「またここでサボってんのかよ」
遠くから聞こえてくる声に重い瞼をゆっくり持ち上げる。視界に広がるのは青。どこまでも続く青に、所々に浮かんでいる白。それなら声はどこから聞こえて来るのか。
答えは簡単だ。ここより下、屋上の入口から入って来てそこから声を掛けて来たのだろう。よくあるやり取りなだけに深く考えずとも分かる。
「そういうお前だってサボりじゃねーか」
「んー? 細かいことは気にしないの」
よ、っと短い掛け声と共に上に登って来る姿も見慣れたものだ。声で分かっていたが、やはりというか当然というべきか。そこに現れたのはクラスメイト兼チームメイト。風に靡かれた黒髪の下から色素の薄い瞳がこちらを捉える。
「あんまサボってっと桃井ちゃんに怒られるぜ?」
「その言葉、そっくりそのままお前に返すわ」
「オレは大ちゃんを探しに来ただけですー」
それはただのサボりの口実だろう、とは口にしなかった。サボりの口実だなんてことは分かっているから。代わりにそのふざけた呼び方を止めろと言ったのだが、こっちの方が呼びやすいしなんてふざけた言葉が返ってきた。何がどう呼びやすいのか。青峰って言い辛いじゃん、と言っているそれはとても言い辛そうには聞こえないのだが突っ込む気力もなくて青峰はただ空を見上げた。
そんな青峰を横目に見ながら、高尾もごろんと寝転がる。視界に広がるのは大きな青。終わりの見えないそれはどこまで続いているのだろうか。
「授業も部活も少しはマトモに出ろよな」
いつもサボってばかりいる青峰にそう投げ掛ける。面倒だから良いんだよとダルそうな声だけが聞こえてきて、困ったものだなんて思いながらも勉強はともかくバスケでこの男に勝てる奴が居るのかと言われれば肯定は出来ない。
キセキの世代エース、青峰大輝。
桐皇学園が獲得したキセキの世代は、変幻自在のプレイスタイルで点を取っていく天才スコアラー。サボり癖があることが少々問題だが、実際練習をしなくても青峰は強かった。彼と同じ、キセキの世代である黄瀬と戦った時も青峰は本気を出すことなく試合に勝利した。練習しなくても勝てる、それが事実なだけにこの現状も仕方がないのかもしれない。
「つーか、ここに居る時点でお前もサボりだろ。授業は良いのかよ」
「大ちゃんには言われたくないんだけど」
一応サボっている青峰を探しに来たらしい高尾だが、教室に戻ろうとしていないのだからどちらも同罪だ。お互い授業についてどうこう言ったところで説得力なんて全くない。
それに、言いながらもお互い相手がサボることは分かり切っているのだ。出会った時から数えて三つ目の季節。少なからずお互いのことは分かるというもの。青峰は授業も部活も多々サボり、高尾も青峰ほどではないもののそれなりにサボっている。今更なのだ。
「そういや高尾、お前勉強出来るんだっけ」
「出来るってほどじゃないけど何で?」
「この前、課題提出し忘れたら追加の課題出されてよ」
「それオレ関係ないよね?」
次にくる言葉が予想出来て先にそう言ったのだが、それくらいのことは青峰も予想済みだ。青が楽し気に笑みを浮かべながら色素の薄いその瞳を真っ直ぐに見る。
「固いこと言うなよ。オレとお前の仲だろ?」
「いやだってオレ勉強出来るワケじゃねーし。桜井とか桃井ちゃんに聞きなよ」
課題を手伝うなんてそもそも面倒だしパス。成績は悪くないものの好き好んで他人の課題を手伝おうと思えるようなお人好しな性格ではない。人当たりの良いように周りと接してはいるけれど、それとこれとは別。
だが、青峰とてここで諦めるような男ではない。桃井に頼んだなら絶対に怒られるからまず却下。桜井になら手伝って貰えるのだろうが、今この場に居るのは自分と高尾な訳で。それなら高尾に頼むのが早いという結論に至ったのだ。高尾にしてみれば迷惑極まりないけれど。
「ちょっとぐらい良いだろ。減るもんじゃねーんだし」
「減るだろ。オレお前と授業サボっちゃうようなヤツなんだけど?」
暗に勉強なんてやりたくないんだけどと伝える。後から追加の課題を出されるのは嫌だから、授業をサボることはあれど課題提出だけはきちんとやっているのだ。いくらチームメイトの為とはいえ課題の手伝いなんて頼まれてもやりたくない。
「はぁ、なら良に押し付けるか」
「それは流石に桜井が可哀想でしょ。せめて手伝って貰うくらいにするとかさ」
「見たってさっぱり分からねーのにどうしろってんだよ」
それにしたって、と言おうとして止める。それは流石に不味いんじゃないかと思ったが、今更といえば今更だ。青峰の成績くらい高尾も知っている。学生の本分は勉強だが、部活動にも勿論力が入れられている訳で。遅刻等で先生に注意されることはあれどこれはこれで良いのか。
良くはないだろうが、彼には天賦の才がある。それである程度のことが認められているのは事実だ。実際、それだけの腕もある。天才っていうのはどいつもこいつもこうなのか、なんて考えていたのは最初の内だけ。今も思っていない訳ではないけれど、青峰の言うことが真である限りそれは変わらない。
