(そういや、今日は雨予報だったか)


 道理でな、とソファに体を預けながらクロウはぼんやりと思う。
 明日の天気は曇りのち雨。早いところでは昼過ぎから雨が降り始めるので傘をお忘れにならないように、という話を昨晩聞いた。まだ雨は降っていないけれど、朝からどんよりとした雲が広がっていたからおそらくは時期に降り始めるだろう。


(先にやることやってから座るんだったな)


 一度座ってしまったが故に立ち上がるのも億劫だ。ずきずきと鈍い痛みが続く頭を押さえながらどうするかとクロウは時計に視線を移した。
 現在の時刻はもうすぐ二時を回るところ、同居人が帰ってくるまでにはまだ時間がある。後回しにしたところでこの頭痛が治まるかは分からないが、少し休めば今よりはマシになるだろう。正直ベッドに移動をするのも面倒で、やろうと思えば出来ないことはないものの今は動きたくないというのが本音だ。


(けど、久し振りだな……)


 ここのところはあまり酷くなかったのにな、と思ったところでそれ以上の思考を放棄する。別にそれはどうでも良いかと思ったクロウは暫くすればこの頭痛も治まるだろうと信じてそのまま瞼を下ろした。



□ □ □



「ただいま」


 聞こえてきた声にクロウの意識がゆっくりと浮上していく。段々と近付いてくる足音に「ああ、帰って来たのか」と思いながら体を起こして廊下へと繋がるドアを見たところで丁度それが開かれた。


「お帰り。早かったな」

「授業が一つ休講になったんだ」


 それでいつもより早かったのかと納得したクロウは「あ」と後回しにしてしまった幾つかの事柄を思い出す。リィンが帰ってくるまで時間があるから後でも良いだろうと思ったわけだが、そのリィンは予定より早く帰って来た上に今の今まで寝ていたのだから当然それらには手を付けていない。


「悪ィ、まだ何もしてねーわ」


 クロウの言葉にリィンはきょとんとしながら「それは構わないけど……」と荷物を下ろす。そんなリィンの横をこれからやるから適当に座っててくれと言って通り過ぎようとした時、急に腕を掴まれた。


「リィン?」

「いい、俺がやるからクロウは休んでてくれ」


 予想外の発言に「いや、今日は俺の当番だろ」と返したら「当番は絶対じゃないだろ」と青紫の瞳が真っ直ぐに見上げてきた。


「今日は俺もいるんだし、体調が悪い時に無理する必要はないだろ」


 何も言っていないというのに何故かリィンは確信を持っているかのようにそう言った。
 ――いや、確信を持って言っているのだろう。そんなに分かりやすかったか、と呟いたら俺には分かるよと当然のように言われてしまった。幼馴染の同居人、決して短い付き合いではない。気付かれるとは思わなかったけれど気付かれてもおかしくないとも思える。

 だから休んでくれと言われてクロウは素直にそうさせて貰うと従うことにした。ちょっと休めば良くなるかと思ったそれは未だにずきずきと痛みを放ち続けている。今は動きたくない、という気持ちは寝る前と然程変わっていなかった。


「でも、今もまだ頭痛があったんだな」


 鞄から弁当箱を取り出したリィンはキッチンで洗い物をしながら尋ねた。昔ほど酷くはないけどな、と答えたクロウは昔から雨の日は頭痛が酷くなることが少なくなかった。けれど昔と比べれば頻度は少なくなり、リィンと一緒に暮らすようになってからは初めてだ。そのためリィンが知らないのは当然で、あまり起こることではないからとクロウもわざわざ知らせてはいなかった。


「何か欲しいものとかあるか?」

「いや、少し休んでれば治まる。悪いな」

「謝ることはないけど」


 キュッと蛇口を閉めると水音が止まる。空っぽになったシンクへ視線を落としながらぽつり。


「俺はやっぱり頼りないかな」


 呟かれたそれにクロウは目元にあった腕を下ろしてキッチンを見た。クロウの位置からリィンの表情を窺うことは出来なかったが、失敗したと気が付くのに時間は必要なかった。


「……お前のことは頼りにしてる。ただ、今までは全部自分でやってたから」


 ついこれまでの癖が抜けずにやろうとしてしまっただけだとクロウは弁解する。こうしてリィンと暮らす前は一人暮らし、実家にいた頃も両親が仕事で一人で適当にやり過ごしていたことは割とあった。それで今回も頭痛は治まっていないけれど一度やることを終わらせようという考えに至ってしまったのだ。
 リィンのことは頼りにしているし、黙っていたのも隠すつもりだったわけではない。言う気はあったのかと聞かれたら返答には困るけれど、リィンが気を落とす理由はどこにもない。それをちゃんと伝えたいのに未だに治まる気配のない頭痛にクロウは眉を顰めた。


「ごめん」


 そんなクロウの様子にリィンが謝った。どうしてお前が謝るんだよ、と言おうとしたのが分かったのだろう。リィンは「クロウは昔からそうだったな」と優しく笑い掛けた。けれどクロウの眉間にはますます皺が寄る。


「それだと俺が隠し事ばかりみたいじゃねーか」

「俺が年下だからかな。あまり弱味は見せてくれなかっただろ」


 昔、雨の影響で頭痛が酷かった時だってこの幼馴染みは大丈夫だと言っていたのだ。強がりというよりはカッコつけたがりだろうか。気持ちは分かるけどな、と続けたのはリィン自身も妹の前では似たようなものだったからだ。


「けどいいよ。これからクロウに頼ってもらえるようになるから」

「…………それは楽しみだな」


 もう十分頼っているというのに、これ以上どうしろって言うんだよと思いながらクロウは返す。だが、それについてならばクロウもリィンに言いたいことがある。


「じゃあ、俺もお前に頼ってもらえるようになれば話してくれるか?」


 お前だって人のことが言える立場じゃないだろう、と言えばリィンは目をぱちくりとさせた。だが言われて考えてみればリィンも全く身に覚えがない話ではなかった。それを理解したリィンは自分を見つめる赤紫を見た。


「分かった。これからはちゃんと言うよ」


 今更遠慮をするような間柄でもないし、隠したところでバレるのなら最初から素直に話した方が良い。さっきのリィンもそうだったが、少し違和感を覚える程度の違いでもお互い分かってしまうのだ。隠すだけ無駄である。それなら隠すより素直に言う方がお互いのためにもなるだろう。


「その言葉、忘れんなよ」

「ああ。けど、クロウも一人で無理しないでくれ」

「……わーったよ」


 間もなくして「悪いけど後は任せる」と言った幼馴染は再び瞼を落とした。それにああと頷いたリィンは小さく笑みを浮かべる。
 さっきも言ったけれどちゃんと頼ってもらえるのは嬉しい。同じことを言われたということはクロウもそうだったのかなと思いながらリィンは残っていること、まずは風呂掃除を終わらせるかと動き始めた。本人はああ言っていたとはいえ、やはり辛そうだから頭痛を和らげるものがないか後で調べてみようと考えながら。







辛い時は辛いと、無理はしないで欲しいから
頼り頼られながら二人で暮らしていこう