好きな人ができた。それから暫くは片想いを続け、思い切って気持ちを伝えたら両想いだったことを知った。そのまま付き合うことになってもうすぐ三ヶ月。
付き合うということがどういうことなのか。説明しろと言われたらなかなか難しいかもしれない。恋人というのはお互いに相手のことが好きで、好きだから一緒にいたり恋人としかできないこともある。付き合うといえば、と尋ねられたならおそらくみんな同じようなことを考えるのではないだろうか。多分俺もその一人だと思う、と考えていたリィンは現在。夕焼け色の空の下を恋人と並んで歩いていた。
「この前中間試験が終わったばっかなのに今度は期末試験か。学期の始めには学力テストもあったし、一年中テストをしているようなモンだよな」
「そんなことはないと思うけど」
「何言ってんだよ。テストのある月を片っ端から挙げてみろ。年の大半はテストだぜ?」
四月と九月の学力テスト、五月と十月の終わりに中間テスト、七月と十二月の頭は期末テスト。学年末テストは二月。言われてみればテストの頻度は結構高いのかもしれない。けれどテストというのは基本的に授業で教わった内容の確認なのだから定期的に行われるのも当然だ。この期間が長くなればそれだけ範囲も広がることを考えればむしろこれくらいの頻度で丁度良いのではないだろうか。
言えば「まあ半日で帰れる日が多ければそれだけ遊べるしな」とどこかずれた返答が来る。そういうことではないのだが、どちらにしてもテストが面倒なものであることに変わりはないとのことだ。
(付き合い始めて三ヶ月、か)
こういう関係になってから変わったこと。それはこうして一緒に帰るようになったことだろうか。以前も帰りに鉢合わせたら一緒に下校していたけれど、特別遅くなる用事がない限りは昇降口で待ち合わせるようになった。帰り道が途中まで同じであることは小さな幸運だ。
(クロウはどう思っているんだろう)
他愛のない話をしながら並んで歩く帰り道。リィンはその短い時間をいつも楽しみにしている。付き合う前と後で別段何かが変わったわけではないけれど、クロウと過ごすその時間は幸せだなと感じるのだ。好きな人と一緒にいることはたったそれだけでこんなに幸せなものなのだと付き合うようになってから初めて気が付いた。今もクロウと話すのは楽しくて胸がぽかぽかする。
それだけで十分幸せで、それ以上のことを今はまだ考えたことがない。でも普通は付き合うといえば一緒に帰るだけではなく二人でお昼を食べたり出掛けたり、手を繋いだり――キスなんかをするような関係でもあるのだろう。リィンもクロウと付き合う前は恋人とはそういうことをするものなのかなと小説やドラマを思い出しながらぼんやりと考えていた。けれど実際は一緒に帰るだけでも嬉しくてそれ以上のことも今すぐにしたいとまでは思わない。
(俺は今のままでも十分だけど)
ちらり、リィンは隣を見る。この恋人は今の自分達の関係をどう思っているのだろう。自分と同じなのか、それとももっと恋人らしいことをしたいのか。リィンも恋人らしいことをしたくないわけではないけれど、今はこれで良いと思っているのもリィンの本音だった。
「リィン?」
呼ばれてはっとする。いつの間にか赤紫がこちらを覗いていた。
「すまない、少し考え事をしていて」
「……体調が悪いわけじゃねーんだな?」
「ああ、それは大丈夫だ」
ありがとう、と心配をしてくれたことにお礼を言えば赤紫の視線が外れる。変に思われたりはしなかっただろうか。その瞳が何かを言いたそうにしているようにも見えたけれど、結局クロウはそれ以上何も言わなかった。
それから不意に訪れる沈黙。沈黙が気まずいということはないがクロウのことが気になってしまうのは先程考えていたことのせいだろう。聞いてみたい気持ちもあるけれど聞くのが怖くもある。こうして二人で帰ることは続いているのだから一緒にいてつまらないとかそういうことはないと思うけれど、相手の気持ちは分からないから不安がないといえば嘘になる。
「………………なあ、リィン」
暫く続いていた沈黙を先に破ったのはクロウだった。
何だ、と聞き返したその時。僅かに隣り合った手と手がぶつかる。
「悪い」
「ご、ごめん」
謝罪の言葉はほぼ同時。お互いに手を引いて自然と相手を見たことで双方の視線が絡む。
そして気が付く。彼の頬がほんのりと赤く染まっていることに。多分自分もそうなんだろうけれど、この距離で分かるそれは決して夕日のせいではない。
「………………」
そして再び訪れる沈黙。
