出会いと別れの季節、春。三月になって間もない今日、この学校でも卒業式が行われていた。多くの保護者が参列し、沢山の在校生が見守る中を胸にコサージュを付けた卒業生達が歩く。大勢の人に見送られながら三年生はこの学校から旅立つ。


「こんなところにいたんだ」


 不意に聞こえた声にクロウは振り返る。そこに立っていたのは亜麻色の髪を揺らした少女――といっても同級生なのだが、おそらく自分を探しにやってきたのだろう。教室を出る時にはクラスメイトやら生徒会のメンバーに囲まれていたはずだが、そちらは一段落ついたのだろうか。屋上の入り口に立っていたトワはそう声を掛けてクロウの隣まで歩く。


「まあな。そっちはもう良いのか?」

「うん。みんなに挨拶してきたから」


 トワのことだ、お世話になった教師のところへ片っ端から挨拶に行っていたのだろう。真面目だなと思うが、それがトワの良いところであり生徒会長に選ばれた所以だろう。自分にはとても真似出来ないと思うクロウはといえば、最後のHRを終えて割りとすぐにこの場所へと足を運んでいた。何人かと別れの挨拶は交わしたがそれくらいでわざわざ挨拶をして回るようなことは一切していない。


「でも意外だな。クロウ君って最後までみんなの中心にいると思ったのに」


 最後まで学校に残ってみんなと騒いでいる。トワの中でクロウはそんなイメージだった。強ち間違ってはないなとクロウ自身も思う。だけど今日はなんとなくそんな気分ではなかった。しかし帰る気にもなれず、こうして屋上で一人過ごしていた。


「そうか? ま、そういう気分の時もあるってこった」

「そうなんだ。けどまだ帰ってなくて良かったよ。クロウ君にはお礼を言ってなかったから」


 お礼という言葉にクロウは疑問を浮かべる。別に礼を言われるようなことはしていないだろうと今日一日を振り返る。今日の話でないとしてもお礼を言われるような覚えはない。どちらかといえばクロウの方がトワの世話になっていたことが多い。
 そう思ったまま口にすればトワはそんなことないよと言った。クロウにはいっぱい助けてもらったからちゃんとお礼を言いたかったのだと。


「いつも手伝ってくれてありがとうね、クロウ君」


 言われて生徒会の荷物を運ぶのを手伝ったりした時のことを言っているのだとクロウも理解する。しかしそれはその時にもお礼を言われているから改めて礼を言われるほどのことではない。手伝ったといっても荷物を代わりに持ったくらいだ。だが、それだけでもトワからすればとても助かっていた。だから最後にもう一度お礼を言おうと思ってクロウを探していたのである。
 笑顔でお礼を言うトワに大したことじゃないと言うのも違う気がして、クロウはそのお礼を素直に受け取ることにした。代わりにそっちは生徒会長お疲れ様と労りの言葉を返せば、トワもそれをありがとうと受け取った。卒業式の日に屋上でこんなやり取りをするなんて思いもしなかったと、空を見上げながらクロウは思った。何よりお前等とこんな風に卒業出来るなんて、という言葉は心の中だけで呟かれた。

 だが、それとほぼ同時に呟かれたソプラノはクロウの耳にしっかりと届いた。


「…………夢みたいだな」


 それはただの独り言だった。独り言というよりも無意識に声に出してしまったという方が正しいかもしれない。その言葉にクロウが「え?」と思わず聞き返したことでトワは自分の考えていたことが声に出ていたと知り、慌てて何でもないと首を横に振った。
 この反応からしてトワのさっきの言葉が無意識だったのはクロウにも分かったが、夢みたいというのはどういうことだろうか。どうにもその言葉が引っ掛かる。何かが変だと違和感を覚えたのは気のせいではないはずだと、赤紫は黄緑色の瞳を見つめる。


「トワ、何か隠してねぇ?」

「べ、別に隠し事なんてしてないよ!」


 この違和感の正体は何なのか。それを突き詰めるべく質問するがトワにはすぐ否定をされてしまった。彼女があまり隠し事をするタイプでないことはクロウも知っている。大体トワの場合は隠し事をしていても分かりやすかったりするのだが、これはどう取るべきか。隠し事をしていないと言いながらも動揺しているのは明らかだ。


