのかもしれない。この数年で一番成長したのはきっとリィンだ。まだ学生だったあの頃は本当に何も知らなかったのだと今になって思う。そんなリィンを変えたのは士官学院という場所と目の前の友人だ。
先輩から同輩になり、時には敵対したこともあったけれど。ライバルであり仲間でもあるこの悪友の存在は、いつしかリィンの中でひときわ大きくなっていた。
たった一枚の五十ミラコイン。
それがこんなにも特別なものになるなんて誰が想像できただろう。リィンはもちろん、クロウだって考えもしなかっただろう。でも、それが自分たちのはじまり。
「……クロウは、何気にいつも助けてくれてたよな」
旧校舎でエリゼを助けた時も、内戦の最中でも。黄昏を引き起こして暴走したリィンを止め、ともに相克を乗り越えて。今は同僚としてよく手を貸してくれる。
生徒会の依頼も然り気なく手伝ってくれた先輩がそういう人であると知ったのはもうずっと前の話だ。いつの間にか、随分と長い付き合いになったものだ。
「俺はお前みたいなお人好しじゃねーよ」
「俺もお人好しってほどではないけど」
「お前、それは全員が否定するぞ」
「それこそクロウも同じだ」
そんなことはない、と。否定しようとしたのはリィンも同じ。だけどそれを否定するのはお互いだ。
俺はクロウにたくさん助けられたよと伝えると、クロウは開きかけた唇を結んだ。それから彼はまた空を見上げて言った。
「お前にもアイツらにも、助けられたのはこっちだ。お前らがいなければ俺は本当にここにはいなかった」
頭に浮かぶ数々の光景。クロウも今、リィンが思い浮かべたものと同じことを思い出していたのかもしれない。でも。
「俺がクロウと一緒にいたかったんだ。オルディーネたちも同じ気持ちだったと思う」
「分かってる。だから今もトールズにいるんだろ?」
クロウがそう言った時、ぽうっと仄かな熱を感じた。
そのことに気がついて暫し視線を彷徨わせたリィンは、腰のホルダーから淡い光が漂っているのを見つけた。そんな見覚えのある光景に思わず目を見張る。
「戦術リンク……!?」
「いや、これは……」
同時に開いたARCUSは、何もしていないのに戦術リンクが繋がっていた。だけど、普段の戦術リンクとはどこか違う。ARCUSを通じて何かあたたかいものが伝わってくる。
顔を上げたリィンはクロウと目が合う。そして、二人は一斉に空を仰いだ。
(そういえば、あの日もこんな空だった)
眩しいほどの光に目を細めながらぼんやりと思う。それは、長年共に過ごしてきた相棒との最後の時。とても大切で、かけがえのない――。
「アイツらに胸を張れるように生きねぇとな」
聞こえてきた声に視線を下げれば、赤紫の瞳とぶつかった。それから目の前に向けられた拳にそっと頬を緩めたリィンもまた、右手を宙に持ち上げる。
「ああ」
こつんとぶつかる拳。自分たちがこの空の下でこうして一緒にいられるのも、多くの人たちのお陰だ。
その人たちに恥じないようにこれからも真っ直ぐ、前を向いて。ひたすらに進んでいきたい。この大切な友とともに。そうすれば、きっと。
「さてと、そろそろ次に行くか」
優しい風からほどよい涼しさを受け取りながら手を下ろしたクロウが言う。
「今度はどこに行くんだ?」
「おいおい、何のためにここにきたと思ってるんだよ」
今日が何の日だか覚えてるだろとクロウはリィンを見る。その意味するところは既に理解しているつもりだが――と、思ったところではたと気がつく。
それからリィンは大きく目を開いてクロウを見た。すると赤紫の瞳がふっと、柔らかな眼差しでリィンを見つめ返した。
「こういう日くらいちゃんと自分のことを優先しろよ」
依頼なんて誰にでもできる。だけど他に代わりなんていない、リィンにしかできないこともある。それが今日、リィンには確かにあった。
もちろん、忘れていたわけでなない。けれど自由行動日は依頼のこともあるからそれは近いうち、時間が空いた時にでもと考えていた。だが、何よりも驚いたのは。
「ま、親子水入らずを邪魔すんのも悪いしな。またあとで合流するか?」
「……いや。クロウがよければ付き合ってくれないか」
断られることはないだろうと思った通り、クロウは「ならさっさと行こうぜ」と歩き出した。
その背中を見たリィンはやっぱり敵わないなと心の中で呟く。やっと肩を並べて歩けるようになったと思ったけれど、こういうところは多分、これからもずっと、敵わないのだろう。でも、これがこの友人の優しさであるとリィンは知っている。
最後にもう一度だけ振り返って空を見つめたリィンは早足で友の隣に並んだ。歩幅はどちらともなく合わさった。
「そういえばこの前、如水庵でいいお酒が入ったって薦められたんだ」
「へえ。俺も偶然いいワインが手に入ったんだよな」
「それなら今夜は一緒に飲まないか?」
色々と話したいこともある。
そんな風に尋ねたらクロウは口元にそっと、笑みを浮かべた。
「最初からそのつもりだったんだろ?」
「まあな」
だけどクロウも同じだろう、と口にすれば「まあな」と友も頷いた。忘れもしない、大切な相棒たちとの時間。それ分かち合うことができるのは自分たちだけ。
友でありライバルであり、同じ起動者で相棒でもある彼とともに。今日は彼らとの大切な思い出話に花を咲かせよう。
fin