授業が終わり部活が終わり、残りの時間は自主練習。ウィンターカップが近いこともあり、居残り練習していく部員もそれなりに居る。三年生にとっては最後の大会だ。みんながみんな、悔いの残らないようにとひたすら練習する日々。
「高尾」
練習が終わった後も監督が残っているなんて珍しい。部員達はそう思っていたのだが、主将に用があったのなら納得である。その声に反応して高尾もすぐに監督の元へ走る。
「どうかしたの?」
「まだ残って練習をするのか」
「え? まあそのつもりだけど……何かあったりする?」
最初は部活のことで呼ばれたのだと思ったがどうやら違うらしい。家のことについて学校で話すこともあるけれど、こんな風に聞かれることはそうそうない。緑間は高尾が残って練習することくらい知っているし、家の用事があるのなら大抵先に言われている。それとも急用が出来たのだろうか。それなら部活の後で言われるのも納得だ。
そんな風に高尾はあれこれ考えているけれど、実際はもっと簡単な話だった。居残り練習をしていくのは構わないのだが、と前置きをして緑間は用件を口にする。
「たまには一緒にバスケを――――」
「する!!」
言い終わるよりも前に高尾が肯定する。
高尾は緑間にバスケを教わって今に至る訳だが、最近はあまり二人でバスケをする時間が取れていなかった。居残り練習の時間を減らさせるつもりはなく、帰りに少しやっていくかという意味で尋ねたのだがまさかこれほどまでに即答されるとは思わなかった。
だが、高尾からすればせっかく緑間とバスケが出来るのだ。やりたくても時間がなければ無理であって、時間があるのならいつだって一緒にバスケをしたい。緑間のシュートを見たいと思うのだ。
「ストバス行くの? オレは体育館でもどこでも良いけど」
「お前が残ると思っていたからストバス場のつもりだったが……」
「どっちにしろやるのはバスケだろ? すぐ準備するから待ってて!」
一人で居残り練習ならいつでも出来る。けれど緑間に付き合ってもらうのはいつでもというわけにはいかない。それならどちらを選ぶかなんて決まっている。
それだけを言い残して高尾はさっさと部室の方へと走って行った。あっという間の出来事である。話を知らない部員からすれば何事だという感じだろう。話を振った緑間でさえ予想外だ。だが、部員達も二人の関係が特別であることくらいは知っているのだ。だから特に気にしたりもしない。
高尾が行った後で緑間もあまり遅くならないようにと残りの部員に注意だけして体育館を後にする。あの様子ではすぐに支度を終えるだろう。それでこちらの準備が出来ていないと待たせるのは悪い。
職員室に一度戻って支度を済ませて外に出ると、そこには既に弟の姿があった。
「待たせたか?」
「オレもさっき出てきたとこ。いつもンとこで良いの?」
「そうだな」
目的地が決まったところで並んで歩き始める。いつものところ、というのは自宅からそれほど離れていない場所にあるストバス場のことだ。どうせバスケを終えたら家に帰るのだからあえて別の場所を選ぶ必要もないだろう。
二人で一緒に出掛けることは今でもないとはいわないけれど、こうして学校帰りに並んで帰るというのはあまりない。同じ部活の顧問と部員であるとはいえ帰る時間は別々だ。逆に朝はお互い朝練に合わせて家を出るから一緒のことも多い。
「でも本当、真ちゃんとバスケやんの久し振りだよな。前にしたのってインハイの前だっけ?」
「あとは今学期に入った頃に少しだけやったぐらいだな」
あの時は時間もなく、それでもやろうと高尾が言ったから付き合った。もう体育館を出なければならないような時間、まだ残っていた高尾の様子を緑間が見に来た時のことだ。他の部員はみんな帰った後で、ちょっとで良いからやろうというその誘いを断りきれずに短い時間ではあったがバスケをした。
やろうと思えばバスケをする時間を作れないこともないのだが、平日も休日も部活の二人にそのような時間を作るのはそう簡単なことでもない。作ろうと思えば作れるものの、兄弟なのだからそこまでして時間を作るよりまたの機会にしてしまうだけの話だ。
「そんなにオレとバスケがやりたかったのか?」
普段は残れるギリギリの時間まで練習をしているのだ。けれど今日は二つ返事で緑間と一緒にバスケをすることを選んだ。高尾の言っていたようにどのみちやることはバスケだが、それとこれとでは多少なりと違いがある。
とはいえ、緑間とするバスケは練習にもなれば勉強にもなる。何より一緒にバスケを出来ることは楽しいし、高尾は兄のプレーを見ることが好きだ。天秤にかけた時にどちらを選び取るかなど初めから決まっている。この問いの答えだって一つしかない。