「夢みたいって、いくら俺でも留年は流石にごめんだぜ」

「え? あ、そういうつもりで言ったんじゃないよ」


 迷った末にクロウは突っ込んだ。素直なトワはここでそうだよねと合わせることが出来ずに否定したが、それならどういうつもりの発言だったのか。
 追求すれば、トワはううっと小さく唸り声を上げて困っている様子である。


「その、本当に深い意味はないんだよ? ただみんなで一緒に卒業出来て良かったなあって話で……」


 それにしたっておかしいことは本人も分かっているのだろう。黄緑色の瞳が戸惑うように右へ左へと移動する。この反応からして何かしらあるのははっきりしたけれど、ここからどうするかだよなとクロウは頭の後ろを掻く。


「まあいいけど。一時期単位がヤバかったのはマジだしな」


 ここで同意をしてしまえば良いのにだからそういうことではないのだと否定してしまうところがトワらしい。誰にだって隠し事の一つや二つあるものだ。かくいうクロウだって隠し事をしている。それは何かといわれても困るがトワに対しても隠していることはある。要は人のことをいえないのだ。


(けど)


 さっきのトワの発言はやはり気になる。トワは隠したいようだしそんなに気にしても仕方ないのだが、少しばかりあの発言に思い当たることがあるのだ。可能性もゼロではないそれが当たっているとすれば、あの発言は不自然ではなくなる。
 しかし、それが当たっていたとしたらそれでどうしたら良いのか分からない。どうするも何も、今日でこの学校を卒業するのだからあまり気にすることもないのかもしれないが。


「なあトワ、ちょっと変な話しても良いか?」


 言えば「変な話?」とトワは頭上にクエッションマークを浮かべた。それにこちらが頷けばトワもうんと肯定を返した。それじゃあと話し始めるのは今よりずっと昔――いや、どこか遠くの世界の物語。

 その国はとても大きな国だった。まだ貴族制度があり、しかし貴族が一番であるという風習は些か薄れていた。平民でも政府の上に立って活躍している人のいる、平民と貴族が水面下で対立しているような世界。とある大陸のとある国の話だ。
 二つの勢力が水面下で対立しているとはいえ、その世界も表面上はそれなりに平和ともいえただろうか。各地で二つの勢力がぶつかることもあったが人々は割りと平和に暮らしていたと思う。首都近くにある小さな街でもそれは同じで、そこには多くの子供達が学校に通っていた。


「その学校は軍人の卵を育てる士官学院。獅子戦役の後にかのドライケルス帝が作った、トールズ士官学院と呼ばれる学校だ」


 名門といわれるトールズには平民貴族問わずに毎年多くの生徒が入学する。士官学院というだけあって普通の授業の他にも武術訓練があり、年々発展していく導力技術の一つである戦術オーブメントの試験導入なんかも行われていた。ARCUSと呼ばれるその機器の試験導入が行われた次の年、トールズには新たなクラスが設立されることになる。特科クラスⅦ組、平民も貴族も関係なく選ばれる特別なクラスが発足した。ライノの花が咲く春の出来事だ。
 季節は巡り、再びライノ花咲く門出の季節。この季節が一巡りする間、特に秋から冬にかけて国は激動の時代を迎えた。とうとう貴族派と革新派がぶつかり内戦が起こったのだ。貴族派は猟兵やテロリストを使って内戦を有利に進めたが、士官学院生をはじめとした第三勢力の動きもあって形勢は貴族派有利ではなくなっていく。そして、帝都決戦を最後に内戦は終結した。


「クロウ君、それって…………」


 トワの瞳が大きく開かれる。これはただの作り話――でないことをトワは知っていた。クロウもまた適当な作り話を喋っていたわけではない。トワの発言から思い当たった一つの可能性を口にしただけ。そして、その可能性が当たっていたかどうかは尋ねるまでもなかった。


