「学園祭の出し物、このクラスは何にするかを決めたいと思います」
HRの委員長の言葉に、クラスメイト達は様々な案を挙げていった。お化け屋敷、飲食店、展示、他にも占いやゲームなどといった声も上がった。その中から多数決により徐々に数を減らしていった。
そして、最終的に決まったのはどういう訳かメイド喫茶だったのである。
貴方は特別なご主人様
誰が言い出したのか。最初は喫茶店だった。それがテーマがあった方が良いと言う話になり、誰かがメイド喫茶なんてどうだと言った。その彼が女子のメイド服が見たいからと口にすると、当然のように「男子サイテー!」とクラスの男子全員が非難されてしまった。
しかし、今度は女子の一人が男子もメイド服を着るならそれでも良いなんて言い出したのだ。その発言に男子は固まったのだが、逆に女子はおもしろそうだと盛り上がる。このままでは女子の票は明らかにメイド喫茶に偏る。どうすると小声で相談をする男子達だったが、それに追い打ちをかけるような一人の声にクラス中が反応した。
「いやーまさかこんなことになるとはね」
学園祭開始前の最後の準備時間。先程からずっと肩を震わせている隣の男の名を地を這うような声で紡ぐ。それでもごめんと言いながら未だに笑い続けている。怒りのボルテージが上がっていくが、何を言ったところで今のコイツには無駄だと判断する。深い溜め息を零し「いい加減にしろ」と頭を叩けば、下から抗議の声が聞こえるが知ったことではない。
一体この男が何をこんなに笑っているのか。全ての元凶はこの男自身にあるのだ。尤も言い出したのは他の男子であり、それに悪乗りしたのはクラスメイトの女子である。ただし、最後に決定となる原因を作り出したのは間違いなくこの人物だ。
「でも真ちゃん似合ってるじゃん」
「それ以上言ったら後で覚悟をしておくのだよ」
「だからごめんってば。それに、オレだって真ちゃんのせいでこんな恰好する羽目になったんだからな」
そう話している間にもふわりとフリルのスカートが揺れる。黒を基調としたこの服は、今回の学園祭の出し物であるメイド喫茶の衣装だ。男女共に接客担当はメイド服が義務付けられ、女子はともかく男子のメイド姿なんて誰得なのだろうか。ネタとしては有りなのかもしれないが、見て嬉しいものではないだろう。
さて、男子は全員が反対意見だったのにどうしてこの案が可決されることになったのか。それは、とある生徒の発言により男子もおもしろそうだと悪乗りしてしまったからである。
『男子もメイドの格好するならさ、真ちゃんもメイド服着ることになるんだよな。真ちゃんのメイド姿とかスッゲー見てみたいんだけど』
絶対に面白がっているだろうという態度で、そんな話題を緑間に振ったのは高尾だ。二人は席が前後であり、高尾が後ろを振り返ってそんなことを口にした。距離が近い為に通常の声の大きさで話したのだが、それでも近くに居た人には聞こえていたらしい。馬鹿なことを言うなと話す緑間の返答など聞かず、周りが「何それおもしろそーじゃん」「え、緑間君がメイド服?」と瞬く間にクラス中に二人の会話が広まってしまったのだ。
その結果、反対するつもりだった男子までもがそれならメイド喫茶でも良いと言い出した。最後まで緑間は反対したが、多数決で可決されてしまったのだから仕方がない。それでも厨房に回ると悪足掻きはしたのだが、料理が出来ないことを知っている高尾にそれをバラされてしまえば、当然のように接客に決められてしまった。
『それなら高尾、お前も接客をするのだよ』
『えー? オレはいーよ。メイド服なんて着たくないし』
『こうなったのもお前の責任だ』
女装趣味なんてない男子生徒達は誰もメイド服を着たいとは思わない。緑間が着たくないように、高尾だって自ら進んで着たいなど思ったりしない。しかし、クラスメイトは緑間の言葉に続くように「お前は接客だろ」と口を揃えた。え、何でという表情をした高尾に対し、むしろお前が接客じゃなくて誰がやるんだよとは満場一致の意見だった。
そのまま緑間だけでなく高尾も女装することに決まり、あとは誰がやるかというのをクジ引きで決めることとなった。不平等だと反論してみたが、多数決で決まりだと意味の分からない理由で却下されたのであった。
「お前がその恰好をしているのは自業自得だ」
「みんなしてオレに接客やれってんだもんな。マジひっでーよ」
有無を言わさずに接客に回されたのは、その性格故である。コミュニケーション能力が高い彼を接客に回さずにどうするというのか。それに女装が似合いそうだし、とは誰の言葉だっただろうか。どこからか聞こえた声は聞かなかったことにしておいた。
