何かが頬に触れた感覚にゆっくりと意識が浮上する。
瞼を持ち上げ、ぼんやりとした頭でぱちぱちと瞬きをしたら「悪ィ、起こしたか」と聞き慣れた低音が降ってきた。つられるように視線を上げれば、こちらを見つめる赤紫とぶつかった。
「クロウ……?」
「ん、どうかしたか?」
「いや」
離れていく温もりに名残惜しさを感じながらも右手をベッドに付いてリィンも体を起こす。
当たり前だけど、やっぱり夢だったか。
そう思いながらリィンの脳裏に浮かんだのはすぐ傍の彼より幼い少年の姿。普通に考えればあんなことは有り得ないのだから当然だが、知らないはずの少年が夢に出てくるというのは何とも不思議な話だ。
夢は自身の記憶から作られる。リィンが知っているのは士官学院に入学した頃に出会った十九歳以降のクロウだけ。そこから想像してあの少年が夢に出てきたのだろうか。
「夢見が悪かったのか?」
不意に尋ねられて横を向く。じっと様子を窺うような視線を向けられたのは、目を覚ました時の反応のせいだろう。
そういえば、まだ最初の質問にもまともに答えていなかった。そのことにリィンは別の問いを投げられて初めて気が付いた。どうにも寝起きは頭の回転が鈍くなるが、起き上がったことで少しずつ本来の働きを取り戻し始めてきた。
「そうじゃないんだけど、ちょっと変わった夢を見て」
どちらかといえば、夢見はよかったといえるだろう。質問に答えながらリィンはついさっきまで見ていた夢を思い出す。
昔のクロウに会ったんだ、と言ったところでぽかんとされそうなものだが、たとえ夢でも会えて嬉しかったのは本当だ。あれが夢である以上は全てがリィンの想像ということになるけれど、夢は自分の意思で操作できるものでもない。だからここは素直にいい夢だったといえる。
「なあ」
呼ばれて意識をこちらに戻したリィンは赤紫を見て小さく首を傾げた。その瞳にはどことなく真剣な色が宿っていた。
急にどうしたんだろう。疑問に思いながらも次の言葉を待っていると、程なくしてクロウは徐に口を開いた。
「小さい頃のお前に会った、って言ったら。信じるか?」
相棒からの問い掛けにリィンは目をぱちくりとさせる。そうしている間に目の前の友人はふっと口の端を持ち上げた。
まさかとは思ったが、その表情でリィンは全部分かってしまった。どんなに確率が低くても有り得ない話でもない。とはいえ、有り得ないと思ってしまうほどに可能性の低い話であることも確かだ。だから。
「俺が昔のクロウに会った、って信じてくれるなら」
素直に頷かず、そんな風に答えた。
けれど、お互い目の前の友人を疑う気なんてこれっぽっちもない。思わず笑みが零れたのはほぼ同時だった。
「しかし、不思議なこともあるモンだな」
重心を後ろに傾け、呟くクロウにリィンも頷く。
「偶然にしても凄い確率だな」
「本当にな。ただまあ、偶然ではねぇのかもしれねぇけど」
意味有りげな言い回しには何か心当たりがあるのだろう。
見つめることで先を促したら、ちらと赤紫が動いた。追い掛けるように視線を動かしてみると、今や馴染み深い戦術導力器に辿り着く。
「……それは少し無理がないか?」
「俺もそう思うんだがなぁ」
朝起きたら光ってたんだよ、とクロウは視線を戻した。言われてもう一度ARCUSを見てみるが、今は全くそんな気配は見られない。かといってクロウがここで嘘を吐く理由もない。
「見間違え、じゃないのか?」
「なら一つ質問だ。お前が夢でいた場所はジュライの小高い丘にある霊園の傍じゃなかったか?」
見事に言い当てられたリィンは両の目を大きく開く。リィンが昔のクロウに会ったのが彼の故郷なら、クロウがリィンに会ったのは自分の故郷であることは十分考えられる話だ。そのことからリィンが夢に見た場所をジュライだと予想するまでは分かる。
しかし、ここまで細かに当てられたのには理由があるはずだ。それがARCUS、もしくは戦術リンクだけにあるとは思えない。
他にも何らかの要因があるとすれば――と考えたリィンの頭にはあの精霊碑が浮かんだ。正しくはユミルには他に変わったものがなかったともいえるが、内戦時に精霊の道なんてものを開いて活用したあの石碑には特別な力が宿っている。
そして、帝国各地にはそういった精霊信仰が残っている場所も少なくない。ということは。
「もしかして、ジュライにも……?」
「その霊園の近くにある。つっても、これだけの情報じゃあだから何だって話だが」
帝国に流れる不思議な霊力の流れ。その道を開くことのできる騎神の起動者という肩書きにARCUSのリンク機能、夢で出会った遠い日の友人――。
確かにこれだけでは何の確証も得られない。都合のいいこじつけとも取れるだろう。そもそも普通に有り得ないこと、ではあるがこの広い世界では有り得ないような現実も確かにある。ただの空間転移と時空間転移ではかなり違う話になってくるけれど。
「もしかしたら、夢じゃないのかもしれねぇな?」
自分たちの周りにある様々な要因を考えれば、クロウが楽しげな表情を浮かべるのも納得ができた。
「そうだったらいいな」
だからリィンも頷く。夢じゃないかもしれない。夢じゃなかったらいいのに。どちらかといえば後者の気持ちの方が強いことは否定できないが、それはお互い様だろう。
小さい頃の友人に会えたこと、その友人に伝えたくなったこと。今ある未来を変えたいわけではないが、何かを抱えていた友人に少しでも何かが伝わっていたらいいと、思ってしまうのはただただ目の前のその人が大切なだけ。
「だが、本当にお前に会ってたら士官学院で運命の再会といくわけか」
「たった十分足らずのやりとりを覚えてたらの話だけどな」
「忘れないだろ」
「クロウは俺が何を話したのか知らないだろう?」
「何を話しても忘れるわけねーよ」
初めて会った時から惹かれてたんだから、と言われてリィンはくすりと笑みを零した。
「俺も、クロウとの記憶は忘れないよ」
忘れられるわけもない。あれが全ての始まりだったのだ。
リィンの言葉に「それなら問題ねーな」とクロウは笑った。お互いが忘れないのなら、やはりそれは運命の再会になるのだろう。幼い自分たちはあの時の相手にもう一度会いたいと、願っているはずだから。
「数年後が楽しみだな」
「でも、その数年後にはこんな風に一緒にいるんじゃないか?」
「お前に惚れないわけがねぇしな」
「その言葉、そっくりのまま返すよ」
好きになる理由はきっと、同じだ。きっかけは違っても、いっそ今とは全く違う世界で出会っても惹かれるのだろう。もし偶然に出会うことがなかったとしても探し出すだけだ。
それほどまでにすぐ傍にいる恋人に惹かれている。だから、クロウはそっと手を伸ばして唇を寄せたのだろう。受け入れたリィンも今、同じことを考えたから。
「昔のお前も可愛かったが、やっぱり今のお前が一番だな」
独り言のように零れた一言につい、頬が緩む。
昔の友に会えたことは本当に嬉しかったけど、共にこれまでの人生を歩んできた目の前の相手なのだ。今、この時間を生きているリィンにとって一番大切なのは。
「好きだよ、クロウ」
「ああ、俺も」
お前が好きだ、と重ねられた手はとてもあたたかかった。
そして二人はどちらともなく笑い合った。
夢に見た少年たち
遠い日の自分たちは目の前の彼と、どんな明日を見るのか