「リィン、外で遊ぶのか?」
外に出ようとする弟の姿を見つけて尋ねる。くるりとこちらを振り向いた弟はこくりと頷いてちょっと出掛けてくるのだと答えた。
「出かけるのか? それなら俺も一緒に……」
「兄さんはダメだ!」
庭で遊ぶならまだしもまだ小さいリィンを一人で出掛けさせるのは不安が残る。だから外に行くのなら付き合おうと思ったのだが、リィンは兄の申し出をきっぱり断った。
でも一人じゃ危ないだろと問い掛けても遠くにはいかないからとリィンは引かない。遊びに行く時もお使いに行く時もリィンはいつだってクロウと一緒だ。リィンもそれが嫌だというわけではないのだろうが、今日だけは駄目なのだと譲ろうとしなかった。
「絶対に遠くに行かないか?」
「行かない」
「空が夕焼け色になる前に戻ってこれるか?」
「うん」
今は母さんも父さんも仕事で家にいない。一人で出掛けるのは絶対に駄目だとクロウが強く言えばリィンも諦めるだろう。逆にいえば、クロウが止めなければ他に止める人間はいない。
リィンを一人で出掛けさせるのはやっぱり心配だ。けれど家の近所なら大丈夫だろうかと考えてしまっているのだからクロウは弟に甘い。いつも二人で遊ぶ範囲だし、リィンだって一人で遊びに行きたいこともあるだろう。それにここまでリィンが譲らないのはそれだけの何かがあるということ。またこの弟は約束を破るようなタイプでもない。
「分かった。じゃあさっき言ったこと、兄さんとの約束な」
小指を出せばリィンも頷いて自分の小指を絡める。指切りげんまんと約束の歌を歌ってそっと指を離す。
「気を付けてな。あと危ないことはしちゃダメだからな」
「うん、行ってきます」
元気に出て行く弟を見送って、さてどうしたものかとクロウは考える。本当に一人で行かせて大丈夫なのか。こっそり後をつけるべきか、でもそれはリィンを信用してないみたいだよな。
心配しすぎかと思ってもリィンはクロウにとって大事な弟だ。心配するなという方が無理な話である。けど、きっと大丈夫だよなとクロウは弟の帰りを家で待つことに決めた。
□ □ □
十分、三十分、一時間。家でリィンを待つことにしたとはいえ、つい何度も時計を確認してしまう。そんなに早く帰ってくるわけがないのだが、クロウとしては結構経ったかと思って時計を見ているだけだ。まだこれしか経っていないのかと、どうも今日は時間の流れが遅いように感じてしまう。いつも、リィンと一緒に遊んでいる時はあっという間に時間が流れるというのに。この時計が壊れたんじゃないかとも思うが、そんなわけないよなとつい溜め息を溢す。
これなら付いていった方が良かったかもなと思いながらもクロウは適当に過ごしながらリィンの帰りを待った。二時間、三時間と時は流れ……。
「…………さすがに遅いよな」
リィンはまだ帰ってこない。空は徐々にオレンジ色に変わり始めている。
遊びに夢中になって時間を忘れているだけなのか。それならまだ良い。もしもリィンに何かあったのなら。 そろそろ母さんも帰ってくる。リィンを探しに行かないとと思ったクロウは玄関を出たところで一度立ち止まる。
(開けっ放しはマズいか……)
クロウが出て行ったら家には誰もいなくなる。鍵を掛けなければ不用心だろう。しかし、クロウは鍵を持っていてもリィンは鍵を持っていない。入れ違いになったとしたら家に入れなくなってしまう。自分か両親の帰りを待てば良いといってもどれくらい待つことになるのか。
少しだけ考えたクロウは結局そのまま走り出した。母さんには後で怒られよう。今だけは泥棒が入りませんようにと願ってリィンがいそうな場所へと向かう。
近所の公園、港、お金は持っていないはずだからどこかのお店ではないはずだ。普段よく遊びに行く場所を片っ端から確認しては次の場所へ。
「っとに、どこ行ったんだ」
偶然出会した友人にも弟を見なかったかと尋ねてみたが今日は見ていないと言われた。本当に何かあったのか、知らずのうちに遠くへ行ってしまったか、道に迷っているのか。
(こんなことならやっぱり付いてくべきだった)
リィンの帰りを待っている間にも思ったが今更遅い。とにかく他にリィンがいそうな場所はどこか考えるんだ。どこか。
(そういやこの前…………)
あれは一週間くらい前だったか。今日は探検に行こうと言って少しだけいつもより遠くまで出掛けたのだ。遠くといっても普段遊びに出掛ける範囲よりという話であってその程度の距離なら時々遊びに行っている。子供の足でも三十分ほどの距離だ。
あの時、クローバーが並んでいるのを見つけてどこかに四つ葉のクローバーがないかなと何となしに口にした。それがどうかしたのかと疑問を浮かべながらこちらを見上げた弟に、クロウは四つ葉のクローバーが幸せを運ぶといわれているのだと教えたのだ。
「まさか、四つ葉のクローバーを探しに行ったんじゃ……」
あの場所ならリィンも覚えているだろう。想定していた近所よりも遠いけれどリィン一人でも行けない距離じゃない。四つ葉のクローバーの話をリィンは興味深げに聞いていたけれど、今日は遅いから帰ろうとあの時は結局四つ葉を探すことはしなかった。