暫くすれば学園開始の合図が校内放送で流れる。同時に委員長が始まるよと声を掛けたことで、雑談をしていたクラスメイト達が動き始める。ちょっと色物であるメイド喫茶だったが、意外なことに客足は良かった。ある意味話題性のある出し物だったからだろう。怖いもの見たさでやってくる客が多いのだ。
「いらっしゃいませー! こちらの席にどうぞ」
お決まりの決まり文句で客を回していく。当日までクラス全員で準備に取り組み、しっかりと用意をしてきたが少なからず不安はあった。何にといえば、やはり男子生徒側にだ。今日実際にメイド服を着るとなったら全員が全員躊躇った。着てみた感想は人それぞれだったが、着てしまった時点で割り切ってしまっている。果てにはこれを楽しんでいる者もいた。
なんだかんだで接客は上手くやっている。料理は出来ないからという名目のメイド姿が見たいからで接客に回された緑間についても、やるとなったらきちんと仕事をこなしていた。多少なりと心配していたクラスメイトであったが、その心配は杞憂だったらしい。
交代までの時間。人が捌けることはなく店番はかなり忙しく、次の人達が来たところでやっと一息をつくことが出来た。
「どんだけ物好き多いのよ、ウチの学校」
自分の担当が終わって裏で休憩をしながら思わず出た言葉には誰もが頷く。店に人が入ってくれることは嬉しいのだが、あまりにも入りすぎて忙しすぎるとなれば考え物だ。それでもなんとかやり遂げたが、これが明日も繰り返されることになると思うとうんざりしてしまう。今日来てくれた人はないと考えれば二日目の方がマシなのだろうが、どうなるのかは当日になってみなければ分からないのだ。
「それにしても、真ちゃんってホントに真面目だよな」
「接客の担当になったのだから、それに相応する人事を尽くしたまでだ」
「真ちゃんらしいぜ。ちゃんと接客出来るのかなとか心配するだけ損だった」
「……お前は人を何だと思っているのだよ」
その言葉には「真ちゃんは真ちゃんでしょ」というなんとも高尾らしい答えが返された。だが、高尾の心配はクラスメイト全員の心配でもあったのだ。考えてみれば、先程の緑間の言葉通り。やるとなれば真面目にやる奴だと始まってすぐにクラスメイト達は考えを改めたのだった。
いざ学園祭が始まってから周りが驚いたことといえば、緑間のことも勿論だが高尾の方も驚かれていたのである。正確には、流石だよなと思われていた。誰に対しても笑顔で対応するという接客のマニュアル通りであり、何かと気遣いをする男だ。対応が流石としかいえなかった。あまりにもスムーズ過ぎて驚かれたのだ。おまけにメイド服も着こなしカチューシャまで付け、お前はどうしてそこまで順応出来ているんだと何人の男子が思ったことやら。
「これからどうすっかー。何か見て回る? それともこの格好のまま宣伝に校内でも歩く?」
「歩きたければ一人で行け」
一人だったら変人に思われるじゃん、と言っているがそれは二人でも変わらないと思う緑間は間違っていないだろう。学園祭中であるから認められている格好ではあるけれども。どうして店番の時間外でまでこの格好をしなければいけないのか。
女装趣味のない男子生徒達の中でこの格好を楽しんでいたのは、言うまでもなく高尾である。緑間のメイド姿に爆笑し怒られ、今度は「オレ結構可愛くね?」なんてふざけたことを言い出してまた怒られ。アイツ等は何をやっているんだと思いつつ、いつものことかとクラスメイトはスルーを決めた。
「でもさ、真ちゃんって美人さんだし? 結構いけると思うんだけど」
「ふざけたことは抜かすなと言った筈だが」
「いや、その身長だからやっぱアレだけど、美人だから――」
最後まで言い終わる前に上から拳が下された。殴ることはないだろと言われたが、先に忠告をしたとだけ緑間は答えた。女性なら美人と言われて喜ぶだろうが、緑間は男だ。美人なんて言われても全く嬉しくなんてない。
くだらない話をしている間にも着替えは済まされる。他のクラスメイト達は既にこの場には残っていない。学園祭を楽しむために校舎内を歩いている頃だろう。店番が終わってからいつまでもこんな所に残って話しているのは緑間と高尾ぐらいだ。
「ところで、ずっと聞きたかったことがあるんだけどさ」
全て片付け終えたところでくるりと振り向いた男は、口元に含みのある笑みを浮かべる。そして告げられたのは。
「あんなに見られると仕事し辛いんだけど?」
何のことだと聞き返してみたが、目の前の奴は「さあ?」と笑うのみ。問い返さずとも何のことを指しているのかぐらい、思い当たる節がない訳じゃない。大体、仕事なんて言葉に当て嵌まるのは学園祭での接客ぐらいだ。二人はまだ学生であり、部活に熱中している彼等がバイトなんてやる暇もない。必然的に何を指しているのかは絞られている。