「オレはみんなとやるバスケも好きだけど、真ちゃんとやるバスケが一番好きだから」
兄の影響で始めたバスケ。中学、高校と続けてその都度仲間が出来た。その仲間達と優勝を目指して過ごした日々もかけがえのないものだけれど、それよりも前。バスケをしていた兄の姿に惹かれ、その兄にバスケを教わったあの時から高尾のバスケは始まった。
確かに今のバスケは好きだ。バスケというスポーツそのものも好きである。けど、その中でも兄とするバスケが好きなのだ。むしろ兄のしているバスケが好きだった。だから緑間とするバスケが他の誰とするバスケよりも好き。同じキセキの世代でも緑間が居れば満足なのだろうというその言葉を否定出来なかったのはそういう訳だ。
「そう言ってくれるのはお前ぐらいだろうな」
「そうなの? 赤司先生とかは?」
「アイツはオレ達とするバスケが好きだったんだろう。オレに限ったことではない」
チームメイト達とするバスケが好きなのは、余程険悪な関係でもない限りはみんな同じだろう。緑間の友人であり元チームメイトの赤司にしたって同じだ。勿論、緑間もかつてのチームメイト達とするバスケは嫌いではない。
では、誰とするバスケが好きなのか。
そんなことは答えるまでもないだろう。高尾が緑間とするバスケが好きだと話したように、逆もまた然りである。緑間も弟とするバスケは楽しくて好きなのだ。わざわざ言葉にはしなかったけれど、とっくに高尾はそれを知っているから良いだろう。
「次の大会で最後だな」
高校バスケ最後の大会、ウィンターカップ。それが終われば高尾達三年生は引退だ。最後だからこそ悔いのないようにとみんなこれまで以上に熱心に練習へと取り組んでいる。高尾とてそれは同じだ。長かったような気もするし、短かったような気もする。これが終われば三年生は受験へと切り替わる。
卒業をしてから就職するにしろ進学をするにしろ、バスケを続けるというのは部の中でもそう多くない。バスケが好きなのとそれとは話が別だ。高尾もバスケは好きだが大学では続けるつもりはないし、本人がそう決めたのだから緑間も何も言わない。かつては緑間も通ってきた道だ。幼かった弟はバスケを辞めてしまうのかと辛そうに尋ねたが、それでも最後は分かってくれた。だから緑間も高尾の好きにさせることにした。
「最後までよろしくお願いします、監督」
「お前も最後までしっかりチームを引っ張っていくのだよ、主将」
「分かってる。このチームで日本一になりたいから」
その為にもチームを一つにし、全員の力を合わせて戦うのだ。練習中は厳しいと言われる主将もこの仲間と勝ちたいからこそであり、それが分かっているから部員もついてきてくれる。あまり心配はしていなかったけれど、主将になってから一年。ちゃんと主将らしくなったものだ。
「引退したら寂しくなりそうだ」
「それをいうなら卒業したらでしょ? でも、オレは教師になったら戻ってくるから」
同じ学校に勤務することになるかどうかは分からないけれど、可能性としてはゼロではない。そうしたら今度は同僚として肩を並べることになるのだろう。もしかしたら数年後はそういう関係でこの道を歩くのかもしれない。
今は想像上でしかないけれど、高尾なら大学で勉強をして真っ直ぐに教師の道を進むだろう。きっと、同じ職場の人間になったとしてもこの呼び方は変わらないのではないだろうか。教師と生徒という関係でありながら三年間何度注意しても変わらなかったのだから。
「ならその時を楽しみにしているのだよ」
高尾が教師になる頃には緑間も新米ではなくなっている。同じところまで辿り着いても全てが同じとはいかないけれど、兄を追い掛け続けている弟は確実に前へと進んでいる。そうして隣に並んだ時、一体どんな世界が見えるのだろうか。緑間にしても高尾にしてもそれはまだ分からない。
けれどもし、同じ立場になり同じ職場になったとしたら。その時は……いや、その先は高尾が教師になってからにしよう。彼の進路を気にしているのは緑間だけではないのだ。とはいえ、それはまた別の話である。
そうして話をしながら歩いていると、あっという間にいつものコートまで辿り着く。話していると時間の流れも早いものだ。
鞄などを纏めて端に置き、バスケットボールを手にして向かい合う。昔から変わらない光景だ。
「何か練習したいことがあるなら付き合うが」
「それは嬉しいんだけど、やっぱり……」
ダムダムと数回ほど地面についたボールをキャッチすると、迷いなく緑間へと向けてパスを出す。その先の言葉の意味を読み取った緑間は、そのボールを真っ直ぐにゴールへと放る。
