「クロウ様、今日の予定ですが」


 並べられる言葉に耳を傾けつつ、けれど返事をしないでいるともう一度「クロウ様」と名前を呼ばれた。しかしそれにも答えずにいたらはあ、と分かりやすく溜め息を吐かれた。


「クロウ」


 そして改めて呼ばれた名前にクロウは漸く返事をした。


「おう」

「聞こえているなら返事をしてくれ」

「お前が堅苦しい喋り方をするからだろ」


 聞こえているのに無視をしていた理由を述べれば、リィンは再び溜め息を吐いた。


「俺たちの関係を考えれば当然のことだろう」

「俺たちの関係を考えるならこっちのが普通だと思うけど?」


 あえて同じ言葉を使って切り返すとリィンは困ったような顔をした。困らせるのは本意ではないが、間違ったことは言っていない。
 もっとも、リィンの言っている意味も理解はしているのだが。


「ここには俺たちだけなんだから堅苦しいのはナシでいいだろ」

「そういうわけには――」

「俺がいいって言ってるんだからいいんだよ」


 少々強引だが、こうでも言わないとリィンは絶対に敬語をやめないだろう。本当は二人の時でなくても今まで通りでいいけれど、そこはリィンの立場を考えて譲歩している。このあたりがこの問答の落としどころだ。


「まあお前がどうしても譲らないなら俺もお前と同じようにするが」

「……クロウが俺を敬う理由はないだろ」

「そんなことねぇよ」

「分かった。だけど二人きりの時だけだからな」


 折れたリィンにおうと頷く。今はこれが限界なのだから仕方がない。何もなかったあの頃に戻ることはできないのだ。
 ――そう、お互いに。


「そんじゃあとりあえず飲み物でも入れるか。お前は紅茶?」

「それくらい俺がやる」

「気にすんなよ。今は二人きりだ」


 そのように言えば、リィンも渋々といった感じではあるものの納得してくれた。
 二人分のティーカップを用意してお気に入りの茶葉を手に取る。紅茶の好みは紅茶好きのリィンにいつの間にか寄っていった。逆に、コーヒーの好みはリィンがクロウに寄ったのだからお互いさまといえるだろう。


「ほらよ」

「ありがとう」


 入れたばかりの紅茶を差し出すとすぐにお礼が返ってきた。それを聞きながらクロウはリィンの向かい側に腰を下ろす。


「リィン、お前は変わるなよ」


 紅茶を飲みながら不意に告げると、リィンは不思議そうに首を傾げた。


「どうしたんだ、急に」

「祖父さんが死んでから色々あっただろ」


 色々、本当に色々あった。二人がこの家にきたのもそのことがきっかけで、リィンがクロウの付き人として勉強をはじめたのもまたそこがきっかけだ。
 それまでは血の繋がらなくても本当の家族で、弟のように可愛がっていたリィンが変わったのはクロウの立場が変わったことに由来する。それまではどこにでもいる普通の子供だった二人は、この場所へきて特別な子供とその付き人という関係に変わった。


「だが、お前だけは今も昔もずっと俺の傍にいる。できればこの先もずっと、お前には変わらず隣りにいて欲しい」

「……そんなの当たり前だろ」


 優しい声でリィンが言う。リィンならそう答えてくれるだろうと思っていたクロウはふっと頬を緩めた。


「いつか、必ず。今の俺たちが当たり前の国にする」

「クロウ……」

「お前にはまだ暫く不便をかけることになっちまうが」

「俺のことなら気にしないでくれ。クロウはクロウの思うようにやればいい」


 それが俺たちにとっての正解だろうから。
 そう話すリィンにクロウは微笑む。お前はそういうヤツだよなと思いながらも、いつだってリィンの言葉はクロウの背中を押してくれる。


「……敵わねぇな」

「え?」

「何でもねーよ」


 本当、昔から敵わない。何度リィンの言葉に救われてきただろう。時には振り回されることもあるけれど、それは天然な性格故に致し方ない。
 コトリ、空になったカップを置いたクロウは視線を宙へ投げた。


「会議、面倒だな」


 クロウの立場はまだまだ弱い。お偉いさんたちの話を聞くのは大変だが、今は少しずつ足場を作っていくしかない。
 だが、そんなクロウにリィンは口元を緩めて言う。


「この国を変えてくれるんだろ?」


 その言葉にクロウは笑った。


「ああ、絶対にな」


 行くか、と立ち上がると同時にリィンも腰を上げる。
 この扉を潜れば自分たちは主従関係にならなければいけない。けれどいつか、この扉の内と外が同じ世界になるように。そう願って今日も一歩を踏み出す。







その道の先にあるものを目指して
ただひたすらに前へ