「よう後輩、相変わらず忙しそうだな」


 生徒会の腕章を付けながら来客に道案内をしていた後輩にタイミングを見計らって声を掛ける。その声に反応した後輩は「クロウ先輩!」とこちらに歩いてくる。


「どうかしたんですか?」

「いや、たまたま通っただけだ。そしたら熱心に仕事をしてる後輩がいたもんだからよ」

「俺も生徒会の一員ですから」


 学園祭の主役は生徒達。受付から来客案内といった運営の仕事は生徒会に所属している生徒達が受け持つことになっている。その為、リィンもこうして受付の仕事をしながら娘や息子のクラスを教えて欲しいという保護者を案内していたところだ。


「けどもう休憩時間だろ? 仕事も良いけど学園祭も楽しめよ」


 クロウの言葉に「えっ」と小さく驚きの声を上げるリィン。どうしてそれを知っているのかと言いたそうな後輩にさっき会ったトワに聞いたのだとクロウは付け加えた。
 現在の生徒会長である彼女と会ったのはつい十分程前のことだ。今年も忙しそうだなと声を掛けたところ、先程の後輩と同様にこれも生徒会の仕事だからと彼女は答えた。そこでちゃんと休憩もしろよと言った時にこの後輩の話を聞いた。


「ちょっとトラブルがあったみたいでここに戻ってくるにはもう少し掛かるみてぇだが、お前はとっくに休憩時間のはずだから休んでくれってさ」

「そうだったんですか。でも……」


 元々リィンはトワが戻ってきたら交代で休憩に入る予定になっていた。そのトワが戻って来ないからそのまま仕事をしていたわけだけれど、そういうことなら戻ってくるまではここに居た方が良いのではないかと思うのだ。他にもここに役員は居るとはいえ、ここまで来たらあと少しこのまま受付を続けるのも大したことではない。
 そんな風に後輩が考えていることはクロウには分かりきっていた。おそらくトワも分かっていたのだろう。だからこそ自分にリィンの話をしたのだ。他の役員も居るのだからちょっとの間くらい人数が減っても大丈夫とはこの後輩は考えないだろうから。


「いいか、学園祭っつーのは生徒全員が楽しむモンだ。お前も仕事ばっかりしてねーでちゃんと遊べよ」


 そういうわけだからコイツ借りてくぜ、と後輩の手を引けば本人には止められたものの周りには行ってらっしゃいと送り出して貰えた。要するに他の奴も同じ考えなんだろう。トワといいこの後輩といい、真面目な性格故に働き過ぎなところがあるからこうやって周りが言わなければいつまでも仕事をしてしまうのだ。
 リィンの手を引いたまま、連れ出したは良いもののどこにいくかまでは考えていなかった。とりあえず近くで喫茶店をやっていたクラスに立ち寄り、飲み物と軽食を注文する。


「何だ、まだ仕事のこと気にしてんのか?」


 テーブルの上には頼んだものが一通り揃ったというのに手を付けない後輩に尋ねれば「いえ、そういう訳じゃないんですけれど」と返される。てっきり仕事を途中で抜け出したことを気にしているのかと思ったがそういう訳ではないらしい。まあ別に抜け出したのではなく、休憩時間になったから出てきたというのが正しいのだが。


「じゃあどうしたんだよ。何か気になることでもあんの?」

「その、クロウ先輩は学園祭で見たいところとかないんですか?」


 言われてそっちかとクロウは思う。この教室まで連れてきたのはクロウだが、そもそもクロウはトワに頼まれてリィンを休憩に入るように伝えに来たのだ。最初に言ったたまたま通っただけというのが嘘だったというのは既に分かっているけれど、伝えて終わりのはずがこうして今も付き合ってくれている。もし他に見たい場所があるのならいつまでも付き合わせるのは悪い、という話だろう。


「ああ、気にすんな。俺は一通り見てきた後だから」

「でも一緒に回りたい人とか……」

「いたら今頃一緒に回ってるだろ」


 それこそ朝から二人で片っ端から見て、なんてことをしているカップルもこの学校のどこかにはいるのかもしれない。店番の時だけ別行動をして終わったらまた二人で、というような相手がいたらぶらぶらと学園内を歩きながらトワに会うこともなかっただろう。つまりそういうことだ。
 そんなクロウにすみませんとリィンが謝る。別に謝罪されるほどでもないというか、謝られる方が傷つくんだけどといえば更に謝られた。真面目すぎるというのも考えものだなと思いながら、一先ずこの話は終わりにしようとクロウは口を開く。


