ARCUSの実験に付き合って欲しいという依頼がリィンの元にやってきたのは今朝のこと。シャロンからの依頼であるそれはARCUSをよりよくする為の拡張機能を試したいとのことだった。どうやらその機能というのが戦術リンクに関するものらしく、リィンの他にももう一人協力者が必要であるとの旨も書かれていた。ちなみにアリサはラクロス部の練習があるようで、誰でも良いからもう一人探して欲しいということだった。
誰でも良いといっても殆んどが部活動に所属しているⅦ組の面々は既に第三学生寮から出払っていた。ARCUSを使える人となれば協力者はⅦ組メンバー、または去年試験導入に参加した先輩の誰かに限られてくるわけだが。
「それで俺ってワケか」
「クロウは部活もやっていないし、手が空いてそうだったから」
勿論忙しいのであれば他を当たるとリィンは言う。他といっても、誰かが部活を終わるのを待って協力してもらうことになるだろうが忙しいのであれば仕方がない。
そんなリィンにクロウは溜め息を一つ吐き、それから「わーったよ」と返事をした。特に何かをしていたわけでもなければ用事があるわけでもない。それでいて他に誰も空いていないとなれば引き受けない理由がない。
「けど、戦術リンクの拡張機能か。ぶっちゃけ戦術リンク自体が画期的な機能だと思うんだけど」
「そうだな。でもやっぱり技術者としてはどんどん良くしていきたいんじゃないか?」
まだ発展途上の導力技術に終わりはない。ここで満足してしまえば成長は出来ない。そういうことなんだろう。ARCUSの開発元の一つであるラインフォルト社は日々研究を重ね、成長しているというわけだ。そして今回の依頼をするに至ったのだろう。
「それは分かるけどよ、一体どんな拡張機能を開発したのかは全く想像出来ねぇな」
戦術リンクをを更に向上させる為のものであるのは間違いないがそれ以上のことはさっぱり分からない。クロウもリィンも技術者ではないのだから当然といえば当然だ。ARCUSを使っている立場から考えてみてもなかなか思い当たることはない。何せ今でも戦場では十分過ぎるほどの機能が備わっている。現状ではここがこうだったら良いのにという些細な点すら思い付かない。
これはもうシャロンに直接説明してもらうしかないだろう。ということで第三学生寮で待っているシャロンの元へ二人が向かうと、ドアを開けたそこで「お待ちしておりましたわ」と彼女は笑顔で迎えてくれた。タイミングがばっちりな辺りは流石である。
「クロウ様が協力してくださるんですね」
「俺は他の奴等と違って暇してたんで。でも、実験って何するんスか?」
「お二人にやって頂くことはそう難しいことではないですわ」
順を追って説明しますね、とシャロンはまず今回の依頼の経緯から話始めた。
今回、戦術リンクをより強固なものとするための機能が開発された。具体的には互いの考えていることが手に取るように分かるようになり、今まで以上の連携を可能にするという。所謂阿吽の呼吸というものをARCUSによって実現させるわけだ。
「今のARCUSでもお互いの動きを視て感じることが出来ましたが、今回のものは更にその上の能力がプラスされたと考えて頂ければ良いかと」
「なんつーか、とんでもない話だな」
「それで、俺達は具体的に何をすれば良いんですか?」
「今からお二人のARCUSにわたくしがその拡張機能を追加しますので、いつものように戦術リンクを試して頂けますか?」
魔獣を相手に十戦ほどして頂ければ記録は十分だとシャロンは話した。要するに自分達はいつも通りに魔獣相手に戦うだけで良いらしい。確かにシャロンの言った通り難しいことではなさそうだ。あとはARCUSに記録される結果からラインフォルトの方で実装に向けて改良していくらしい。
そういうことなら話は早い。二人はARCUSに開発中の拡張機能を付けてもらい、魔獣と戦うべく街道へと繰り出した。
□ □ □
「確かに、こりゃあ互いに考えてることが分かるな」
つーか分かるとかいうレベルの話じゃないんだけど、と思うクロウの横でリィンが苦笑いを浮かべる。
拡張機能が備わっているとはいえ、自分達のやることはいつも通りに戦うことだけだ。早速魔獣を見つけていつもと同じように戦ってみたわけだが、説明だけではよく分からなかった機能もいざ戦ってみるとその効果がよく分かる。この機能によってそもそもの戦闘面での性能自体も底上げされ、連携も上手く使いさえすれば向上出来ることはまず間違いない。何せ相手が次に何をするつもりなのか、全部ARCUSを通じて伝わってくるのだから。
「なあ、これは成功なのか?」
(失敗のような気もするんだけど)
