僕らのスキンシップ
弟は高校に進学し、兄も大学に進学した。それでも兄弟仲は相変わらずだ。今日もまた兄は弟の部屋にやってきている。
大学生になってからというもの、課題は色々とあるようだが部活がなくなった為に時間が余るようになったらしい。今まで以上に兄は弟の部屋に入り浸っている。最早、部屋を分ける必要があったのかと思うレベルだ。最初からこうなると分かっていたから必要はないと話していたのだけれど、これはこれで上手くやっているのだからきっと良いのだろう。
「流石だな、真ちゃん」
この年でもちゃん付けで呼ぶのはどうなのか、というのは第三者の意見だ。本人は、真ちゃんは真ちゃんだからと言っているし、弟も好きに呼べば良いと思っている。今更のことであり、その呼び名が互いに定着してしまっているのだ。ついでに、兄弟にしてはちょっと激しいスキンシップも健在だ。そう言いながら兄は今もまた額に軽く口付けを落とした。
「これくらいの問題くらい解けて当然なのだよ」
「でもこれ、応用問題っしょ? 一筋縄ではいかない気がするけどな」
「兄さんがそれを言っても、全く説得力がないのだが」
真太郎も成績は良いが、兄も十分成績が良いのだ。どちらも学年で常に上位に入っているくらいの学力は持っている。そんな人がこの問題を解くのが難しいといっても、弟の言うように説得力なんてものはない。
「それと、スキンシップも程々にするべきだと思うのだよ」
昔から変わらないスキンシップ。変わらないからこそ問題があるのだ。小さい頃なら、兄弟仲が良くて戯れていると片付けられた。しかし、今は高校生と大学生だ。そんな二人がこのようなスキンシップをしていたなら、誤解されることがないとは言い切れない。
だから真太郎はそのように言ったのだが、「真ちゃんは嫌?」と尋ねてくる辺り話の意図は読み取ってくれていないのだろう。頭が良いというのに、こういうことには疎いのだ。
「嫌ではないが…………」
「なら良いじゃん。誰かが困る訳でもないんだし」
それを言うのならオレは困っているんだが、というのは弟の言い分だ。兄だって誰にでもこんなことをするのではなく、相手は弟限定だ。それにしても問題である。
何が問題かといえば、兄がそのことについて特に何も意識していないことがだ。一度はっきり理解して貰った方が良いのではないかとも思う。そうでもしなければ、この兄はいつまで経ってもそのことに気付かないだろう。
思い立ったが吉日、ということわざがある。それに従って、真太郎は何の危機感も持っていない兄を見つめる。
「真ちゃん? ……って、ちょっと待て!!」
いきなり腕を掴まれたかと思えば、そのまま後ろに倒れ込む。昔は弟の方が小柄だったというのに、高校生になった彼は余裕で兄よりも大きくなった。身長も体格も全て弟の方が上回っている。最初こそ和成は弟に背を抜かされたことに少なからずショックを受けていたが、ここまで来るともう気にしないことにした。既に身長差は二十センチ近くもあるのだ。これだけ差があれば逆に諦めもついてしまう。
「兄さんは危機感がなさすぎる」
「んなこと言われても、どの辺が――――っ!」
全く理解していない兄には、分かり易い方法が一番だ。最後まで言い終わるよりも前にその口を塞いだ。いつもの軽いスキンシップというレベルを超えたキス。ここまですれば、いくらなんでも気付くだろう。これで気付かなかったら、逆にどうすれば良いのかと頭を抱えてしまいそうだ。
「ちょ、いきなりどうしたんだよ」
「さっきも言ったのだよ。兄さんには危機感がなさすぎると」
「だからどういう意味かって、真太郎、タンマ!!」
名前を呼ぶのなんて珍しい。それだけ切羽詰まっているらしい。兄が弟のことを名前で呼んだ回数など、これまでの人生で数えても殆どない。昔からずっと「真ちゃん」と呼んでいるのだから。
一度動きを止めて何だと尋ねてみれば、とりあえず話そうなんていう的外れなことを口にする。これでもかなり頭は良い筈なのだが、突然色々なことが起こりすぎて頭が碌に働いていないのだろう。要望通りに話は聞くことにして、もう一度何だと繰り返せば二つの色がぶつかった。
「何だじゃなくて、急にどうしたんだって言ってんの。危機感って、何に対する危機感だよ」
「どちらもさっきから言っていると思うのだが」
