七月七日。七夕。
世間でのイベントといえば、織姫と彦星が一年に一度だけ会えるという七夕だ。地域によっては七夕祭りなんてものも行われている。笹を飾って短冊に願いを書いて星を見る。日本ではイベントの一つだから当然オレにも経験はある。
だけど、オレにとってはそれ以上に大きなイベントがある。一年に一度、この日だけのイベント。
オレの大切な人がこの世界に生まれた日。
大好きな君に祝福を
何か欲しい物ない?
って、聞ければ早いんだろうけど本人にそれを直接尋ねるのもいかがなものか。駄目じゃないことは知っているけれど、それはなんというか。ルール違反のような気がして。
それに、やっぱりオレが考えて選んだものを渡したい。だから何が良いかなってずっと考えてたんだけど、これがなかなか決まらない。休みの日にはアイツが欲しそうな物がないかと町に出てみたりしたんだけどピンとくる物が見つからず。気が付けばアイツの誕生日はすぐ近くまで迫っていた。
「どうすっかな…………」
すぐ近くどころか、ぶっちゃけもう明日が七月七日だ。数ヶ月前からずっと考えていたけれど、結局プレゼントを決められないまま今日まで来てしまった。
これならいっそ、普段から使えるような物でも適当に買った方が良かっただろうか。それにしたって渡すのならちゃんと選びたい。一応、買い物に行った時にそういった類の物も見た。けれど良さげな物がなかったから、今手元に何もない訳で。
「つーか、もう考える時間もないよな」
すぐ傍の携帯に表示される時刻を眺める。そして溜め息を一つ。
大切な人の誕生日だからとあれこれ考えたのに、その結果がこれではどうしようもない。このままでは一年に一度しかない誕生日を何もしないまま終わらせてしまうことになる。それだけは避けたい。
だけど、それならどうするのか。今から出来ることなんて限られている。一日は二十四時間、明日の二十三時五十九分五十九秒までは誕生日だ。でも、どうせ祝うなら最後より最初が良い。欲をいえば両方だけど、と思いながらそれより先に考えることがあるだろと思考を戻す。
「いっそプレゼントはオレとか?」
今からでも間に合うそれを思いついて、すぐにねーよと否定した。オレと緑間は恋人関係ではあるけど、それだけはない。オレが緑間にそれをやって貰えたら嬉しいけど、それとこれは別。
こうしている間にも刻一刻と時は流れている。数ヶ月掛けて決まらなかったものを数時間で決めようとしたって無理な話だ。こんなに悩むならもっと前から考えてれば、と思いもしたが結果は同じだろう。
「あー! 考えててもキリがねぇ!」
無限ループをしかけている考えを中断する。そのままベッドから体を引き起こすと、携帯を掴んで家を飛び出した。
考えても何も答えが出ないのなら、もう行動に移しかないじゃないか。極端かもしれないが、今オレに出来ることといえばそれくらいだった。
どうやって祝おうか、プレゼントは何にしようか。四六時中アイツのことばかり考えていた。その答えは見つかっていないけれど、オレ達は恋人同士で、出来ることなら一緒に居たくて、でもそれが叶わないのが現状。
オレと同じようにアイツが思ってくれているかは分からないけど、そこは信じて進むしかないだろ。ごちゃごちゃ考えると怒られるしな。誰にって、オレの大好きな恋人に。
「もしもし、真ちゃん?」
『高尾か』
「久し振り。最近どう? やっぱ忙しい?」
電話帳を開いて一番上に登録されている名前を呼びだす。数回コールがなった後に聞こえて来たのは愛しの人の声。こうして声を聞くのも久し振り。前に会ったのはいつだっけ。オレも緑間も大学が忙しくてなかなか会えずにいるからな。毎日リアカーに乗って二人で登校していた頃が懐かしい。
オレ達は大学に進学して、それぞれ別の学校に通っている。自宅から大学までが離れていることもあって、お互いに大学からそう遠くない場所で一人暮らしをしている。どうせならルームシェアとかしたかったけど、大学が全然違う場所にあったのだから仕方がない。会えなくなる訳じゃないんだからとこういう形に落ち着いた。
