「トリックオアトリート!」


 歩いていると元気の良い声が耳に届く。そのまま視線をそちらに向ければ、教会の前で子供達が魔法使いやお化けなどの衣装を身に纏っている。
 そういえば今日はハロウィンだったか、と先程の台詞と子供達の格好から漸く思い出す。トリスタでも子供達にとってはお菓子をもらえる一大イベントなのだろう。片手に持っている籠には既に幾つものお菓子が入っているようだ。みんなとても楽しそうで、その賑やかな集団の中で一際目立つのは自分と同じ赤色の制服を着た銀髪の男。


「ったく、しゃーねぇな。ほらよ、これでどうだ」

「サンキュー、クロウ兄ちゃん!」


 どうやら一足早く学院を出ていたらしいこのクラスメイトは子供達に掴まったようだ。お決まりの台詞でお菓子を強請られ、ポケットから取り出したお菓子を子供達に配っている。


「よう、お前も帰りか?」


 どうやら向こうもこちらに気付いたらしい。片手を上げるクロウにリィンも「ああ」と頷きながら近付くと、子供達もリィンに気が付いたようで一斉に視線が集まる。子供達に囲まれるのもあっという間だった。そしてやはり、子供達の口から出てくるのはお決まりのあの言葉。


「あ、リィンさん!」

「リィン兄ちゃん、トリックオアトリート!」


 口々に同じ台詞を言い始める子供達にリィンも笑みを浮かべると、子供達と同じ視線の高さになるようにしゃがんで持っていたお菓子を一人ずつ渡していく。たまたま飴を持っていて良かったと心の中で呟きながら、それらを全員に配り終えると「ありがとう」と笑顔が返される。それにリィンも笑うと、上から「ほう」と感心を示すような声が降ってくる。


「お前がお菓子を持ってるって何か意外だな」

「たまたまだよ。そういうクロウはいつも何かしら持ってそうだな」

「疲れた時には甘いモンが良いんだよ」


 確かにそういう話はよく聞くけれど、授業中でさえ寝ているところを見るといつ疲れるんだと言いたくなる。思ったままに口にすれば、誰だって疲れる時は疲れるんだよとクロウは言い返してくる。それはそうかもしれないが、些か求めている回答とずれているような気がするのは気のせいではないだろう。
 そんなやり取りをしているとくすくすと笑う声が聞こえてきて、二人の視線はそちらを向いた。すると、今日も教会の手伝いに来ていたロジーヌが「すみません」と口元に手を添えたまま謝った。


「リィンさんとクロウさんは仲がよろしいですね」

「そりゃあ朝から晩まで一緒に過ごしてる仲だしな」

「寮もクラスも同じなだけだろ……」


 呆れたように溜め息を吐くリィンにロジーヌはつい笑みを零す。本当に仲が良いなと思いながら「お二人共、ありがとうございます」と彼女はハロウィンのお礼を述べた。そんなロジーヌに「今日はそういう日だからな」と返すクロウにリィンも同意する。わざわざお礼を言われるようなことでもないと。
 きっと、このイベントに参加した人達はみんな、仮装してお菓子を貰いに来る子供達を微笑ましく思っていたことだろう。リィンやクロウも同じである。その子供達はといえば、お互いに貰ったお菓子を見せ合っているようだ。


「さてと、そろそろ俺達は帰るとするか」

「はい、お気をつけて」

「それじゃあまた」


 二人が歩き出せば、後ろから子供達の「じゃあな!」「さようなら」という元気な声が聞こえてくる。大きく手を振る子供達にこちらも手を振り返し、二人は並んで第三学生寮への道を歩き始める。

 トリスタの街並みも十月も終わりになればすっかり秋の色に染まっている。立ち並ぶ木々は赤や橙へと色を変え、これからは徐々に寒さが増すようになってくることだろう。


「それにしてもハロウィンか。そういや去年もやってたな」


 一年前のことを思い出すようにクロウはそんなことを口にした。今は同じクラスメイトであるが本来なら一つ上の先輩、当然去年もクロウはこのトリスタでハロウィンを過ごしている。その時も先程のように子供達が仮装してお菓子を貰っていた。トリスタでは毎年の恒例行事なのだろう。


「へえ、じゃあクロウは去年も子供達にお菓子をあげたのか?」

「まあな。トワなんかはその為にお菓子を用意してたな」


 子供達がハロウィンをやると聞いてわざわざブランドン商店でお菓子を買い、それを子供達に配っていたトワ。クロウは今年と同じように持っていた手持ちのお菓子を、ジョルジュはおすすめのお菓子を子供達に渡し、アンゼリカもまたハロウィン用のお菓子をあげていた。
 クロウの話を聞いたリィンはその光景を想像して思わず笑みを浮かべる。すぐに想像出来てしまったその去年のハロウィンも子供達は存分に満喫したんだろう。勿論、お菓子を渡す側であった先輩達も。