「とにかく、俺は好きでここに居るんだからお前が気にすることはねーよ」


 ま、お前が嫌なら俺は行くけど。
 クロウの言葉にそんなことはないとリィンはすぐに否定した。あまりに早い否定にクロウは思わず笑って、それから「なら良いだろ」と返す。それに俺はお前と一緒が良いからここに居るんだよ、という言葉は心の中だけで呟かれた。何せ自分達は普通の先輩と後輩、それ以上でも以下でもないのだから。


「で、お前は何か見に行きたいトコとかねぇの?」

「そうですね……。どのクラスも部活も準備に力を入れてましたし、どれが見たいというよりはどれも気にはなっていたんですが」


 成程なとクロウはリィンの話を聞きながら思う。休憩時間に出来るだけ見れたら良いとは思っていたけれど、その中のどれかが特別見たいということはないのだろう。リィンらしいなと思いながら残り少ないジュースを飲んでクロウは立ち上がる。


「ならさっさと次に行くか。出来るだけ全部見たいんだろ」

「良いんですか?」

「さっきも言ったけど俺はどうせ暇してるしな」


 一人で適当に回るよりお前と回った方が面白そうだと言えば、リィンは漸く笑みを見せた。そうですねと頷くとそれじゃあ行きましょうかと飲み物を飲みきってから立ち上がった。

 それから二人は一緒に学園祭を回る。各クラスの出し物は本当に様々、喫茶店のような飲食系の出し物からお化け屋敷のようなアトラクション系。文化系の部活は美術部のような展示から園芸部のような販売、科学部なんかは毎年色んな実験を企画して参加者を楽しませている。
 それらを片っ端から順に回り、見たり食べたり遊んだりしていると時間はあっという間に流れて行く。学園祭終了の時間が近付くとリィンにはまた生徒会の仕事がある。再び仕事に戻る際、リィンは「後で時間ありますか?」と聞いてきた。後というのは多分キャンプファイヤーのことを言っているんだろうなと思いながらクロウが頷けば、それじゃあまた後でと言ってリィンは仕事に戻って行ったのだ。


「一体どういうつもりで誘ったんだろうな……」


 特に深い意味なんてないんだろうけど、と思いながらグラウンドの端でキャンプファイヤーが点火される様子を眺める。学園祭の締めは毎年キャンプファイヤーが恒例となっているのだ。点火もただ火を付けるだけではなく毎年工夫され、去年は弓道部が花火を矢を放って点火。今年は科学部による点火装置で火が灯された。
 大きく炎が燃え上がるのを眺めながら、その周りを囲むようにグラウンド全体を使ったダンスなんかも行われる。家族と踊る者、友達と踊る者、それからカップルで踊る人と見ているだけでもなかなかおもしろかったりする。


「クロウ先輩!」


 どうやら生徒会の仕事がひと段落ついたらしい後輩がこちらの姿を見付けて走ってくる。一応そっちは良いのかと確認すれば、あとは終わってからの片付けがあるだけらしい。ここからは生徒会のメンバーも生徒の一員としてこの中に混ざって学園祭のラストを楽しむ時間というわけだ。


「それで、何か俺に用でもあったのか?」


 わざわざ約束を取り付けたのだから何か用はあるのだろう。そう思いながら尋ねたクロウにリィンは「あ、いえ」と困ったように視線を彷徨わせた。
 その反応に疑問を浮かべたクロウだが、そのままリィンの言葉を待っていると「せっかくなら先輩と一緒に見たいと思って」という声が隣から聞こえてくる。予想外の発言に目を丸くしたクロウに「迷惑でしたか?」と青紫が見上げてくる。すぐに迷惑ではないと答えながら、しかしクロウは内心で深い意味はないんだろうが心臓に悪いと零す。


「あの、クロウ先輩。今日はありがとうございました」

「何だよ急に。礼を言われるようなことをした覚えはねぇけど」

「先輩と一緒に学園祭を回れて楽しかったので。そのお礼が言いたかったんです」


 それはやっぱり礼を言われるようなことでもないと思ったが、真面目な後輩らしいその発言をクロウは素直に受け取った。ついでにさっきのもそういう意味で言ったってことだろうなと思いながら、俺の方こそ一緒に回れて楽しかったぜと返せばそれなら良かったですとリィンは口元に緩い弧を描いた。


「結局最後までクロウ先輩には付き合ってもらってしまったので、ちょっと気になってたんです」


 出来るなら全部見に行ってみたいというリィンに付き合って、学園祭が終わるまでの時間で全部の場所を一緒に回ってくれたのだ。もしかしたらどこか行きたい場所があったり、恋人はいないというが同じクラスの友人と回りたいと思っていたものとかあったりしなかっただろうか。いくらクロウが最初に気にするなと言っていたとはいえ、最後まで付き合わせてしまっただけに流石に気になっていたのだ。