「そんなにオレのことが気になんの?」
「お前が誰彼構わず愛想を振りまいて接するからだ」
「ちょ、何それ! 接客なんだからあれくらい普通だろ」
むしろそれは接客の基本なのではないだろうか。愛想が良くなければお客さんの気分を害してしまう。高尾の言っていることは間違ってもいなければ正論である。それをそんな風に言われてもどうすれば良いと言うのだろうか。接客を担当する以上は仕方がないだろう。
そう思う一方で、珍しいことを言うものだとバスケ部のエース様を見る。普段の彼ならば馬鹿なことを言うな、勘違いも甚だしいなどといった言葉を返してくる。それが今日は分かり易く答えてくれた。珍しいで片付けてしえばそれまでだが、その裏に隠されている意味に気付かないほど鈍くはない。
「真ちゃんは可愛いメイドさんに興味あったり?」
「寝言は寝て言え」
きっぱりと言い切られ、酷いだの冗談だの言葉を並べる。思わず緑間が溜め息を吐けば、口角を持ち上げた高尾が「分かってるって」と続ける。
メイド喫茶をやることになり、メイド服を着ることになったウチのクラス。女子はとても可愛らしく、男子は人それぞれとでもいおうか。先程高尾が途中で緑間に中断させられた言葉のように、緑間は背が高いながらも美人なだけに見れないものではなかった。高尾に至っては順応しすぎて普通に可愛い女の子に見えるとはクラスメイトが思っていた。
一括りにメイドといっても、この喫茶店をやってみて分かるようにタイプは様々。誰でも良いという訳ではない。高尾が言ったように、確かに緑間は接客をしている最中に高尾を見ていた。こんな冗談を口にしてみたが、その理由はちゃんと分かっている。
「学園祭もあと一日なんだからさ。それが終わったらまた、オレは真ちゃん専属に戻るから」
言葉は多くないが、つまりはそういうことだろう。メイド喫茶なんてものをやるからには、ただメイド服を着るだけではない。一応それらしくする為に色々な工夫もしている。例えば、お客さんをご主人様と呼んでみたりというオーソドックスなことだ。
見られていた理由なんて、本人が言った通りなのだろう。接客で愛想を振る舞うのは当然だが、見ていてあまり良い気はしなかったらしい。他の生徒のように可愛いからや対応の良さで見ていたのではなく、相手が高尾であるから見ていた。その理由だけならクラスの女子にも該当者は居る。可愛いメイドなんてものには端から興味がないのだ。
「オレにとっての特別は、真ちゃんだけだぜ」
そう言ってそっと唇に触れる。日頃は誰と何をしていても特に気にしないというのに、やはり一風変わったことをしている学園祭だからだろうか。恋人がやきもちなんて焼いたりしたのも。いつもは本当に何もないから、たまにはこういうのも良いかななんてこっそり高尾は考える。
「お前は目が離せないのだよ」
「心配しなくても平気なのにな。てか、オレの方が真ちゃんから目が離せないんだけど」
色んな意味で、とは心の中だけに留めた。口にしたところで意味が通じるとも思わないけれど。頭は良いのに変なところで疎いのだ。だからといって、恋愛面について鈍いのではないのだから不思議だ。
さてと、いつまでも此処でゆっくりしている訳にもいかない。そろそろ移動した方が良いだろう。
「結局午後はどうしよっか。とりあえず適当に校舎内でも歩いてみる?」
妥当な案を挙げれば了承が返ってきた。荷物を手にして教室を出れば、学園祭独特の雰囲気が満ちている。さっきまでの場所が切り取られた異空間だったかのように思える。あっちこっちから呼び込みの声が聞こえ、色々な格好をした生徒達が歩き回っている。少し前まではあちら側だったということを大分前のことのように思い出す。
「先輩のトコ行ったら奢ってくれねーかな」
「無理だろう」
「だよなー。でも行くトコもないし、行ってみるか」
あのこともあるし、と付け加えればそうだなとあっさり目的地が決定した。
あのこととは、勿論店番中の出来事である。丁度店番の時間帯がずれていたらしく、後輩のクラスまで遊びに来てくれた先輩達のことはしっかりと覚えている。それはもう凄かったとしか言いようがない。一時クラス中の視線がバスケ部レギュラー陣に集中していたのは言うまでもない。
そしてこの後。行く先の教室でまたバスケ部レギュラー陣にその場の視線が集まっていたのはもう仕方がないだろう。
色々と目立つ人達であり、なんだかんだで仲の良い人達だなとは周りの生徒達がこっそりと思っていたことである。
fin