「真ちゃん、ちょっと手貸して」


 一緒に宿題をしようと部屋にやってきて、ひと段落が付いた時のことだ。唐突に高尾はそんなことを言い出した。


「何だ、急に」

「んー……まあ良いじゃん。ちょっとだから」


 高尾が唐突な発言をすることなんていつものことだ。何をするつもりだと疑問には思ったが、とりあえず望み通りに左手を差し出してやった。
 その手を掴むなり、高尾は何かを始めた。何をしているんだと考える間もなく、本当にすぐに用事は終わったらしく手は解放された――といって良いのだろうか、これは。


「…………高尾」

「ほら、運命の赤い糸って言うだろ?」


 ノートを閉じてシャーペンを手放した時から何かをしているとは思ったが、どうやら緑間のラッキーアイテムである毛糸をいじっていたらしい。幾つかある毛糸の中から赤色を選んで自分の小指に巻き付け、反対側を先程緑間の小指に結わいていたようだ。


「何をするかと思えば……」

「くだらないとか言うなよ。オレ達にだって見えないけどあるかもしれねぇだろ?」


 仮に赤い糸があったとして、それは目に見えるものではない。この世界には何十億人もの人が暮らしており、その中で自分達が出会える確率なんて限りなく低い。
 だからこそ一期一会という言葉もあるのだろう。その何十億分の一で巡り合えたことは、運命と言っても過言ではないのではないだろうか。


「お前はそんなにロマンチストだったか?」

「いや? でも、たまには良いじゃん」


 別に高尾はロマンチストというわけではない。かといってリアリストというわけでもないが、目の前に置いてある大量の毛糸が目に入ってしまったのだ。それを見ていたらなんとなく思いついて、それを実行してみただけの話である。


「真ちゃんはそういうの嫌いなの?」

「嫌いとは言わないが、たとえ運命でなくてもお前を見つけ出すくらいはするのだよ」


 赤い糸などというものがなくても、自分自身の力で。
 そう話すのが緑間らしくて、思わず「確かに真ちゃんならそれくらいやってくれそうだな」と笑みを零した。その為の人事は尽くしてくれるだろう。彼はそういう人だ。


「だが、赤い糸が本当にあったとしたなら。オレ達が出会ったのは必然だったのだろうな」


 何十億分の一で巡り合えたのは決して偶然ではない。必ず出会う星の下に生まれてきた、ということになる。
 要するに、中学の時に試合をしたことも。その後に秀徳高校で二人が出会ったことも。全ては必然だったわけだ。勿論、運命の赤い糸というものが実在していたらの話だが。


「お前は赤い糸の由来を知っているか?」

「流石にそこまでは知らねーけど」

「元は中国で書かれた話に由来するものらしい」


 その昔、一人の男が旅の途中に老人に出会う。その老人は冥界の人間で、この世の全ての婚姻に関わることを管理していたそうだ。以前から縁談に失敗していた男は老人に目下の縁談が成功するかを尋ねるが、男には運命の人が居る為に失敗すると答えられた。
 では、その運命の人とは誰か。それはまだ三歳ほどの女の子。十七歳になるまで待つように言われるが、男は女の子を殺そうとした。しかしそれは失敗に終わり、その後も男の縁談は失敗が続いた。


「それじゃあ、その男は誰と結婚したんだ?」


 高尾が尋ねれば、緑間は決まっているだろうと言った。これは運命の赤い糸の由来となった話だ。それで高尾も話の先を理解したらしい。
 そう、女の子が十七歳になった時のことだ。男の上司が彼を気に入り、自分の娘を嫁がせることにした。その娘というのが、老人に教えてもらった三歳の女の子だったのだ。


「他にも説はあるが、これが運命の赤い糸の由来になった話だ」

「へぇ。つまり、赤い糸が実在してたらどうやってもオレ達は結ばれる運命だったってこと?」


 それは赤い糸が実在していた上に自分達が結ばれる運命だったならの話だが、言ってしまえばそういうことだ。


「信じるか?」


 運命の赤い糸なんてものが本当に存在しているか。
 これはあくまでも人と人を結ぶ伝説に過ぎない。けれど、そういう話があるからこそ“運命の赤い糸”という言葉が広がっているのだ。運命の人、運命の出会いと言ったりもする。
 それに、元々この話を振ったのは高尾の方だ。


「運命の相手でもなければ、男なんて選ばないんじゃね?」

「……それもそうだな」


 そう言ってどちらともなく唇を寄せた。

 今はこうして付き合っているが、クラスメイトでチームメイトの男を好きになったと気付いた時は色々と悩んだものだ。目の前の男に出会う前は、漠然といずれは女の子と付き合って結婚するという世間一般的な未来を思い描いていた。
 それなのに、いざ自分が好きになった相手は男。しかも友人で相棒だ。勘違いかもしれないとも思ったが、そうでないことはお互いに分かりきっている。だからこそ、二人は恋人なのだ。


「でも」


 自分がこの恋人に惚れているのは間違いない。女の子が嫌いなわけでもないけれど、彼のことが好きなのだ。この気持ちは本物で、いつまでも一緒に居たいと思っている。そう思える相手が他に現れるなんて考えられない。


「やっぱり、そんなモンは関係ないかもな」


 そこに運命の赤い糸があったかなんてどうでも良い。自分はこの人が好きだ。相手も自分が好きで、それなら他のことはどうでも良いだろう。
 翡翠を見つめて笑えば、同じように緑間も微笑みを浮かべた。


「言い出したのはお前だろう」

「なんかどうでもよくなっちゃった」

「気紛れな奴だな」


 だけど嫌いじゃないんだろう、と尋ねれば「そうだな」と肯定で返される。
 さて、本来の目的であった宿題は片付けた。この後は恋人としての時間を過ごそうか。










fin