「ここまでは想定していないと思うけど、シャロンさんに聞くのはこれを終わらせてからじゃないか」
(だから早いところ終わらせよう)
何だか声に出す意味がない気がするな、と考えるクロウにそれはどうなんだとリィンが突っ込む。けれど言わなくても通じてしまうのだからその必要性が感じられない。シャロンは互いの考えていることが手に取るように分かると言っていたが、手に取るようというレベルではないこれは幾ら何でも行き過ぎではないだろうか。戦術リンクというよりこれでは思考そのものがリンクしている。
(十時の方角から三体……牽制するから止めは任せる)
(ああ、分かった)
考えが分かるからといって声を出さないのはどうなんだと言ったばかりではあるが、クロウがこれではつい同じになってしまう。ここでリィンだけが声に出して返事をするのも変な話である。第三者が見たとすればこの光景も十分不思議なものに違いないのだろうけれど。
しかし相手の考えていることが全部分かってしまうというのも厄介な話である。余計なことは考えないようにしないとと思ったことも筒抜けだ。戦術リンクを解けば元通りなのだから今は戦闘に集中しろというリィンの意見は尤もだ。声に出さずにそんなやり取りをしながら、次来るぞと動きは止めていないのだから流石というべきか。それとも案外気にしていなかったりするのだろうか。
そう思ったところでこの状況で何も気にしないのは無理だろうとARCUSから伝わってきた。確かにその通りだが、やはり何とも厄介な機能である。声を出さないという点はある意味で有用かもしれないが、全部が相手にだだ漏れなのは如何なものか。それなりに親しい間柄ならまだしも、いや、それもそれでやりづらいことがありそうだ。
「これで最後か?」
クロウが怯ませたところをリィンが切り付け、辺りから魔物の気配が消える。戦闘回数も今ので丁度十回目だった筈だ。
そうだなとリィンが頷くとそれを聞いたクロウはあー終わったと大きく伸びをした。しかし疲れている様子は見られない。士官学院で武術訓練をこなしている二人にとってはこの程度の戦闘はちょっとした鍛練のようなものだ。これで戦術リンクの実験も終わり、残るはトリスタに戻ってシャロンに報告するだけだ。漸くこの厄介な状況からも解放される――わけだが。
(これで終わり、か)
(ちょっと勿体無い気もするが)
二人は思ってお互いの顔を見る。依頼は完了したとはいえ、先程戦闘を終えたばかりの今はまだ戦術リンクも繋がったままだ。つまり、今し方思ったことはお互い相手に筒抜けになってしまっているわけで。
「リィン君は先輩の考えてることが知りたいのか?」
にやにやと笑みを浮かべながら尋ねるクロウにそういうわけじゃないとリィンは否定する。ついでに今は後輩ではなく同輩だと付け加えておくが、細かいことは良いだろうとそんなことはさっさと流されてしまう。そして「これを使えば何考えてるかすぐ分かるもんな?」と明らかに楽しんでいるクロウにリィンはもう一度そういうわけじゃないと言葉を繰り返した。
すると今度は照れるなとARCUSから通じてきた言葉に照れてないと同じく心の中で返す。けど人っていうのはちょっとミステリアスなくらいが丁度良いというクロウの思考に内心で溜め息を吐く。言うまでもないがこれらは全部相手に伝わっている。全く良いのか悪いのか。少なくとも戦術リンクの使い方としてこれが間違っていることだけは確かだ。
「そういうクロウはどうなんだ」
似たようなことをクロウだって思っていたはずだ。自分にばかり聞いているけれどクロウはどうしてあんなことを思ったのか。
リィンの問いにクロウはきょとんとした顔をする。それから何でって……と思った後に口を開く。
「これがあれば素直じゃないお前の考えてることが分かるからな」
何でも自分一人でやろうとするとことかあるし、というクロウの言葉にはリィンも返す言葉が見つからない。別に無理はしていないのだが、それはもう性格というやつだろう。
だからもう少しくらいこのままでも良いかもななどと目の前のクラスメイトは考え出す。言葉ではクロウ相手に勝ったことのないリィンだが、言われっぱなしもどうかと思って赤紫を見る。
「それを言うなら、クロウはいつも何考えてるか分からないだろ」
それがさっき思ったことの理由であると理解するのにそう時間はかからなかった。リィンの発言に「そうか?」と疑問を浮かべながらそんなことないだろと思っている友人に、そんなことがあるから言っているんだとはリィンの心の内。
「クロウってあまり自分のことを話さないし、人を頼ることもしないだろ」
