ガチャと扉が開く音がしてそちらを振り向く。そこには両手いっぱいに紙袋を抱えたアンゼリカの姿があった。紙袋の中には可愛らしい小包。その中身が何なのかは今日が何の日かを考えれば想像に容易い。
本日は二月十四日、所謂バレンタインデーだ。
チョコレートに想いを乗せて
「今年も凄い量だね、アン」
一体その紙袋の中には幾つのチョコが入っているのだろうか。バレンタインというのは女の子から好きな男の子へチョコを渡すイベントというイメージが強い中、これだけのチョコを貰っているアンゼリカは女子生徒から相変わらずの人気らしい。もしかしたらこの学校で一番チョコを貰っているのではないだろうか。そうだったとしても不思議ではないほどのチョコが入った紙袋がテーブルの上に置かれる。
「そうかい? まあこれくらい普通だろう」
「それが普通だったら世の中の男子はみんな泣くぞ」
世の中にはチョコが一個貰えるかどうかの男子もいるというのに、これが普通なわけないだろうと暗にクロウは主張する。この量を基準にされたら世の男性諸君はどうしたら良いのか。今もこの士官学院のどこかではチョコが貰えずに寂しい思いをしている生徒がいるかもしれないというのに。
全く、バレンタインは女子から男子に渡すというそれはどこにいったのか。勿論その限りではないのだが、そういうイメージが強いはずなのにこの士官学院ではその様子が全然見られない。中にはそういったバレンタインを過ごしている人達もいるのかもしれないが、これを見てしまうと何とも言い難いものがある。
「そうは言っても、君達だって貰っていないわけではないんだろう?」
「まあ、いつものお礼にって貰ったりはしたかな」
「お礼なら良いじゃねーか。俺なんて余ったからあげるって言われたぜ」
義理チョコだって渡されるより酷くないかと話すクロウにアンゼリカは貰えただけ良かったじゃないかと言う。余り物だとしても女の子が頑張って作ってくれたものじゃないかと。
それはそうかもしれないが、余ったからというのは如何なものか。贅沢を言うものではないとアンゼリカは言うけれど、本命チョコを幾つも貰ってる奴に言われてもとはクロウの心の内。貰えるだけでも有り難いことであるのは確かだが。本当にコイツは男の敵だなと零せば、私が彼女達を愛しているだけだよとさらっと言えるのは流石である。
「だが、本命チョコも一つくらいは貰ったんじゃないのか?」
からかうつもりではなく、純粋に思ったままに言ったそれに何の反応もなかったことにアンゼリカはおやと首を傾げる。これはもしかしてとジョルジュへ視線を向ければ苦笑いが返ってくる。
どうやら、この友人は肝心の本命チョコをまだ受け取っていないらしい。実はアンゼリカが来る前、ジョルジュはクロウのそんな愚痴を聞かされていた。まだバレンタインは終わったわけじゃないんだし、と話していたところでアンゼリカがやってきたのだ。
もしかしたらこれは意図せず追い打ちをしてしまったかなと思いながら、けれど相手がクロウなら別に良いかとアンゼリカは軽く流す。心配せずともこの友人が本命チョコを一つは貰えることを彼女達は知っているのだ。知らないのは本人くらいだろう。
「まだ本命がやってくるかもしれないんだ。元気を出したまえ」
「……つーか、お前は誰かにチョコあげたのかよ」
「私にとってバレンタインはプレゼントを贈る日ではなく貰う日だからね」
すぐにそう答えたアンゼリカに「あーそうですか」とクロウは適当に相槌を打つ。おそらくこういう答えが返ってくるだろうなとは思っていたのだ。バレンタインは女性から男性にチョコを贈るというだけの日ではないのだが、そのイメージが強いだけに彼女にとってはどうなのか疑問に思ったけれど聞くまでもなかったらしい。学校中の男子が寂しい思いをするわけだ。