相手の顔を見つめているのが恥ずかしくなってどちらともなく外れる視線。心臓がどきどきと五月蝿いくらいに鳴っている。それは隣を歩くクロウにも聞こえてしまうのではないかというほど。顔に集まった熱もなかなか引いてくれない。ただほんの少し、手がぶつかっただけだというのに。
「…………あのさ。お前、不満とかあるか?」
どきどきと鳴り止まない心臓をどうしようかと考えているとクロウから不思議な問い掛けをされた。ゆっくりと顔を上げれば、赤紫がちらっとこちらを見た。
「俺達、付き合ってるって言っても特別そういうことはしてないだろ?」
こちらの視線を疑問と受け取ったのか、クロウはそう続けた。
そういうことというのはリィンがさっき考えていたようなことを言っているのだろうか。あまり恋人らしいことはしていないと。そのことを不満に思っているか、という質問なら。
「不満なんてない。俺はクロウと一緒にいられれば、それで」
十分だ、とリィンは首を横に振って答えた。不満なんてそんなものは全くない。クロウと一緒にいて不満なんてあるわけもない。
少し重すぎるだろうか。答えてから一抹の不安が過るが、それを聞いたクロウは「そうか」と小さく返しただけだった。その顔はやはりちょっと赤い気がする。
「……俺も、クロウはどう思ってるのか気になってたんだ」
今なら聞けるかもしれない。そう思ったリィンは先程の疑問を静かに口にした。
「どうって、俺がお前を好きかっていう話しか?」
「いや、もっと恋人らしいことをしたいのかなって」
付き合ってくれたということはクロウも自分が好きだということだ。それは告白をした時に聞いているし、この反応を見ればクロウも自分と同じ気持ちでいてくれることは明らかだった。
本当は少しばかり不安だったのだけれど、それはただの杞憂だったとついさっき知った。言葉にしなければ相手の気持ちは分からない。こういうことを聞いて来たということはもしかしたらクロウも同じだったのだろうか。そう思いながらリィンは恋人を見上げると赤紫とかちあった。
「……したくないとは言わないぜ。けど今すぐにしたいとも思わない、って言ったら変か?」
同じだ、と思った。いや、こちらを見つめる赤紫に「俺も同じことを思ってた」と告げた。
好きだからいずれはそういうこともとは思うけれど、今はそこまで考えられない。こうして一緒に帰るだけで幸せだ、なんて。今時小学生だってそんな恋愛はしないのかもしれないけれど、それが紛れもない本心なのだ。
「俺が何も言わないからクロウには気を遣わせてるかもしれないと思ったんだけど」
「そんなことはねーよ。俺もお前を不安にさせてるかもなとは思ってたが」
そんなことはないと同じように否定をしたらクロウは口元に小さく笑みを浮かべた。その笑顔にとくんとまた胸が鳴る。
「ま、今更遠慮すような間柄でもないとは思ったんだがな。付き合い始めて結構経っただろ?」
こくりとリィンは頷く。夏休みに告白してからそろそろ三ヶ月が経とうとしている。それでいて恋人としての進歩は一緒に帰るようになったことだけ。相手のことが気にかかるタイミングとしては少し遅いだろうか。
けれど同じことを考えていた自分達には遅いという感覚もない。むしろこれが丁度良いくらいなんだろう。世間の恋人より自分達はかなりゆっくりなペースかもしれないけれどお互い現状に不満はない。つまり自分達にはこれくらいのペースが合っているのだ。
「俺は今のままで……っていうのもおかしいかもしれないけれど」
「いや、お前の言いたいことは分かってるぜ」
そう答えたクロウも多分俺が考えていることと同じことを考えているんだろうなとリィンはなんとなく思った。そしてその考えは実際間違っていない。
別に自分がこの恋人に似ているとは思わないけれど、こういうところは似ているのかもしれない。そんな風に思った時だった。
「…………けど、少しくらい進んでみるのも悪くないかもしれねぇな」
言ったクロウはそっと左手を差し伸べた。ついさっきは偶然ぶつかってしまって反射的に引っ込めてしまったけれど、それだって決して嫌だったわけではない。突然のことで驚いてしまったというだけの話だ。手を繋ぎたいか、と聞かれたら。
「……そうだな」
――手を繋ぎたい、と。そう答える。
今度は自分から右手を伸ばし、その手をクロウがぎゅっと握った。
あたたかい。優しく繋がれたその場所から伝わる温度に、その感覚に。漸く治まり始めた心臓はまた自分でも分かるくらいの音を響かせた。でも、ちらっと見えたクロウの横顔には小さく笑みが浮かんでいて、リィンの口元も自然と綻んでいた。
手と手を重ねて
いっぱいの胸にまた一つ、幸せが重なった