「リィン、こっちだ」
人の多い駅構内できょろきょろと辺りを見回しているとどこからか声が飛んでくる。その声がした方を振り向くと、他の人より頭一つ分は高い白銀を見つけた。
「クロウ!」
「久し振りだな。迷わなかったか?」
「迷うわけないだろ」
乗り換えは一回、後はただ電車に揺られていただけだ。自宅から駅までは荷物が多いからと母が車を出してくれて、目的の駅ではこうしてクロウが待っていてくれた。それでいて迷う方が難しいだろう。
だが、リィンの言葉に「どうだかな」とクロウは笑った。昔迷子になってたのは誰だったか、と遠い日の出来事を持ち出した幼馴染みに昔の話だろうと言い返すリィンの頬はほんのり赤い。
しかし、そんなリィンを必死になって探してくれたのはこの幼馴染みだった。それから暫くはどこへ行くにもリィンの手を離さなかったクロウのあたたかさをリィンは今でもよく覚えている。
「けど、やっぱりこっちは人が多いな」
「そりゃあな。はぐれないように手を繋ぐか?」
全く、あれから何年経ったと思っているのか。大丈夫だと答えたリィンに「そうか?」と言ったのが冗談だけに聞こえないのは気のせいではないだろう。確かにこれだけ人が多く、ホームも沢山あるとなれば迷いそうではあるが。
そう考えていたところで「荷物貸せよ」とクロウが手を差し出した。だが別に持てないほどの量ではないからと断ると「まだここから乗り換えるんだぜ」と言われる。
「いや、だから自分で持てるって」
「何のために俺がここまで来たと思ってんだ」
「道案内をしてくれるためだろ」
「そうそう。だからこっちは手ぶらだし、荷物の一つくらい寄越せって」
同じ場所に行くのに一人で持っていく必要もないだろうと言われると否定はし難く、結局リィンは荷物の半分をクロウにお願いすることにした。何かと理由をつけて手を貸してくれる幼馴染みのことだ。迎えに行くのに不要だからという理由だけでなくあえて何も持ってこなかったのだろう。
久し振りに会ってもそういうところは変わっていない。よく気が付いて、気が利く。そんな幼馴染に彼女がいないことは不思議でもあるのだが、本人曰くそう簡単に彼女が出来たら苦労はしないとのことだ。そういうものなのか、と思いつつもだからこそリィンはその幼馴染の部屋でルームシェアをさせてもらえるのだろう。
それから階段を降りてホームを移動し、殆ど待つことなくやってきた電車に乗り換えて六駅。そこから徒歩十分ほどで辿り着いたのが現在クロウが借りているアパートだ。
「とーちゃく。お疲れさんだったな」
ガチャっと鍵を開け、玄関に上がる。こっちだと先を歩くクロウの後をリィンは「お邪魔します」と言って追いかけた。
反射的に出たそれに「これからはお前の家でもあるだろ」と笑いながら幼馴染みはリビングを通り過ぎ、その奥にある部屋のドアを開けた。
「とりあえず荷物は運んであるが、必要なモンがあるならこのまま買いに行っちまおうぜ」
部屋に入ったリィンはぐるりと中を見回す。端の方に纏めて積み上げられている幾つかの段ボールは数日前にリィンが送り、クロウがここへ運んでおいてくれたものだ。その傍には何も入っていないカラーボックスが一つ。さっきちらっと見たリビングには一人用にしては些か大きいテーブルが置かれていた。
他にも色々と。一人暮らし用ではないと思われるそれらは、全てこの幼馴染みがリィンのために準備しておいてくれたものだろう。
「ありがとう。大体は送ったから大丈夫だとは思うけど」
「まあ必要になりゃあ買えば良いしな。ある程度は適当に買っておいたが、後は空いてるとこを好きに使ってくれ」
家具なんかは一緒に見に行く方がいいとは思ったんだけどな、と話すクロウにリィンは眉を下げてすまないと謝る。
「どうしても人手が足りないと言われて断れなかったんだ」
「それは良いんだが、明日は俺がバイトだからな」