「なんだか楽しそうな光景だな」

「こういうのは楽しまなきゃ損だからな。……そうだ! 寮に戻ったらお菓子貰いに回ってやろうぜ」


 今日はハロウィンだからと同じ第三学生寮で暮らす友人達の元を訪ねてはあの台詞を言って。果たしてお菓子を持っている友人はどれくらいいるだろうか。
 面白そうだと乗ってくれそうな人もいれば、逆にくだらないと一刀両断してくれそうな人もいる。けれど、せっかくのイベントなのだから楽しんでなんぼだろと隣を歩く友人は意気揚々と提案してくれる。


「また唐突だな。でも、悪戯は何をするつもりなんだ?」

「そりゃ相手によるだろ。男も女も一緒なんてつまんねぇし」


 トリックオアトリート、お菓子をくれなければ悪戯をするという意味だ。悪戯というからには限度があるわけだが、この友人は一体何をするつもりなのか。流石にやりすぎたことはしないだろうけれど、それでも学院祭の準備を思い出すと些か不安が残る。


「うーん、だけどハロウィンって子供のイベントだろ?」

「細けぇことは気にすんなよ」

「そうはいっても、お菓子を持ってる人なんてあまりいないと思うけど」


 だからこそ悪戯のしがいがあるんだろ、と話すクロウはとても楽しそうだ。しかし、ここで止めなければ止めなかったリィンにも飛び火してくる可能性がある。クロウが一人で怒られる分には自業自得だが、自分まで巻き込まれるような事態はリィンも回避したい。
 ここはやっぱり止めておくべきかと口を開けば、固いなとクロウは口を尖らせる。イベントは楽しむ為にあるんだよとそれらしいことは言っているが、それでもと食い下がればクロウも分かってくれたらしい。


「しゃーねぇな。今回は諦めてやるよ」


 その言葉にほっとしたのも束の間。赤紫の瞳がリィンを捉え、口角が持ち上げられた次の瞬間。


「Trick or Treat」


 子供達と同じ、けれどきちんとした発音でクロウはあの言葉を口にした。あまりに突然なそれにリィンはぽかんとする。それをクロウはにやにやと楽しげに笑いながら見ている。


「お菓子をくれなきゃイタズラだぜ、後輩君?」


 わざわざその言葉の意味を説明してくれる目の前の先輩に、一歩遅れて我に返ったリィンは「今は同輩だろ」と突っ込んで赤紫を見る。だがクロウはそれを「まあな」と流すだけでリィンの次の行動を待っているようだった。お菓子か、それとも悪戯か。


「……諦めるんじゃなかったのか」


 ついさっきそう言ったばかりだろうと言えば、あっさりと「お前くらい付き合ってくれても良いだろ」なんて返してくれる。続けて「どうすんだ?」と尋ねられるが、どうするも何もというのがリィンの心の内である。
 というのも、リィンは普段からお菓子を持ち歩いているわけではない。先程教会の前でも答えたように今日はたまたま持ち合わせていたというだけの話だ。そして、そのたまたま持っていたお菓子も全て子供達にあげてしまった。となると、お菓子か悪戯かという選択肢から必然的に前者は消えることになる。


「お菓子を持ってないなら、イタズラってことで良いんだよな?」


 おそらく、いやほぼ確実にクロウはリィンがお菓子を持っていないことに気付いているだろう。それでいてあえて聞いてくるのだから意地が悪い。だがしかし、お菓子を持っていないのは本当なのだから仕方がない。こちらも諦めてハロウィンに付き合おうと腹を括ることにする。


「……分かった」

「そうこなくっちゃな!」

「けど、何をするんだ?」


 リィンの返答を聞くなり嬉しそうな声を上げたクロウは、その次の問いに「そうだな……」と悪戯の内容を考え始める。数分前は相手によるなんて言っていたけれど、その相手がリィンの場合はどんな悪戯になるのか。
 あまり無茶なことは止めて欲しいと思いながら待つこと数秒。どうやら悪戯を思いついたらしいクロウは第三学生寮のドアを潜り終えたところで「リィン」と名前を呼んだ。


「ちょっとこっち来い」


 ちょいちょいと手招きをするクロウにリィンは警戒をしながらも二人の間にあった距離を詰める。すると、リィンが足を踏み出すなりクロウは片手でその腕を掴んで一気に自分の方へと引いた。


「っ!?」


 そして、唇に感じる柔らかな感覚。だがそれは一瞬のことで、銀糸はすぐに離れていく。
 青紫が大きく開かれるのを見たクロウは満足気に笑うと、掴んでいた腕を開放した。


「Happy Halloween」


 楽しいハロウィンを、そんな言葉を言い残してクロウは一人二階へと上って行った。
 残されたリィンはといえば、暫しの間固まっていたがはっと我に返ると先程触れた唇をさっと手のひらで覆う。顔に熱が集まっているのが分かる。いきなり何するんだ、何を考えているんだ。言いたいことは幾つもあるけれど、それよりもドクドクと高鳴るこの心臓は何なのか。








Trick or Treat

(彼はどういうつもりでこんな悪戯をしてきたのか。でも不思議と嫌ではなくて)
(また誰にでもこういうことをするのかと考えたら胸がモヤッとした。この気持ちは……)