クロウがそう思っていたところで「だが」とアンゼリカは切り返す。
「トワにチョコを交換しないかと言われてね。今年は私も厨房に立ったよ」
予想外の言葉にクロウは意外そうな声を上げた。そんなクロウの前に小さな袋を一つ差し出される。赤紫の双眸はそれを不思議そうに眺めた後、視線を上げて碧眼を見た。
「余分に出来たから君にもあげるよ」
その視線だけで友人の言おうとしていることを理解したアンゼリカはそう付け加えた。あえて“余分に”と付けるあたりが少し気になったがクロウもここは素直に礼を言って受け取る。余分に出来たというよりはついでに作っただけなんだろうが、それでもこうして用意してくれたのだから感謝するべきだろうと判断した。
しかし、一つしかないそれに「ジョルジュはもう貰ったのか?」とクロウは目の前に座る友人に尋ねる。すると彼は照れたように笑いながら「まあね」と頷いた。ジョルジュには今朝会った時に渡したよと横からアンゼリカも付け足す。
「へえ? そうなのか」
「導力バイクのことで相談したいこともあったからね」
「これで前より性能は上がるはずだけど、また一段と扱い辛くなったかな」
アンならすぐ乗りこなすだろうけどと話すジョルジュに当然だと隣で彼女は頷く。今は後輩の元にあるバイクもアンゼリカが乗りやすいようにと随分扱い辛い代物になってしまったが、今度のバイクも前と変わらないか下手したらそれ以上の物になっているらしい。今回もクロウやトワも協力して作り上げていたが、何か思いつく度に改造を重ね、どこまでいくのかは本人達のみぞ知るといったところだろう。
そのままバイクの話を始める二人を眺めながら、これはやはりもしかするのかなとクロウは一人考える。おそらく朝渡したというチョコも本命なのだろう。二人は何も言わないが傍から見れば一目瞭然、結構お似合いだよなと思ったところでガチャっと技術棟のドアが開く。
「あっ、やっぱりみんなここにいたんだね!」
茶色い髪を揺らしながら技術棟を訪ねて来たのはお馴染みのメンバーの最後の一人。みんなここにいると思った、というトワの予想は大当たりだ。といっても、いつからか放課後になれば自然とここに集まるようになっただけなのだが。かくいうトワも生徒会の仕事がひと段落ついたところで自然とここへ足を運んでいたのだ。
「やあトワ。生徒会の仕事は終わったのかい?」
「まだちょっと残ってるけど少し休憩しようと思って。あ、そうだ」
そう言ってトワは手に持っていた紙袋から綺麗にラッピングをされた小袋を取り出した。それが何か、というのはわざわざ聞くことでもないだろう。
にこっと笑みを浮かべたトワから「はい、これみんなに!」と渡されたそれはバレンタインのチョコレート。
「流石私のトワ、なんと可愛らしいチョコなんだ。これは大事に飾っておかないといけないね」
「もう、アンちゃんったら……。ちゃんと食べないとダメだよ!」
「食べるなんて勿体ないが仕様がない。それじゃあじっくり味わって食べることにするよ」
本気で残念そうにするアンゼリカにジョルジュは苦笑いを零し、その向かいに座るクロウは溜め息を吐く。しかしこれも自分達にとっては日常茶飯事のやり取りだ。
トワから受け取ったチョコを大事にしまいながら、アンゼリカもトワにチョコレートを渡す。それをトワも嬉しそうに「ありがとう」と受け取る。友チョコというのは本命チョコとは違う楽しみというものがあるのだろう。精一杯作ったチョコをただ男の子に渡すだけではなく友達と共有して楽しむ、最近は徐々にそういうのも増えているらしい。
「本当、ゼリカは相変わらずだよな」
「フッ、褒めたって何も出ないよ」