昨日はリィンが今まで世話になっていたバイト先の最後の出勤日だった。だからこそリィンは今日、クロウのアパートへやってきた。当初の予定ではもう少し早く引っ越すつもりだったのだがこの時期は人の入れ替わりも激しく、できればでいいんだけれどと頼まれてリィンは結局昨日までバイトを続けた。
そのために引っ越しが今日になり、ずれ込んだ分だけ今度はクロウのシフトが合わなくなった。幼馴染みがお人好しであることを十分すぎるほどに理解しているクロウに文句などないが、予定が合わないとなると先に用意しておくべきものも出てくる。
「悪いが最低限必要なモンは俺の趣味で選んじまったぜ」
そのためクロウはリィンが来る前にこうしてある程度は用意をしてしまった。だがそのように話すクロウにリィンは「いや」と首を横に振る。
「むしろ助かるよ。クロウのセンスなら間違いだろうから」
「褒めたって何も出ないぜ?」
本心だよ、と伝えると「そりゃどうも」と幼馴染みも受け取ってくれた。けどまだ買っていないものもあるから次の休みに買い物に行こうという提案にはリィンも「ああ」と二つ返事で頷く。
それから今日はまず荷ほどきをしてしまおう、という流れになるのは何もおかしなことではない。だが、漸く一段落がついたところでリィンは幼馴染みを見た。
「ところで、ずっと気になっていたんだが」
その声にクロウが振り向く。リィンの視線は自分を見つめる赤紫――を隔てているそれへと向かう。
「クロウ、目が悪くなったのか?」
ずっと見慣れている色を微かにくすませる透明なガラス。お正月に実家へ帰ってきた時にはしていなかったはずだけれど、普通に考えればそういうことなんだろうと思いながら尋ねたリィンにクロウは一瞬きょとんとした。
だがすぐに「ああ、これか」と納得するとにやり、口元が動いた。
「そうなんだよなぁ。いつの間にか随分悪くなってたみたいでよ」
言いながら眼鏡を外したクロウはずいっと距離を縮める。ちょっとでも動いたらぶつかりそうなほど近くなった距離にリィンの心臓がドキッと跳ねた。
「こんくらい近くないとお前のこともよく見えないんだぜ?」
さらり、揺れる銀糸。ガラス越しではないその瞳は真っ直ぐにリィンを映す。女の子たちに騒がれるほど整った顔をした幼馴染みは男のリィンから見てもカッコいい。
そんな幼馴染みとのあまりに近い距離にバクバクと五月蝿いほどに心臓が脈を打つ。どうすればいいのかと軽くパニックになりかけていると。
「……なーんてな」
「へ?」
ククッと笑いながら元の距離まで戻ったクロウは冗談だと言って眼鏡を持ち上げる。
「度なんて入ってねーよ。これは外に出る時に使ってるんだ」
「えっと……お洒落眼鏡ってやつか?」
「俺の場合は悪目立ちしないため」
悪目立ち、という単語が気になったところへ「見た目がな」とクロウは呟いた。
確かにリィンも駅に着いてすぐにクロウを見つけたけれど、悪目立ちをしているようには感じなかった。だがこの身長で目付きも悪いと言われがちな幼馴染みは、生まれつきである銀髪もよく目立つ。眼鏡一つでそこまで変わるものではないとはいえ、本人曰くないよりはマシらしい。
「それで今日は眼鏡をしてたのか……」
「カッコいい素顔が見れなくて寂しかったって?」
「そこまでは言ってない」
カッコいいのは本当だけど、とリィンは心の中でひっそりと付け加えた。あと、レンズ越しに見る赤紫がいつもと少し違って見えたのも事実だ。でも。
「ま、大学とバイトくらいでしか使わないから安心しろよ」
そう言って頭を撫でるクロウに「いつまでも子供扱いしないでくれ」と文句を言えば「まだ子供じゃねーか」と言い返されるが、それを言うならお互い未成年だ。
ほら、さっさと片付けちまおうぜと口にした幼馴染みが早いところ話題を逸らそうとしたのは分かったけれど、このまま話を引きずる理由もないためにリィンも素直に頷いた。むしろ今はクロウの言葉に助けられたともいえる。段ボールのガムテープを剥がしている間も心臓の音は五月蝿かった。
高鳴る鼓動
そのわけは……?