「退屈だな……」


 ぽつり、部屋の中に零れた音。
 その声に反応するようにそちらを振り向くと、同室の先輩がベッドの上で雑誌を広げていた。


「それなら宿題を片付けたらいいんじゃないか?」

「そういうことじゃねーんだよ」


 春休みが残り一週間となった今。宿題もやらなければいけないことだとは思うのだが、クロウが言いたいのはそういう意味ではないらしい。
 まあ宿題が終わらなくて困るのはクロウ本人だ。クロウがいいというのならそれに関してリィンがとやかく言うことはない。再びワークの問題に取りかかろうとしたリィンの手は、次のクロウの言葉で再び止まる。


「そういや、今日はエイプリルフールだな」


 ふと、思い出したかのようにクロウが言う。
 エイプリルフールといえば、嘘を吐いていい日として世間に知られているイベントだ。例えば、空から槍が降ってくるなどという有り得ない嘘もありだ。幾ら何でもそれを信じる人はいないだろうが、今日はそういう日である。

 ――そこまで考えたところで、リィンは嫌な予感がした。


「なあリィン、ちょいとゲームをしようぜ?」


 ニィと口角を持ち上げたこの先輩が何かよからぬことを考えているだろうことはすぐに理解した。伊達にこの一年間、ルームメイトとして付き合ってはいない。
 しかし、一体何のゲームをするつもりなのか。残り少ない宿題を片付けることを諦めたリィンはワークを閉じてクロウに向き直る。クロウはゲーム全般が得意ではあるが、先程の発言からおそらくはエイプリルフールに関することだろう。けれど。


「……賭け事なら付き合わないぞ」

「まだ何も言ってねーだろ。だが、それなら負けた方が勝った奴の言うことを一つ聞くでどうだ?」


 何もないのはつまらないと友人は主張する。リィンとしてはそんなことはないと思うのだが、賭け事ではないのなら付き合ってもいいだろうか。
 まだ何も言っていないと反論した様子から最初は賭ける気だったんじゃないかと思わなくもないが、そこは触れないでおくことにする。


「それならいいけど、何をするんだ?」

「そうだな。今日は嘘を吐いていい日だし、どっちがより上手く相手を騙せるかでどうだ?」


 要するに嘘つき大会をしようということらしい。やっぱりエイプリルフールに関することだったなと思いつつ、でもどうやって相手を騙せたかを判定するのかと考える。
 そんなリィンの疑問に答えるべく、続けてクロウはルールの説明をした。


「絶対に有り得ない嘘を吐いたところで騙せるワケもねぇし面白くもない。だから吐いていい嘘は現実でも有り得る嘘だけ。あと、ゲームにならねぇから最低でも一つは嘘を吐くこと。んでもって、どれだけ騙せたかは最後に答え合わせをする」


 もちろん、そこで嘘を吐くことは禁止。これらはゲームを成立させる上で最低限必要なラインだ。
 制限時間は午前中一杯。それは海外では嘘を吐いていいのは午前中までというルールがあることと、一日中気を張っているのも疲れるからとのことだ。


「それと答え合わせの時は相手が何の嘘を吐いたのかを答える。運も実力のうちではあるが、今回は正々堂々といこうぜ」

「分かった。とにかく昼までにクロウを上手く騙せばいいんだな?」

「まあそういうこった。じゃあ始めるぜ」


 真面目なリィンがどんな嘘を吐くのか楽しみだ、とクロウは笑う。
 そんなことを言われても困るのだが、クロウによるスタートの合図でいよいよゲームが始まった。


「春休みといえば、そろそろ花見に行くのもいいんじゃねーか?」


 相手が嘘を吐くと分かっていれば始めから身構えてしまう。けれど、クロウから投げかけられた問いはごく普通のものだった。
 時期に満開になるだろうし、と話すクロウの発言がここから全て嘘ということは流石にないだろう。これが嘘だったらこの先ほぼ全ての会話が嘘になりそうなものだ。あれだけルールをきちんと決めたクロウがそんなことをするはずがないだろうとリィンもここは普通に返した。


「そうだな。今年は週末には見頃になるって話だったか」

「そうそう。だから見に行かねえ?」

「俺は構わないよ。けど、他にも誰か誘うのか?」


 聞けば、そうだなとクロウは考え始める。どうせなら多い方が楽しいだろうけど春休みなんだよなと話すのは、みんなの予定が分からないからだろう。事前に約束をしているならまだしも、そうでなければ予定が埋まっている可能性は高い。春休み真っ只中となれば尚更だ。
 空いてる人たちを誘うか、一番の見頃は過ぎてしまってもみんなに声を掛けるべきか。少なくとも自分たちは週末に予定がないわけだが、これはなかなか悩ましい問題だ。


「お前は昼と夜、どっちが好きだ?」

「どっちとかいう以前に夜は難しくないか?」


 太陽の下で見る桜の花も、月明かりの下で眺める夜桜も、どちらも違ったよさがあることは知っている。
 けれど二人は寮暮らしだ。きちんと申請をすれば夜にも出掛けられるとはいえ、ここは普通に昼間の桜を見に行く方がいいのではないだろうか。リィンはそのように考えたのだが、どうやらクロウは違ったらしい。