褒めてねーよとすかさずクロウが突っ込む。おそらく友人のこれは卒業してからも変わらないのだろう。ARCUSの試験導入などでルーレに行った際に聞いた話からしても彼女は昔から変わっていないようだった。数年後に会っても同じだろうことは容易く想像出来る。
けれど、卒業して別々の道に進んだら暫くこの面子で会うこともなくなるのかと思うと少しばかり寂しい気もする。一年の時からの腐れ縁でなんだかんだで一緒にいることも多かったのだ。だが、決して会えなくなるわけでもない。そう考えると、あまり深く考えることでもないかという気がする。
「あ、クロウ君。もし時間があったら、この後生徒会室に資料を運ぶの手伝ってもらっても良いかな?」
「おう、良いぜ。卒業も近いってのに、トワはトワで相変わらず忙しそうだな」
卒業するまで残りひと月ほどしかないというのにそんなにやることがあるのかと問えば、引き継ぎもあるからもう暫くはこの調子だという。しかし、これでもそこまでの量ではないと言えるのだから流石である。
そんな二人のやり取りを眺めながら「さてと」とアンゼリカはゆっくり腰を上げる。
「それなら私達もそろそろ今朝の続きを始めるとしようか」
「そうだね。じゃあ僕は工具を取ってくるよ」
ああ頼むよと言って足を進めるアンゼリカは、トワの横を通り過ぎる際に小さくウインクをして見せた。その意味を悟ったトワはほんのりと頬を赤く染める。だがトワが何かを言う前にアンゼリカは外へ出てしまい、素早く工具を取り出したジョルジュもまた導力バイクの置いてある外へと行ってしまった。
技術棟に残されたのはトワとクロウの二人。といっても、こちらも二人で生徒会室に資料を運ぶという話になったところだ。こっちも行くかとどちらともなく立ち上がると、そのまま資料のある図書館へと向かうのだった。
□ □ □
「ありがとう、クロウ君。助かったよ」
図書館で資料を集め、それらを持って学生会館の生徒会室へ。手伝って欲しいと頼んだトワの手には三冊の本、残りは今クロウがテーブルの上に置いた本の山がそうだ。
もっと持てるとトワは言ったのだけれど、別にこれくらいどうってことないんだから任せておけとクロウが先にこの山を持ってしまったのだ。実際クロウにしてみればこの程度の量など軽いもので、トワが持っている分も持つことは出来たのだがそこまでは彼女も許してくれなかった。けれど、お蔭で随分と助かったのは確かだ。これを小柄なトワが一人で運んでいたらかなり大変だっただろう。
「このくらいお安い御用だぜ。また何かあった時は声掛けろよ」
「うん、その時はまたお願いするね」
こうやって生徒会の仕事をする彼女を手伝うのももう引継ぎが終わるまでの数えるほどしかないのだろう。だが手伝いが必要な時はいつでも手を貸すと言ってくれるクロウにトワは感謝する。人に物やお金を借りたりすぐギャンブルをしようとしたりする彼だけれど、困っている時にはすぐに手を貸してくれる。さり気なくこちらを気遣ってくれたり、ふとした瞬間の優しさにもいつも助けられている。
しかし、そうやって彼や他の友人達と笑って過ごせる時間は残り僅か。時間は待ってはくれないし、卒業までは限られた時間しか残っていない。
伝えられる機会はもう多くない、だから。
「あの、クロウ君」
意を決して呼び掛けたトワの声にクロウはそちらを振り向く。すると、自分を見上げる黄緑色の瞳と目が合う。少しばかり顔が赤いような気がすると考えていると、トワは持っていた紙袋の中からごそごそと何かを取り出した。
「手伝ってくれたお礼……っていうわけじゃないんだけど。よかったらこれも貰ってくれないかな?」
そう言って差し出されたのは先程貰ったのとは違うラッピングの小袋。だが話の流れからしてこれもチョコレートなのだろう。