金欠だからお金を貸して欲しいとかは言うけれど、もっと根本的なところで頼ることはないように感じる。そんなことはないと再度否定されるが、先輩だからとかそういうのを抜きにしてもクロウに頼られた覚えはリィンにはない。それこそ要領が良いから単純に頼るほどのことがないだけなのかもしれないが、クロウが何を考えているか知りたいというのは強ち間違っていないのかもしれないとここにきて思う。
(何を考えてるかって言われてもな……)
リィンが思ったそのことに対してクロウも考える。声に出していなくても通じてしまうのだから自然と考えてしまうのだ。だが急にそんなことを言われても特に思い浮かばず、授業中なら早く終わらないかなとかそういうことじゃねーのと何とも適当な言葉が伝わってくる。どうせ気にするなら気になる女にすりゃ良いのにとも伝わってきて、クロウだって大切な仲間なんだから知りたいと思うことは悪いことじゃないだろとリィンは返した。またお前はそういうことをと思って、今回は言ってはないかと思い直す。何のことだと首を傾げるリィンは相変わらずだ。
野郎のことなんて知ってどうするんだよと思いながら、余計なことは考えないように努める。しかしそれも相手に伝わってしまうので何かあるのかと疑問が返ってきて、特別何かあるわけではないけれどと答えておく。全部が伝わると思ったら身構えもするだろうと、思ってふと気付く。
「とりあえずこれ切るか」
これはこれで使い道はあるが、ボロが出る前に切っておいた方が安全なのは間違いない。そう思ってARCUSを開くとクロウはさっさとリンクを切る。
(これで平気、だよな?)
リィンが止める間もなく操作をしたクロウによって戦術リンクが切られると同時に今まで伝わってきた思考も読めなくなる。どうやら無事にこの拡張機能も停止したようだ。リンクを切ったのだから当然なのだがそのことにほっとする。これで漸く変に気を張らないで済む。こう思ったことが伝わっていたらやっぱり何かあるのかと言われそうなものだが、戦術リンクは切られているからそんな心配はない。
「依頼も達成したし、とっととシャロンさんのところに戻ろうぜ」
「…………そうだな」
明らかに何かを言いたそうではあったがリィンも頷く。一度切ってしまった戦術リンクをわざわざ繋ぎ直す理由はない。仮にそれをやったとしても別に文句は言われないだろうが、そんなことをする目的はバレバレだ。からかわれるのは間違いないしそこまでしたいわけでもない。第一、これが依頼である以上はクロウの言うように早く報告に行くべきだろう。
――といっても、歩きながら話していた為に第三学生寮はもうすぐそこだ。とりとめのない話をしているうちに寮へ着き、扉を開けるとやはりシャロンが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませリィン様、クロウ様。お疲れ様でした」
一礼をしてにこっと笑ったシャロンにリィンは早速依頼の報告をする。戦闘面では確かに機能が上昇していたこと、驚くほどに互いの思考が通じ合っていたことも全てそのまま報告する。その上で記録を取っていたというARCUSもシャロンに渡す。
報告を受けたシャロンは少し考えるようにしながら一先ずARCUSの記録を確認する。その記録に一通り目を通し、それからシャロンは今回の依頼を引き受けてくれた二人へと視線を戻す。
「ARCUSを向上させる為の拡張機能とはいえ、そこまでのものではなかった筈です。ですがこれを見る限り、拡張機能は正常に動作していたようですわ」
「えっ、と……つまり予想外の効果まで発現したということですか?」
「そうかもしれませんが、お二人の絆が強すぎて起こってしまった現象……という可能性も考えられるのではないかと」
「シャロンさん……」
流石にそれはないだろうという意味合いを込めて言うが、シャロンはあらと首を傾げて有り得ない話ではないと言った。何せこの戦術リンクは相手との絆が強ければ強いほど効力を増す。誰が試しても同じ結果だったならこの拡張機能の効果、しかし他の人で試してその効果が発現しなければリィンとクロウの絆がそれだけ深いという話になる。
これについては試してみなければ分からないが、今回二人が協力したデータはラインフォルト社の方に送られる。この結果から開発者による検証が行われ、再び実験を行うとしてもそれは少し先の話になることだろう。
「ともかく、今回の依頼はこれで終わりになります。お二方共ご協力感謝致しますわ」
これはほんのお礼ですとクォーツが渡される。ありがとうございますとリィンがそれを受けとるとシャロンは一礼して厨房の方に向かった。第三学生寮の管理人として色々とやることがあるのだろう。
「結局あの現象については分からず仕舞いか」
