「この間の課題か?」
コトン、とコーヒーのカップを置きながら何やらレポートを纏めているトワの手元を見てクロウが問う。ありがとうと先にお礼を言ったトワはペンを置き、それからこれはまた別の課題だと答えた。
「相変わらず忙しそうっつーか、大変そうだな」
「そんなことないよ」
「そうかぁ? 少なくとも俺ンとこより課題は多そうだけど」
多そうではなく多いんだろう。クロウも時々課題を出されるが、トワほど毎日のように課題に追われてはいない。トワのことだから早め早めに片付けているのだろうけれど、それでもこれなのだから相当だ。
そんな風に思っていたクロウにトワは「それは先生によるんじゃないかな」と言う。それはその通りなのだろうが、それにしても多いよなと思いながらクロウも自分の分のコーヒーを飲んだ。
「そういえば」
不意にトワが声を上げた。それに反応して横を見たクロウの顔が黄緑色の瞳に映る。
「今日はポッキーとプリッツの日だね」
「あー……そういやそうだな」
言われて、机に置かれている卓上カレンダーをちらと確認したクロウも頷く。今年もポッキー&プリッツの日という謳い文句と共に普段よりお求めやすい価格でコンビニに並んでいるのを数日前から見掛けるようになった。それを見た多くの人達が今日はポッキーやプリッツを購入したのではないだろうか。
かくいうクロウもコンビニで見掛けたそれを他の買い物のついでにカゴへ入れた一人ではあるのだが、にこにこと笑っているトワを見たクロウは僅かに視線を逸らす。おそらく、自分たちが今頭に思い浮かべたことは同じだったのだろう。
「クロウ君がこういう日に何も言わないのも珍しいよね」
「俺だっていつもイベントに乗っかるわけじゃねーからな」
そういう時もある、というけれど実際にイベントに乗っからない方が少ないだろう。つい数週間前もハロウィンだからという話をしたばかりである。言われた通りにお菓子を渡したというのにつまらないと零したクロウは、今日のイベントに乗っかったことがないわけではない。むしろそれなりにこのイベントにも乗っかっているのだが。
「あのね、ここにポッキーがあるんだけど」
がさごそと近くに置いてあった鞄から取り出される見慣れたパッケージ。
「よかったら一緒に食べない?」
何といっても今日はポッキーな日なのだ。せっかくなら休憩がてらこのお菓子を食べるのも良いのではないかとトワは提案する。以前、クロウがそうしてくれたように。
「……プリッツじゃなくていいのか?」
しかし、少しの間を置いてクロウから返ってきたのは不思議な返答だった。首を傾げながらトワは自分の記憶を手繰ってみるけれど、どちらの方が好きというような話をした覚えはない。
だからこその他愛のない質問だろうか。そうすんなりと納得することができなかったのは、クロウの言い方に何かしらの含みがありそうだったからだ。
「わたしはどっちも好きだよ?」
けれど、そこを分かりかねたトワは一先ず普通に答えた。違う答えを求めたのなら訂正してくれるだろう。
案の定クロウは「いや」と否定を口にした。それから一度だけ外された赤紫は間もなくして再びトワを映し、徐に口角が持ち上げられた。
「ポッキーといえば、やっぱ定番があるだろ?」
ポッキーじゃなくてもよさそうだけどな、と続けたクロウの言いたいこともここまでくれば理解できる。
一瞬きょとんとした顔をしたトワはすぐにくすっと小さく笑みを零した。
「何かさっきまでと随分反応が違うね」
「お前がわざわざ振ってくるからだろ。そこまで言われたら期待には答えねぇとな」
そういうつもりではなかったのだが、これも先程思い浮かべたそれが懐かしくて買ったポッキーではある。二人がまだ高校生だった頃、それも付き合っていない時に誘われたポッキーゲーム。定番だと言った友人にそれは違うのではないかと言いながらもやってみることになったそれ。
結果としてそれは失敗に終わったけれど、あれが二人の関係を進展させるきっかけになったことは確かだ。あの出来事がなければお互い相手の気持ちに気付くのはもう暫く先だっただろう。
「あの時はクロウ君がわたしのことを好きだって知ってびっくりしたなぁ」
「それは俺も同じだったぜ」
「でも好きだから誘ってくれたんでしょ?」
「好きな人とやるものらしいしな」
だからあの日、生徒会室に残っていた二人は一回だけのポッキーゲームに挑戦した。そして、今もこうして一緒にいるのは――。
「なあ」
呼び掛けながらクロウはさっきトワが開けたばかりのポッキーを袋から一本取り出した。
「一回くらいやってみる気ねぇか?」
そして、いつかと同じように問い掛ける。好きな人となら良いんだろう、と言いたげな赤紫の瞳で真っ直ぐにトワを見つめて。
でも、今回は無理にとは言わないと付け加えることはしなかった。まだ互いの気持ちを知らなかったあの頃は必要だった逃げ道も今では必要ない。今はもう、トワの答えが分かりきっているのだから。
「一回だけだよ?」
くすりと微笑んだトワはクロウの予想通りの答えを口にした。好きだから誘った、というのがクロウの言葉の真意ならばトワに断る理由はないのだ。
返事を聞いたクロウはやはりチョコの付いている方をトワへと向けた。こういうところは変わらないなと思う。けれど、この二年で何も変わっていないわけではないこともお互い知っている。
両端から食べていくにつれてちょっとずつ減っていくポッキー。残り十センチ、九、八、七――近付いていく距離に心臓がドキドキと鳴る。五センチ、四センチ、三、二、一。
距離がゼロになった瞬間、そのまま唇が触れ合う。そこから伝わる熱にまたトクンと心臓が高い音を鳴らした。やがて、ゆっくりと瞼を持ち上げると優しげな瞳とぶつかる。
「これで二年前のはチャラにしてくれ」
最後までいくことができなかった二年前。あれがわざとではなかったことはすぐ傍で見ていたトワが一番分かっているけれど。
「二年前のこともわたしにとっては大切な思い出だけどなぁ」
最後の一歩が踏み切れなかったのはお互い様だ。でも、その一歩を遠くない未来に友人が踏み出してくれたから自分たちは友人から恋人になった。
クロウがチャラにしてくれと言いたくなる気持ちも分かるけれど、トワからすればあれも大切な思い出の一つである。いや、クロウにとっても懐かしの思い出ではあるのだが、毎年思い出されるのも男としては複雑なのだ。
「ま、これも含めて定番行事にするのはアリかもしれねぇが」
これ、とクロウが言ったそれが何かは聞くまでもない。また一本ポッキーを取り出して口に運んだクロウに続いてトワもまた一つポッキーを手に取る。
「一回くらいならいいけど、たくさんはダメだよ?」
「そこは何回でも……何なら普通にキスでもいいんじゃね?」
もう、とほんのり頬を染める可愛らしい恋人にクロウは笑みを零す。それでも一回なら良いと言ってくれることが嬉しい。そんなクロウの姿にトワも自然と頬が緩む。
じゃあキスがしたい、と言い直した恋人に仕方がないなと言いながらもトワはそっと瞼を下ろした。間もなくして触れた唇はとても柔らかくてあたたかかった。
0センチメートル
あと一歩を踏み出して、僕らは共に歩いていく