綺麗にループを描くその様子を高尾はじっと見つめた。今まで何度も、誰よりもそのシュートを見てきた。何度見ても決して真似出来ない緑間だけのシュート。バスケをやっていたのは七年前だというのにその腕は全く鈍らない。そういうところは凄いなと純粋に思う。同じスポーツをやっている者として、兄弟として。
「和成、オレのフォームに合わせてパスを出せるか?」
ボールがリングを潜り抜けるのを見届けた後、翡翠をこちらに向けて兄はそんなことを言い出した。思わず「え」と間抜けな声が漏れてしまったが、普通は考えつかない発想である。そもそも、そんなことは実現可能なのか。
出来るか出来ないかでいえば、大多数が出来ないと判断するだろう。しかし、絶対に不可能なことではない。現実的に難しいことを言っているのは分かっているが、この兄なら。緑間も相手が高尾だからこそ言っているのだ。弟のパスがどれだけ上手いかを知っているからこそ。
「出せるかって言われたら、そりゃあ出すに決まってるじゃん」
「それなら話は早いな」
やれるかどうかと聞かれてやれないとは言いたくない。兄が自分を認めているからこそだと分かっていて逃げたくない。やれるかではなくやってみせる。
これを成功させたところで実際の試合では使えない。二人は同じチームメイトではないし、別の誰かとやろうとも思わない。でも、やってみたいと思った。だからそのシュートフォームに合わせてパスを出すのだ。いくらなんでもこんなことを一回で出来るとは思っていない。少しずつタイミングを合わせて、そして。
「…………入った?」
何本のパスとシュートを繰り返したのだろう。時間も忘れてひたすらそれだけに打ち込み、何十回目。いや、何百回目かになるのだろうか。高尾の手から放たれたボールを緑間はそのままゴールへと撃ち込んだ。
漸く成功したそのボールがネットを潜り抜けるのを見届けて、暫く動けなくなった。本当に成功したんだと、そう理解するまでに数秒ほど要した。それから本当に成功させたのだという実感が湧いてきて、これまでの疲れも何もかも忘れて思わず兄へと飛びついた。
「やったよ、真ちゃん! 本当に成功した!!」
「……そうだな。これもお前のお蔭だ」
弟をしっかりと受け止めてそう話した兄に、そんなことはないと高尾は首を横に振る。緑間の実力があってこそ成功したのだと。それは高尾に対して緑間が言いたいこと同じである。お互いに分かっているからこそ、それ以上は言わないでおく。
嬉しそうにはしゃぐ弟を見ながら緑間は大きくなったその体をそのまま包み込む。そんな兄の行動にきょとんとしながら「真ちゃん?」と顔を上げると、見慣れた翠が優しく微笑んで伝える。
「いつもありがとう。オレはお前に辛い思いをさせてしまうこともあるが、これからもよろしくな」
「どうしたの急に? オレは真ちゃんと一緒に居られればそれで幸せだよ」
「それはオレも同じだ。生まれて来てくれてありがとう、和成」
その言葉で高尾もやっと緑間の発言の意味を理解する。そういえば今日はそんな日だった。兄が生まれた日は忘れないけれど自分の生まれた日は忘れる、なんてのはこれが初めてではない。それでも毎回のように忘れている兄に比べればマシだが、その兄もこの日だけは毎年忘れずにいてくれる。
「誕生日おめでとう」
言うなりそのまま触れるだけの口付けを交わす。普段なら外でこんなことはしないけれど、今この場所には自分達しか居ないしこの時間なら暗くて分からないだろう。
「何が喜ぶかと考えたんだが、お前ならバスケが一番だと思ったのだよ」
「うん、楽しかったし嬉しかった。ありがと、真ちゃん」
そっと体を離して笑う。兄弟というだけあって相手のことはよく分かっている。いや、恋人だからだろうか。そのどちらも正解だろう。
兄弟であり家族であり、そして今では恋人でもあり。教師と生徒なんていう関係でもあるけれど、細かいことなんてどうでも良いのだ。相手が大切であり唯一無二の存在であるということには変わりがないのだから。そして、誰よりも一番好きな人でもある。
「もう遅い。そろそろ帰るか」
「まだバスケしてたいけどそうもいかないもんな。夕飯は?」
「帰ったら作る。お前は先に風呂に入れ」
「分かった。楽しみにしてて良い?」
「ああ」
それじゃあ帰ろうかとボールを拾って荷物を持つ。普段は高尾が料理を作ることが多いけれど、高尾が小さかった頃は緑間が毎回作っていたのだ。料理は苦手ではあるもののそれなりには作れる。そんな兄が今日は久し振りに料理を作ってくれるということが嬉しい。嬉しいことばかりなのも誕生日だからだろう。
けれど、高尾が幸せだと感じるのは緑間と過ごす全ての時間だ。特別ではない毎日が幸せなのである。大切な人と一緒に過ごせるその時間が幸せだと知っているのだから。今日はいつも以上に幸せな日だと、そんな風に思うのだった。
大好きな兄と大好きなバスケと