「別に無理ってことはねえんだから両方見るのもいいだろ? 何も遠くの桜の名所まで行くワケじゃねーし」

「それはそうだけど」

「今週末は夜桜、来週は他のヤツ等にも声かけて昼に花見をするってのはどうだ?」


 そうすれば昼と夜の違った桜を両方とも楽しむことができる上にみんなの予定を合わせやすい。一石二鳥だと話すクロウの提案を断る理由は特に思い当たらなかった。


「そうだな。でも、クロウってそんなに桜が好きなのか?」


 彼の提案に頷きながらふと気になったことを尋ねる。リィンも春の訪れを感じさせる桜の花を見ることは好きだ。桜の蕾が膨らみ始めているのを見つけるとつい足を止めてしまう程度には、毎年この花が咲くのを楽しみにしている。
 お花見をすることも好きだが、大抵は年に一度くらいで終わる。それは満開の桜を見られる時期が限られていることが大きな理由なのだが、それでもクロウは二回分の予定を立てた。それはやっぱりそういうことなのだろうかと思ったリィンに「嫌いじゃねえよ」と彼は答えた。


「こういうのは何度見てもいいものだろ。桜はこの季節にしか見れねえし、片方だけなんて勿体ないだろ」


 今見ておかなければ次は一年後だ。どうしても見られない事情があるなら別だが、そうでないのなら見ない理由の方がない。そのように話すクロウを意外に思いながらもそういう考え方もあるかとリィンは納得した。

 本当に桜が好きなんだな、と。思ったところで不意にリィンは思い出す。
 そういえば今はクロウが持ちかけたゲームの最中である、と。

 こんなことで嘘を吐く必要はないが、このゲームに勝つためには実際に有り得る嘘をさりげなく吐く必要がある。
 もしかしたらこの話のどこかにも嘘があるのではないか、となんだか疑心暗鬼になってしまう。


「どうした?」


 急に黙ったリィンが気になったのだろう。短く問い掛けたクロウの表情は普通だが、彼には今までに何度も騙されているから表情だけで嘘かどうかを見抜くことはできない。
 それに加えてクロウはポーカーフェイスも得意だ。というか、今更だがこのゲームは条件が同じようでクロウの方が圧倒的に有利ではないかとリィンは考える。普段からよく嘘を吐く――と言ったら失礼だが、よく冗談を言ったりするクロウと嘘や冗談をあまり口にしないリィン。スタート地点から差があるように感じるのは気のせいではないだろう。


「……このゲーム、クロウの方が随分有利じゃないか?」


 今し方思ったことをそのまま伝えれば、クロウはきょとんとした表情を浮かべる。それからすぐに「そんなことねーよ?」と答える。


「こういうのは逆にお前みたいなヤツがしれっと嘘を吐いた方が分からねえモンだぜ?」


 お前だってすぐに顔に出るわけでもないだろうとこのゲームの対等性を主張される。あとは互いの駆け引き次第だと。
 そう言われてもいまいち納得できないところはあるが、一度始めたゲームを止めると言うつもりはない。一応ルールそのものは対等でもある。あとはクロウの言うように、どんな嘘を吐くかだろう。


「つーワケだから、お前も頑張って嘘を吐けよ?」

「……分かってる」


 なんだか面白がられているような気がしてならないが、リィンも何もせずに負けるつもりはない。重要なのは嘘の内容とタイミング。それらを見極めて、どうやってクロウを騙すかだ。
 しかし、それと同時に相手の嘘も探さなければならないのは思った以上に難易度が高そうだ。クロウにとってはどうか分からないが、少なくともリィンにはそう感じた。


「あ、何ならこれから出掛けるか?」

「え?」


 また唐突な提案をされて思わず素っ頓狂な声が零れる。


「その方が思いつくんじゃねぇかと思ったんだが」


 どうやら今度の提案はリィンのためを思って言ってくれたらしい。確かにこのまま部屋の中で嘘を考えるよりも外に出てそれっぽい嘘を探した方がいいかもしれない。そう考えたリィンはクロウの提案に乗ることにした。


「それもそうだな」

「よし、ならゲーセンでも行こうぜ」

「ゲーセンはいいけど、スロットとかはなしだぞ」

「だからお前は人を何だと思ってんだよ」


 いい先輩というよりは悪い先輩、と正直に言うのは憚られた。だが、すぐに賭けに持ち込もうとしたりギャンブルをしようとする先輩をいい見本とはいわないだろう。
 だけど、その反面で頼りになる先輩でもある。何だかんだ言ってもリィンはこの先輩を信頼しているし、お調子者といわれながらも周りに頼られているのも事実だ。本人が先輩後輩はなしにしようと言い出したため先輩と呼ぶことこそしていないが、ちゃんと尊敬もしている。だから。


「頼りになる先輩だと思ってるよ」


 小さく笑みを浮かべて本当のことを告げる。
 すると、クロウは一瞬言葉に詰まったような反応をした後にはあと溜め息を吐いた。


「それならもっと先輩を敬ってもいいと思うんだがな」

「そういうのはなしにしようって言ったのはクロウだろ」

「まあな。じゃあ出掛けるか」


 パタンと雑誌を閉じたクロウは携帯と財布を持って立ち上がる。それを見たリィンも軽く身支度を整えると二人で一緒に部屋を出た。







嘘ではなく本音ならば、こちらも不得手ではない
さて、勝利の女神はどちらに微笑むのか