「ちなみに教科は?」
「お、やっとやる気になったか」
「違げーよ。追加課題がどんなもんか気になっただけ」
「ならついでにやれよ」
「嫌だってば。オレ勉強嫌いだし」
ほいと手渡されたプリントをパラパラと捲る。どうしてこの場にプリントがあるかといえば、ここに来る途中で教師に見付かって渡されたといったところだろう。一度教室に置きに戻るのも面倒でそのまま屋上へやって来た、という考えは強ち間違っていない。邪魔だから戻った方が良いかとも考えたものの、そんなことをしていたらチャイムが鳴りそうだしなということもあって戻らなかったのだ。
プリントに印刷されているのは沢山の数字。どこを見ても数字の羅列。そういえば先週、数学の提出課題があったなと思い出す。それを出さなかった為の課題だろう。どれ程のものなのかと思ったが、これはなかなかの問題数だ。どれも授業でやった範囲ではあるが、青峰一人でこれをやるのは大変そうである。
「少しは手伝おうって気になったか?」
なんならそのまま答えを埋めてくれても良いぜ、と青峰は話す。解けないことはないけれどやはり解く気にはならない。授業をサボってここに居るというのに、ここでまで勉強をしようとは思わない。それならば授業を受けていた方が平常点も貰えて良い。分かっていてもサボっているのは、やはり面倒だからの一言に尽きる。
だが、これを桜井が一人で解くのはそれで大変だろう。桜井自身もやらなければならない課題はあるだろうし、部活だってあるのだ。青峰に言われれば断れないだろうが、それは流石に可哀想だなと思う。
「青峰、少しは自分でやってみれば? 教えるくらいならしてやっても良いぜ」
「……やっぱお前に頼むのは間違いだったな」
「ひっでぇな。人がせっかく勉強に付き合おうって気になったのに」
誰もそれは頼んでねーよ。青峰は眉を顰めながら高尾を見る。立場が逆転し、高尾は楽しげに青を見つめている。本当に良いの?やらないとまた追加の課題が出されるかもしれないぜなんて口にすると、手伝って貰えないなら意味ないだろと。
これも手伝いといえばそうだが、青峰としては教えて貰ってもどうせ忘れてしまうのだからやるだけ無意味だと思うのだ。こんな計算が出来なくたって将来何も困らないのに教師は面倒だよなというのは、教師が聞いたら悲しむことだろう。確かにこんな数式は実生活であまり使わないだろうが、一応やる意味はあるだろう。そう思った高尾も一応と付けている辺り、そこまで大差はない。
それから他愛のない話を繰り広げ、気が付けば授業終了のチャイムが鳴り響く。その音に「授業終わったな」と言いながら体を起こして隣を振り返る。
「お前の言い分も分かるけど、たまには練習出ろよ。レギュラー取られるぞ」
まぁ、そんなことは絶対にありえないだろうけれど。
内心でそう付け加えて高尾は立ち上がる。次の授業までサボるつもりはない。隣の彼は当然のように次の授業もサボる様子だが。普通の一般生徒があまりサボると成績など色々と不味いのだ。サボったせいで部活に支障を出すつもりはない。
天才はいいよな、とは思わない。だが、天才だからって何もしないでいればいつか抜かれる可能性がないとは言い切れない。現時点では無理でも、いつか。どこかに青峰を倒す奴が現れたっておかしくはないのだ。
「授業はサボる癖に部活には熱心だよな。よくやるわマジで」
「そりゃ、オレの目標はアイツを倒すことだし?」
アイツ、としか言わなかったが青峰には十分だったらしい。とはいえ、相変わらず興味はないらしく「あーアイツな」と言いながら精々頑張れよと手をひらひらさせる。
同じ東京の学校同士、キセキの世代を獲得した高校同士。やり合う機会はきっとあるだろう。青峰とどちらが強いのかは分からないが、その時は必ず勝つ。その為にも今は練習を重ねるしかない。
「桃井ちゃんに怒られないうちに戻った方が良いぜ」
「わーってるよ。お前も早くレギュラー取れよ」
「オレは早くても来年だって。今吉サンが居るんだから」
じゃあなとだけ言って今度こそ別れる。
屋上に残った青峰はドアが閉まる音を聞きながらまた空を見上げた。広い空に白い雲、その世界に羽ばたく鳥。
そういやアイツのプレーあまり見たことないなと空を眺めながら思う。高尾はレギュラーでないのだから練習に殆ど出ない青峰がそれを見る機会なんてない。主将と同じポジションということはポイントガードか、なんて今更なことを考える。
(今度練習出た時にアイツがどんなプレーすんのか見てみるか)
きっと本人にこれを言ったなら今更かよと突っ込まれるだろうが、それも青峰らしいかと納得してくれるだろう。その裏で何を考えているかまでは分からないけれど。授業はサボってもバスケに関しては真面目な奴なのだ。
だが今は授業の合間の十分休み。とりあえずこの時間は寝ようと目を瞑った。
青い空の下を屋上で