シャロンが去ってしまったところでクロウがぽつりと呟く。そうだろうなとは思っていたからやっぱりというのがクロウの内心だ。元から搭載させるつもりの機能だとしたら何を考えているんだといいたくなるレベルの機能だ。画期的ではあるが流石に行きすぎである。これが見落とされていた機能の一つでもリンクレベルによるものでも調整されることになるのだろう。
そうはいってもどちらによるものかが分からなければいけないのだろうし、そうなってくるともう一度この機能を試すことになるのはほぼ間違いない。その時にどんな結果が出るかは分からないが、こんな現象が起こる可能性があると言ったら協力は遠慮したいという人も出てきそうなものだ。だが誰かしら協力はしてくれるだろう。
「シャロンさんはああ言ってたけど、お前はどっちだと思う?」
あの現象が今回の機能に付加されている機能なのか、それとも絆の深さによって起きる現象なのか。このどちらなのかは分からなくとも、そのどちらかであることは確実だ。
「どっちって言われてもな……」
「ただの予想なんだからあんま難しく考えんなよ。まあ無難に考えればこの拡張機能に元からついてる現象だな」
この機能を開発した技術者達は実際にARCUSを使って実験をしていない。それをやったのがリィンとクロウだ。だからこそ隠れていたこの機能に気付かなかったという線は十分に有り得る話だ。だが、シャロンのいったようにARCUSにリンクレベルというものがある以上は絆の深さに関係しているという線も捨てきれない。果たして正解はどちらだろうか。
「そうだな……俺もこの機能も初めからついていたと考えるのが妥当だと思うけど」
「けど?」
聞き返すと青紫が赤紫を真っ直ぐに見た。それから小さく笑みを浮かべてリィンは続ける。
「クロウとなら、そうだったとしてもおかしくないかなと思ってさ」
予想外の言葉にクロウは目を丸くさせた。本当にこいつは思いながら、口角を持ち上げたクロウは「確かに俺達は深い仲だもんな」なんて意味有り気に話す。別に変な意味はないと言うリィンに、変な意味って何だと言い出したクロウはどう見てもリィンをからかっている。こういう時こそ例の機能が役立つだろう。
しかし残念なことに開発途中のあの機能は依頼を終えた時にシャロンによって外されてしまった。尤も、シャロンはこのまま活用して頂いても構わないと笑ったのだがこちらが辞退させてもらったのである。良い点もあるとはいえ扱い方が難しすぎる。けれど例の現象も悪いことばかりではないと感じたのも事実である。そのようなことは声に出さないけれども。
「やっぱり、もう少しくらいあのままでも良かったかな」
「ったく、リィン君はオレ様の何が知りたいんだろうな?」
「とりあえず今考えてることを知りたいな」
言えば、依頼も終わったし遊びに行こうかと考えていると返ってくる。おそらくそれも嘘ではないのだろうが、リィンが求めている答えはそれではない。けれどその答えをクロウが言わないだろうことは分かりきっている。だからリィンもそれ以上は聞かない。気にならないとは言わなくても、無理に聞きたいとも思わないのだ。こういうのは無理に聞くものでもないだろう。
「さてと、俺はそろそろ行くけどお前は?」
「俺はまだ依頼が残ってるから」
「相変わらずよくやるな……。ま、手伝いが必要ならいつでも呼べよ」
「ああ、ありがとうクロウ」
手をひらひらさせて寮を出ていくクロウを見届けてリィンも再び寮を後にする。残る依頼はあと一つ、早いところ片付けてしまおうと次の依頼主の元へ急ぐ。
トリスタの街を歩きながら、青年はふと立ち止まって空を見上げる。
別々の場所で同じ空を見上げた二つの瞳に映ったのは綺麗に澄んだ青。思い浮かべるは自分とは少し違った色味を持つ紫色。
(多分、バレなかったよな)
(まさかあんなことになるなんて)
考えていることが相手に伝わってしまうという状況下でなんとか隠し通した感情。考えないようにと思って逆に伝わってしまうなんてこともなかったはずだ。もしそんなことになっていたとしたら突っ込まれているだろう。だからバレてはいないと思うのだが、なかなかに大変な時間だったなとつい数十分前の出来事を振り返る。
(でも)
(もし)
今回の出来事でうっかり相手にバレてしまったとしたら。相手はどういう反応をしただろうか。
そこまで考えて思考を中断する。そんなことはわざわざ考えなくても予想は出来るかと思って止まっていた足を進めた。同じことをこのトリスタの別の場所で相手も考えているなんて知る由もなく。
繋がる心、伝わる気持ち
その中で隠し通したモノ、二人がそれを知るのは遠くない未来の話