「……約束は守れなかったけど、こうやってお前等と卒業出来るなんて。確かに夢みたいな話だな」


 そういうことだろ? と確信を持って口にすれば、目元に涙をいっぱい溜めた同級生の顔が目に映った。
 これで全ての辻褄が合った。あの違和感の正体もこれだったのだ。今にも零れそうななそれがトワの瞳から溢れ出したのは間も無くのことだった。


「クロウ君、知ってたんだ」

「ああ、大分前からな」

「それなら、言ってくれれば良かったのに」

「覚えてると思わなかったんだ、悪い」


 ぽろぽろと零れ落ちる涙をクロウはそっと手で拭う。覚えていると思わなかったのは本当なのだ。小さい頃、周りにそういう話をしても誰にも信じてもらえなかった。まあそうだろうなと今なら思えるが、幼いクロウは本当のことなのにどうして誰も信じてくれないのか不思議だった。
 そういったこともあってその話は誰にもしなくなり、高校でかつての知り合いに出会った時も聞こうとは思えなかった。覚えている可能性はゼロではないけれど、覚えていない可能性の方が高いと思っていたから。そうして今日まで過ごしてきたのだ。それなのにまさか覚えているとは。


「……なんか今日のクロウ君、素直だね」

「おいおい、それじゃあ俺が捻くれ者みたいじゃねーか」


 そこまでとはいわないけれど、素直かどうかでいえば素直ではないだろう。クロウも自身のことをそう思うが今日くらい素直になっても良いと思ったのだ。今日はこの学校の卒業式、彼女達と過ごすのも今日で最後なのだから。


「わたしは高校に入ってからなんだ、思い出したの」


 そう言ってトワが話し始めたのはこのことを思い出した時の話だ。きっかけは今目の前にいる友人。最初は何も覚えていなかったけれど、ある日突然思い出した。確かその時も荷物を運んでいる途中で、偶然会ったこの友人が手伝ってくれた時だった。
 元から二人はクラスメイトだったけれど、その時からクロウはトワにとってただのクラスメイトではなくなった。昔の大切な友人であり今も大切な友、いうならそんな感じだろうか。この話を今までしてこなかった理由についてはクロウと同じようなものだ。自分もついこの間思い出したばかりで彼が覚えているかは分からなかったから。実際はクロウの方がもっと前から覚えていたらしいけれど、それは今日まで知らなかったことだ。


「そうだったのか」

「多分、クロウ君のお陰だよ」

「それこそ俺は何もしてねーけどな」


 自分がきっかけになっていたことをクロウは知らない。だからこんな風に言うけれど、トワはこの記憶を取り戻すことが出来て良かったと思うのだ。思い出したところで何かが変わるわけではないけれど、かつては叶えられなかった約束を今度こそ叶えることが出来るから。友達とみんなで卒業するという、当たり前だけれど当たり前でなかったそれをとうとう実現することが出来る。


「あのね、クロウ君。わたし、もう一つクロウ君に話したいことがあったんだ」


 後悔は先に立たず。全くその通りだ。あの時ああすれば良かったと後で思っても過去は変えられない。変えられるのはこれから進むべき未来だけ。だからトワ達は真っ直ぐに前へと進んだ。そして今も自分の選んだ道をひたすらに前へと進もうとしている。
 その道はみんなばらばらで、けれどそれがその人の未来へと続く道なのだから違って当然。でも、その前に一つだけ伝えておきたいことがあるのだ。もう後悔はしたくないから、言わないで後悔するよりもきちんと伝えたい。だから勇気を出し、ゆっくりと口を開く。


「わたし、クロウ君のことが好きだよ」


 トワが告げると赤紫の瞳は驚きに丸くなる。そんなクロウを真っ直ぐに見たままトワは続ける。


「あの頃もわたしはクロウ君のことが好きだった。だけど、この世界でクロウ君を好きになったのはあの頃のことを思い出すよりも前のことなんだ」


 今も昔も、トワはずっとクロウのことが好きだった。あの頃は結局伝えることが出来なかったけれど、今度ははっきりと伝えることが出来た。そして、これはクロウが昔の彼と同一人物だから好きになったのではない。過去の記憶は関係なく、クロウがクロウだからこそ今もまた彼に恋をした。記憶を取り戻したばかりの時は驚いたけれど、また同じ人を好きになっていたことに納得もしてしまった。