それでも分からないから聞いているんだと兄は訴える。まさか本当にこれで何も気付かないとは思わなかった。否、これだけ動揺しているのだから少なからず頭で理解はしているだろう。行動に移す方が早いと思ったけれど、これは言葉にした方が良さそうだ。
「オレが兄さんをどう思っているのか、分かっていないみたいだから危機感を教えている」
「真ちゃんがオレをどう思っているか……?」
真太郎が動きを止めたことで、少しは落ち着きを取り戻してきたようだ。弟の言葉を和成は必死で分析する。そんな大層なことをしなくても、これまでの行動と今の発言から答えなんて出ているも同然だ。ここまでくれば、いくら疎いといわれていても分かる。理解はしても、信じられないと言う感情が大きい。
「うそ、だろ?」
「嘘ではない。それが分かったなら、これからはそういう行動を控えるべきなのだよ」
漸く理解してくれた兄の様子を見て、真太郎は掴んでいた腕を開放する。そのまま離れようとしたのだが、それは放した手を逆に掴まれることで阻止された。
一体どういうつもりなのか。そう尋ねようとしたところで、真太郎は口を閉じた。兄の真っ直ぐな瞳がじっと見つめている。
「あのさ、真ちゃん。オレは話そうって言ったでしょ?」
数分前、弟の行動にストップをかけた時。和成はとりあえず話そうと言って止めさせたのだ。真太郎からしてみれば、当初の目的である危機感を教えることが出来たのだからこれ以上何かを話すことはない。
しかし、それはあくまでも真太郎の意見であり、和成にはまだ話したいことがあるのだ。これでは一方的に言われたままで話したとはいえない。だから、ちゃんと話そうと再び口にしたのだ。それは兄が弟に注意をするときのそれと同じだった。
「真ちゃんはオレのことが好きだから、そういうことをするなって言いたいんだよな? そういう意味なら、全然問題ないから」
問題があるから分からせたというのに、問題がないとはどういう意味なのか。思わず「は?」と素っ頓狂な声が零れる。そんな弟の反応に和成は笑みを浮かべながら続ける。
「だって、オレも真ちゃんのことが好きだから。ほら、何の問題もないだろ?」
楽しげに話してくれる兄に、今度は弟の方が驚かされることになる。そういうことなら何の問題もなくなるけれど、元々そういうつもりで行動していたのではないだろう。
初めは確かに兄弟のスキンシップだったのだ。それがただの兄弟愛の域を超えたのはいつだったのか。そんなことは二人とも覚えていない。いつからか、そういう意味でも好きになってしまったのだ。二人の間には色々な大きな壁があり、胸に秘めたまま兄弟愛として付き合ってきた。
「真ちゃんが嫌だって言うなら止めるけど、ダメ?」
「駄目とは言わないが、少しは考えて行動して欲しいのだよ」
「それなら良いだろ。別に何をしたらダメとは言ってないし、な」
弟の言おうとしていることに気付いたのか、兄はそんなことを言い出した。それにはもう言い返す言葉もない。この兄は何を考えているか分からない。
「兄さんが言ったんだからな」
「分かってるよ。でも、今日はとりあえず出掛けようか」
また唐突な話題を転換だ。もう時刻は夕方で、こんな時間からどこに出掛けようというのか。兄の唐突に今更何か文句を言ったりはしないが、何をするつもりなのだろうか。その答えは、次の言葉で明確になった。
「今日は夏祭りだろ?」
それを聞いて、全て納得した。夕方から出掛けるというのも納得できる。夏祭りは夕方から夜にかけて開催される。近所で開催されるお祭りなのだから、このくらいの時間に行くのが丁度良いだろう。話題を持ち出したのは唐突だったが、祭りは毎年開催日は決まっている。一緒に行こうと誘おうとしていたのはもっと前からなのだろう。
小さい頃は毎年のように夏祭りに通っていた。けれど、進学していくうちに部活が重なったりとなかなか行く機会がなかった。今日は珍しく二人のオフが重なっている。だから久し振りに行こうと提案したのだ。
「祭りに行くのならそろそろ出た方が良いのではないか」
「そうだな。手でも繋いでいく?」
「もう逸れる年ではないのだよ」
それでも、手を繋いでいくのも良いかなとは思ってしまった。それがどちらが思ったことなのかは内緒だ。
適当に準備を済ますと、二人で家を出る。
あの頃のように、二人で仲良く久し振りのお祭りを楽しもう。
fin