目の前に差し出されたそれと黄緑を交互に見た後、クロウはそれを素直に受け取った。クロウがチョコを受け取ってくれたことにトワはほっと息を吐く。お礼というわけではないと言ってしまった手前、さっき貰ったからと断られたらどうしようと思っていたのだ。
「サンキュー。けど、こんなに貰っちまって良いのか?」
「うん。クロウ君に貰って欲しいんだ」
バレンタインの贈り物には様々な意味がある。その中でも特に有名なのが女性から男性へ、好きな人へと贈るというものだ。このバレンタインという機会に告白をするという人も少なくない。帝国でもそういったイベントだと考えている人は多い。
そして、トワが渡したこれも特別な意味合いが込められている。バレンタインという気持ちを伝える機会だからこそ、精一杯の気持ちを込めて作った贈り物。お返しが欲しいとかではなく、ただ純粋にトワがクロウに贈りたかったのだ。彼にしか渡すことの出来ない、ただ一つのチョコレートを。
「……………………」
クロウは、トワから受け取ったチョコをじっと見つめる。ちらりと視線を上げれば、頬を朱に染めたままのトワがこちらを見ている。
今日が何の日で、それがどういう日なのかということは当然クロウも知っている。余り物と言われたチョコについてジョルジュに愚痴を零しながら、貰うなら本命が欲しいなんて話もしていた。そう言いつつも好きな人はいるから、本音は好きな人から貰えるなら何でも良いというのが正しかったのだけれど。
「……あのさ、一つだけ聞いても良いか?」
どうしようかと迷った末にクロウはゆっくりと口を開いた。トワがそれに頷くのを確認して、たっぷりと数秒ほどの間を置いてから尋ねる。
「こういうことされると期待しちまうんだけど……良いの?」
そう尋ねたクロウの頬にも朱色が乗る。けど、バレンタインというのはそういう意味合いが強いイベントだ。女の子からチョコを、それも友人達とは別に貰って欲しいなんて渡されたら男はすぐ勘違いをする。好きな人から貰ったのなら尚更、都合よく解釈してしまいそうになる。
だからクロウはトワに尋ねたのだ。そういう意味だと受け取ってしまっても良いのかと。違うのならわざわざこんなことをしないんじゃないかとも思ったけれど、そこに確信が持てないから。でも。
「………………良いよ」
クロウの問いにトワが答える。だって、そういう意味で渡したのだから。好きだから、そう受け取って貰って構わない。むしろそう受け取って欲しい。
黄緑と赤紫がぶつかる。だがお互いに相手の顔を見ていられなくてどちらともなく視線が外れる。顔が熱い気がするのは、きっと気のせいではないのだろう。
「…………そうか」
「……うん」
ここまでくればクロウもトワの気持ちを理解する。逆もまた然りで、この反応を見ればトワも彼が自分をどう思っているのかなんとなく分かった。
目の前の友人が好きだ。
それはクロウが長いこと抱いてきた気持ちであり、トワが内に秘めていた想いでもある。今日までそれを伝えたことはなく、友人として好かれていることは分かっていたけれどそれ以上のことは知らなかった。そうなってくれたら良いのに、とは思ったことがあるけれど。
「トワ」
見上げた先の赤紫はトワの姿をしっかりその瞳に写していた。二人の間に落ちた沈黙を破った彼はそのまま続ける。
「その、ホワイトデーはちゃんとお返しするから。楽しみにしてろよ」
そう話すクロウにトワの口元は自然に弧を描いた。それから「楽しみにしてるね」と笑えば、クロウも小さく笑みを浮かべる。任せておけと笑う彼はいつも通りで、仕事頑張れよと言って生徒会室を後にした彼をトワは静かに見送った。
パタンとドアが閉まり、板を一枚挟んで二人は思う。今が凄く幸せだと。胸がいっぱいで、とても温かいこれは幸せの証。
Haappy Valentine
(わたしはクロウ君が好き)(俺もお前が好きだ)