「そんなこと気にしてたのかよ。最初に言ったけど俺は好きでお前と回ってただけだぜ」

「でもクロウ先輩も最初から俺と回るつもりではなかったでしょう?」


 会長に会って頼まれたから来たのだと、休憩のことを伝えに来たクロウはそう言っていた。確かにそれはその通りだったのだが、あれはたまたま途中でトワに会ったからというだけの話であったことを言ってはいなかったなとクロウは思う。言う必要もないから言わなかっただけなのだが、どうするかなと考えたクロウはどうせ伝わらないだろうから良いかと元々の予定を話す。


「言っとくけど、俺は最初からお前ンとこに行くつもりだったぜ」


 言えばえっとリィンに聞き返される。だがそれは本当のことで、友人達と学園祭を一通り楽しんだ後。生徒会の仕事で忙しいであろう後輩の様子でも見に行こうかとそちらに向かっている途中でクロウはトワに会った。そこでリィンのことを聞き、最初から行くつもりではあったもののきちんとした理由を持って受付に向かうことになっただけのこと。要するに、仮に途中でトワに会っていなかったとしてもクロウはリィンのところへ行くつもりだったのだ。


「そうだったんですか」

「だからお前が気にすることなんて本当に何もないんだよ」


 そうかと納得しようとしたところで、それじゃあ先輩は本当は何の用事があったんですかと聞いてくるのだから困ったものである。まあここはそのまま「仕事熱心な後輩に学園祭の楽しさを教えてやろうと思ってな」と答えておいた。決して嘘は言っていない。だが、結果的にトワに頼まれたことと当初の目的が重なったとはいえる。
 そういう訳だから礼も謝罪も要らないのだと話す先輩に、つまりそれは自分のことを気に掛けていてくれたということではないのかとリィンは思う。それならお礼を言うのは正しいと思うのだが。


「クロウ先輩って…………」

「ん、どうかしたか?」

「いえ、やっぱり何でもないです」


 言いかけて止められると何を言おうとしたのか気になるものだ。何だよと追及するが、リィンは大したことじゃないのでとはぐらかした。このまま追及しても良いけれど、まあ良いかと思ったクロウはキャンプファイヤーの周りで盛り上がる面々を見て腰を上げる。


「さてと、お前もそろそろ目当ての女子を誘いに行った方が良いんじゃねぇの?」

「別にそういう人は居ないですから」

「へぇ?」


 意味ありげに疑問を投げれば、本当にそういう相手は居ないのだと繰り返された。お前はそうでも周りはどうだろうなと口にすればきょとんとした顔を見せるのだから、相変わらずこういうことには疎いらしい。それでこそリィンという気もするが、自分で振ったもののここでそういう相手が居ると言われても複雑に感じてしまいそうだなとどこか他人事のように考える。


「先輩?」


 つい黙ってしまったところで後輩が声を掛ける。何でもないように取り繕って「青春は短いんだから気を付けろよ」といつも通りの口調で言えば、それを言うなら先輩の方が年上なんだからと返ってくる。痛いところを突くなよと言い返せば、すみませんと笑いながら返されてクロウの口元にも小さく笑みが浮かぶ。


「じゃあ、精々残りの学園祭を楽しめよ」

「あっ、クロウ先輩!」


 いつまでもここに引き留めておくのも悪いだろうと思って行こうとしたところを呼び止められる。くるりと振り返ると、青紫の瞳がどこか真剣な色を浮かべているような気がした。


「…………クロウ先輩は、どこかに行ったりしませんよね……?」


 リィンのその言葉にクロウは驚愕する。どうしてそんなことを聞くのか。そしてそれはどういう意味の言葉なのか。数々の疑問が浮かぶけれど、それらを考えるよりも先にリィンの「すみません」と謝る声が頭に入ってくる。


「すみません、変なこと聞いて。今のは――――」

「行かねーよ」


 忘れてくださいとリィンが言うのを遮ってクロウが言う。真っ直ぐに後輩を見た赤紫は、そこにもう一度「どこにも行かない」と言葉を重ねた。


「クロウ先輩……」

「ほら、早くしねーと学園祭が終わっちまうぞ」


 お前も早く来いと呼ぶ先輩はいつもと何ら変わりはない。そんなクロウにリィンも頷いて数歩先に立つクロウの隣に並ぶ。
 そのまま二人でキャンプファイヤーの輪に近付けば、その近くに居た友人に二人して名前を呼ばれた。それからちゃんと楽しんでいるかと尋ねる友人にお互い肯定で返し、他の生徒達に混ざって後夜祭を楽しむのだった。








懐かしい思い出と大切な今と
何の変哲もない日常をこれからも共に