「前はちゃんと言えなかったから、今度こそ言おうと思ってたんだ」


 好きだったけれどそれを伝えることが出来ず、それどころか顔を見て話をしたのも帝国の内戦が始まる前のそれが最後になってしまった。内戦中にも一度だけほんの短いやり取りをしたこともあったが、その後の帝都決戦で彼は命を落としてしまった。
 あの時のような後悔はもうしたくない。だから今度は、卒業式という最後の日になってしまったけれどきちんと伝えたかった。言わなければ伝わらない、伝えられる時に伝えなければそれが最後になってしまうかもしれない。それは身を持って知っていたから。


「…………卒業式に屋上で告白か。そんなことされるなんて思ってもなかったな」


 ぴゅうと風が通り過ぎるのに合わせて銀糸が揺れる。どこか遠くの空を見ながらそう言ったクロウは一度瞳を閉じ、それからゆっくり瞼を持ち上げると視線を空からトワへと戻す。


「俺はトワと違って小さい頃から昔のことも覚えてた。昔のことを覚えていた上でお前等に会って、世界が変わっても何も変わらないモンだなって思ったりしてな」


 同じ人間なのだから当たり前といえば当たり前。しかし、世界が変われば人が変わっていたって不思議ではない。それなのに彼女達は自分の記憶にあるその人達と全く変わらなかった。
 そんな彼女達と過ごしているとどうしても昔のことも思い出してしまった。高校生の途中で記憶を取り戻したトワと違い、クロウの場合は幼い頃からその記憶を持っていたのだから無理もない話だ。違うと分かっていても完全に別物とは考えられない。それは仕方のないことだった。


「そうやって過ごしていく中で、やっぱり俺はお前のことが気になってた」

「えっ?」


 気になっていたというのはどういう意味なのか。分からずに疑問を浮かべた瞳で赤紫を見れば、小さく笑みを浮かべたクロウは続けた。


「俺も好きだったんだよ。あの頃、トールズで一緒に過ごしてた時から」


 トワのことが好きだったのだと、クロウは言った。そのことにトワは驚く。クロウもトワが自分を好きだったなんて知らなかったが、トワも両思いだったとは知らなかったのだ。
 けれど、当時のクロウはその気持ちを伝えるつもりは一切なかった。自分は士官学院生である前に帝国解放戦線のリーダーで、必ず来ると分かっている終わりがあるのにそれを告げる気にはなれなかった。だからその気持ちは胸の奥底にしまっていたのだが、こんな形でその思いを再び胸に抱くことになるとは思いもしなかった。


「あの時は言えなかったけど、今なら俺も言える」


 そこで一呼吸置いた赤紫は黄緑をしっかりと見据える。そして告げる。あの時は絶対に言うことの出来なかったその言葉を。


「トワ、好きだ」


 たった三文字。けれどその三文字を伝えることがかつては出来なかった。今回はトワに先を越されてしまったが、それでも自分の気持ちをクロウも言葉で伝える。言葉でしか伝えられないものがあるから。
 それを聞いたトワの頬には再び一滴の涙が零れ落ちた。自分の頬を伝う涙に気が付くとトワはそれを拭いながら「うん」と笑顔で頷いた。それから「ありがとう、クロウ君」と続けられて、クロウは困ったように笑いながら「それはこっちの台詞だ」と返す。


「これからもよろしくな、トワ」

「えへへ、こちらこそ」


 そう言って二人は笑い合う。平和な世界で、春の陽気に包まれた青い空の下。卒業という日を迎えたこの良き日に気持ちを伝え合って、この先もまた二人で共に歩いて行くことを選んだ。お互いに進路は別々だけれど、その先にある道はきっと繋がっている。今度こそ、その道を二人で進むのだ。








あの頃も今も、見ているのはいつだってただ一人
今度こそ君と一緒に、二人で共に前へと進んでいこう