そこにリィンがいるかは分からない。けれど他に当てもない。顔を上げたクロウは再び走り出す。どうかそこにいてくれと祈りながら。
□ □ □
はあはあと肩で呼吸をしながらクロウは辺りを見回す。もしリィンが四つ葉を探すつもりならここにいるはずだ。
空はすっかりオレンジ色になり、西の空には一番星も出ている。確かクローバーがあったのは向こうの方だったよなと注意深く見ていると、ひょこっと動く黒髪を見つけた。
「リィン!!」
ありったけの声で叫ぶ。すると向こうもこちらに気が付いたのだろう。見慣れた青紫の瞳がこちらを見た。
「あ、兄さん!」
見つけた、やっと。無事だった。ここにいてくれた。
良かったとクロウはひどく安堵した。もうここしか思い浮かばなかったけれどやっぱりここだったかと思いながら、本当に四つ葉のクローバーを探していたのかと弟の行動力に驚かされる。
ぱたぱたと駆け寄ってきた弟はにこにこと嬉しそうに笑って「兄さん、これ」と小さな葉っぱを差し出した。それはよく見かける三つ葉のクローバーではなく、更に葉がもう一枚合わさった噂のクローバー。
「四つ葉のクローバー……見つけたのか」
「うん! だから兄さんにあげる」
「俺に?」
リィンはこの四つ葉が欲しくてずっと探していたのではないのか。きっとこの一つを見つけるのに相当苦労したことだろう。頑張って四つ葉を見つけたのはリィンだ。見つけた者に幸せを運んでくれるというそれを俺が横取りするわけにはいかない。
「これはお前が見つけたもんだろ? だからお前のものだぜリィン」
「ちがうよ、これは兄さんのだ」
だからはい、と渡されてもどうしたら良いものか。もしかして二つ見つけたのかとも聞いてみたが違うらしい。頑張って見つけたそれをくれるという気持ちは嬉しいけれど。そう考えていた時だった。
「たんじょうびおめでとう、兄さん」
言われてクロウはきょとんとする。
誕生日。確かに今日はクロウの誕生日だ。リィンを探すのに必死ですっかり忘れてしまったけれど、それではまさか。
「もしかして、俺のために探してくれたのか……?」
「この前、兄さんが四つ葉のクローバーは幸せを運んでくれるって言ってたから」
大きく頷いた弟はここへ来た理由をそう説明してくれた。兄さんに幸せをあげたかったのだと。
そんな弟をクロウはぎゅっと抱き締めた。
「ありがとな、リィン」
たったそれだけの為に小さな弟は一人でここまでやってきた。兄さんは付いてきたら駄目だと言ったのも内緒にしたかったからだろう。自分の為にそこまでしてくれた弟の気持ちが凄く嬉しい。
「けど、夕焼けになったら帰って来いって言っただろ?」
「……ごめんなさい」
「何かあったんじゃないかって心配するから、次からはちゃんと気を付けないとダメだからな」
そっと体を離したクロウは頷いた弟の頭をぽんぽんと撫でた。自分の為にここまでしてくれたことは嬉しいけれど、これだけは注意しておかなければいけない。ここでリィンを見つけるまで気が気じゃなく、本当に心配したから。
まあでも、もう大丈夫だろうなと反省する弟を見て微笑む。
「さてと、じゃあ帰るか。母さんも心配しちまうしな」
ほらと手を差し出せば、リィンはぎゅっとその手を握り返してくれる。リィンが大きくなれば一人で出掛けるのも当たり前になるのだろうが、やっぱりこうやって手を繋いで歩くのがしっくりくる。まだもう暫くはこうして兄弟で手を繋いで歩けるだろうか。
でも大きくなったら今度はもっと遠くまで二人で遊びに行くことが出来るようになる。それもそれで楽しいかもなと思いながらなんとなく隣の弟へ視線を向けた。それに気付いた弟は兄を見てにこっと笑う。幸せの四つ葉のクローバーがなくても十分幸せだけどな、と弟の笑顔を見て思いながらクロウはリィンに小さく笑みを返した。
案の定、家に帰ったら外はもう暗いでしょうと母に叱られた。リィンが何かを言うよりも先に「ボールがどっかにいって探してた」と適当なことを言ったら「リィンも一緒なんだから」と注意され、家の鍵もきちんと閉めるように言われた。
(――なんてこともあったな)
クロウがそんな昔の出来事を思い出したのはたまたまブランドン商店で見つけたブックマーカーが四つ葉をモチーフにしていたからだ。
リィンを見送ったクロウは他に特に用事もなく、部屋に戻って懐かしい本を手にしていた。それはこの間リィンが見つけたもので、その本にはあの写真と一枚の栞が挟まっている。こちらは先程クロウがリィンに渡したものとは違い本物のクローバーで作られたものだ。正しくは昔作ったもの、である。
「幸せを運ぶ四つ葉のクローバー、か」
この四つ葉が運んでくれた幸せをとは何なのだろうか。当時は四つ葉がなくとも今が十分幸せだと思ったけれど、だとするとこの四つ葉が運んだ幸せというのは弟と再び巡り合わせてくれたことだろうか。本を探すのを手伝ってもらったら偶然この本を見つけるんだもんなとクロウは口元を緩めた。
さて、弟が生徒会の手伝いを終えて戻ってきたら何の話をしようか。そう考えながらクロウはぱたんと本を閉じた。
四つ葉のクローバー
かつて弟から貰ったそれは十分役目を果たしてくれた
だから今度は弟の元へ幸せが訪れますように