「好きだ」
夕焼けに包まれたトリスタの街にぽつり、零れ落ちた言葉。隣を歩いていた友人はぴたりと足を止め、その目を丸くして数歩先の友人を凝視した。
「クロウ?」
急に立ち止まった友人を不思議に思いながらリィンも足を止める。お前今、とクロウが呟くのが聞こえて「え?」とリィンは首を傾げた。それからたっぷり十秒近く、ぶわっと顔を赤くした友人は漸く自分の発言に気が付いたらしい。
「いや、違うんだ! これはその、クロウももうすぐ卒業するんだって思ったら……じゃなくて、忘れてくれ!!」
途中までは説明しようとしたのだろうが、結局最後まで言うことなくリィンは話を切った。どうやら完全に無意識のうちに零れた感情だったらしい。深い意味はないからと慌てて弁解するリィンの顔はやはり赤い。そしてクロウを全く見ようとしない。それは突然告白みたいなことをしてしまった恥ずかしさのせいだろう。
忘れてくれ、と言われて忘れられるわけがないだろう。そう思ったクロウは「それじゃあ俺はここで」と今にも走り出しそうな後輩の腕を掴んだ。
「待て、少しは落ち着けよ」
混乱する気持ちは分かる。分かるけれどクロウとしてはここでなかったことにされるわけにはいかなかった。だから出来るだけ平常を装って後輩を宥める。
「とりあえず深呼吸でもしとけ。それから俺はまだお前に話がある」
だから帰るのは少し待て、とリィンが言うより先に釘を刺した。リィンとしては今すぐにでもこの場を去りたかったが、クロウに話があると言われればそういうわけにもいかない。俺にはない、などと言って帰るようなタイプでないことはクロウもよく知っている。
「……話って何だ」
だがやはり早く帰りたいことには変わりがないのだろう。その様子はリィンを見れば一目瞭然であるが、かといってクロウの手を振り解こうとする様子も見られない。
クロウはそこまで強く腕を掴んでいるわけでもないため振り解こうと思えばリィンは今すぐにでもここから去れる。けれどそれについてもリィンなら絶対にしないという確信を持っているクロウはゆっくりと息を吐いてから青紫を捉えた。
「さっきの、ちゃんと聞きたいんだけど」
「ちゃんとも何もあれは……」
「俺が卒業するから?」
誤魔化される前にリィンが言い掛けていたそれをクロウは復唱した。僅かに視線を逸らしたリィンは暫くして「寂しくなるって思ったんだ」と今度はしっかり続けた。
それで、と先を促したら口を噤んでしまったけれど、その反応でクロウはやはりと思う。ただの友達として言ったならそもそもこういう反応にはならない。あのリィンのことだから最初はそういう意味で言ったのかと思ったが、それにしては慌てすぎだろう。もしクロウの考えが正解ならば顔を赤くした理由にも頷ける。
「なあ、お前は俺のことが好きなのか?」
友達としてではなく、そういう意味で。あえて口に出さなかったそれをリィンは「好きだよ、友達として」とわざわざ付けた。だからクロウも「友達として?」とその部分を聞き返したら「友達として」と友人は肯定する。
でも、だからこそクロウはそれを言葉にした。
「俺は好きだぜ。友達としてだけじゃなく」
友達としても好きだけどそれだけではない。リィンが避けたそれをはっきりと口にすれば「えっ」と青紫が驚きで開かれた。
「卒業したら言えなくなるからな。今のうちに言っておく」
出来るだけ普通に言ったそれは本当は卒業するその日まで言うつもりがなかったことについてはこの際置いておこう。おそらく、リィンだって今言うつもりはなかったのだ。もしかしたらこの先も言うつもりはなかったのかもしれない。
だけど、彼の口から零れた気持ちをその彼が好きであるクロウは見逃すわけにはいかなかった。叶わぬ恋ではないのだと、知って手を伸ばしたくなるのは好きなのだから当然だろう。
「……嘘だ」
「嘘じゃねーよ」
「だって」
リィンはそこから先の言葉を言うことが出来なかった。クロウが自分の口でその口を塞いでしまったから。
信じられないのなら信じさせれば良い。同じ男に告白されても嘘だと言いたくなるのは分かる。けれどリィンの表情でクロウが彼の言葉の真意に気付いたように、リィンだってクロウの気持ちに気付けるだろう。何せ。
「好きだ、リィン」
好きの一言に隠しきれないほどの想いが乗ってしまう。言葉に、瞳に、見え隠れするそれにまさかなと思ったことは一度や二度の話ではない。そしてそれらは自分に都合の良い解釈ではなかった。
だからきっと。自分も同じなんだろうと思いながらクロウは気持ちを告げた。リィンの顔は未だに赤いまま、逃げるように落ちた青紫にこもるのは。
「卒業してからもずっと、お前と一緒にいたい」
勿論そういう意味で。
それを聞いたリィンは十秒近くの沈黙を静かに破った。
「クロウが卒業しても、俺が卒業するまで一年あるけど」
「それくらい待つに決まってんだろ」
「一年もあればもっと良い人に出会うかもしれない」
「あのな、それはそっくりそのままお前にも言えることだからな?」
俺は、と言い掛けたリィンの唇にクロウの人差し指が当たる。そういうことだとクロウは優しく微笑む。その笑顔にリィンの心臓がトクンと音を鳴らす。
「なあ、諦めて俺のモンになっちまえよ」
いつまでも意地を張る理由はないだろう。
そう言ったクロウにリィンはまだ視線を彷徨わせた。だがじっと、リィンの次の言葉を待っているとやがてぽつりと聞き慣れた声が耳に届いた。
「…………クロウが、俺のものになってくれるなら」
それでも良い、と答えたリィンにクロウは思わず笑ってしまった。夕焼けに照らされた銀糸が煌めき、赤に包まれた彼は赤紫の双眸にリィンを映す。
「やるよ、全部」
お前が欲しいというのなら。
即答したクロウにリィンは少しだけ驚き、けれどすぐに小さく笑みを浮かべた。だから俺のものになれよともう一度言われてリィンも今度は素直に頷いた。もう、全部分かったから。
それを聞いたクロウの口元には緩く弧が描かれ、それからさっきの話だけどとここで最初の話を持ち出した。全てがはっきりした今、それでもクロウがこの話を持ち出した理由を何となく悟ったリィンはほんのりと頬を染めながらもゆっくりと口を開く。
「……俺も、クロウが好きだ」
勿論、クロウが言ったのと同じ意味で。
漸く告げられた想いに「なら付き合うか」とクロウが言う。今更その確認は必要ないのではないかと思いながらも「そうだな」と答えたリィンはどことなく嬉しそうな顔をしていた。
多分自分も同じなんだろうなと思ったクロウは帰るかとリィンが進もうとしていた方に向かって足を進める。本来のクラスに戻ると同時に寮も戻った彼だが、どうやら今日は第三学生寮で夕飯を済ませるらしい。たったそれだけのことに喜びを覚えながらリィンも先に歩き始めた先輩であり一時はクラスメイトでもあった恋人の隣に並んで再び歩き始めた。
夕焼けに零れ落ちる
好きという気持ち