大学が離れていてもルームシェアは選択肢の一つではあった。お互いの大学の中間地点、または緑間の大学に近い場所でオレは多少時間が掛かっても良い。そう思ったけれど、色々話して出した結論がこれだった。
『そういうお前はどうなんだ。この前、論文がどうとか言っていただろう』
「あーアレね。ちゃんと提出したぜ。今はまた別の課題やってるトコ。真ちゃんは実習とかやってんの?」
会えなくても電話やメールくらいは出来る。だけどオレ達はあまりそれをしない。理由は単純。そんなことをしたら会いたくなってしまうから。
それなら会えば良い。その通りだ。けれどお互い、特に緑間が忙しくて会っている暇がない。だから電話もメールも殆どしない。時には寂しくなって連絡を取ったりするけれど、頻度は少ない方だと思う。高校時代は毎日顔を合わせた上に一日の大半を共に過ごしていたなんて、今思えば凄い幸せだったなと感じる。これから一生離れて暮らす訳じゃないけれどさ。
そのままオレ達は電話で近況報告をする。報告といっても大したことは何もない。でも、オレが一方的に喋るのではなくきちんと会話になっているのは進歩だろうか。
電話だからというのもあるかもしれないけど、元々緑間は聞いていないようで聞いているのだ。適当に相槌を打っているだけかと思っていたら、意外に覚えられていて驚いたことはこれまでに何度かある。普段オレばかり喋っているのは、オレの方が緑間に話したいことが多いからそうなっていただけのこと。
「ねぇ真ちゃん。今日が何日か分かる?」
話に一区切りがついたところで尋ねる。カレンダーを見ればすぐに分かるような質問。カレンダーがなくても一度携帯を離せば確認出来るようなことだ。高校生だった頃は行事がある度にこんな質問をしていた気がする。今日何の日か知ってる、って聞くと博識な緑間はすぐに答えてくれた。
まぁ、ポッキーの日だとかそういったものには疎かったけれど。くだらないとか言いながらも一回だけだからとかやったっけ。折った方が負けだと簡単にルール説明をしたせいでそれは大変なことになったんだけどな。オレ達はどっちも負けず嫌いだから。結局その時はオレが折ったんだよな。本当、くだらないことばっかやってた。
『六日だろう。それがどうかしたのか』
緑間のことだから近くにあるカレンダーでも確認したのかな。いや、確認しなくてもきっちり把握している可能性も十分にある。今さっきまでは課題をやっていたって聞いたけど、飯とかちゃんと食べてんのかな。
一人暮らしをするようになって、緑間は料理を少し覚えたらしい。調理実習でも合宿でも包丁を持たせなかったのは、手を怪我したら大変だからであり見てて危なっかしいからだった。オレが気にせずとも緑間ならその辺はちゃんとしているだろう。必要なカロリーが取れれば問題ないとか言い出しそうだけど、オレも忙しい時には飯を抜いて課題をやったりするからあえて聞かないようにしている。緑間から聞いてこないのも同じ理由だろう。
「あと十秒」
『は?』
九、八、七……。
腕時計を見ながら秒針を読み上げていく。五十四秒、五十五秒と刻む針はあと僅かで全て重なる。残り四秒、三、二、一。
「誕生日おめでとう、真ちゃん」
零。長針も短針も、秒針も合わせた全部の針が重なると同時に告げる。時刻は零時。七月六日が終わり、七月七日がやって来た。世間でいう七夕。
そして、オレの大切な人の誕生日。
「お前に出会えて良かった。一緒にバスケをして、楽しく高校生活を謳歌してさ。お前と居ると全然飽きなくて、毎日一緒に居られて幸せだった」
あの時、中学で試合をした時。あの試合で緑間と戦っていなければ、秀徳に入ってからもコイツがキセキの世代なんだという程度の認識で終わっていたかもしれない。あそこで負けてコイツに勝ちたいと思って、認められたいって努力して。そうしていつしか隣に並べるようになれた。
お前は覚えていなくてもオレは初めて会ったあの試合を忘れていない。高い高いスリーポイント。高校に入ってからもずっと見てきたそれは目に焼き付いていて、この先もずっと忘れることはないだろう。目を閉じればすぐにあの綺麗なループが脳裏に浮かぶ。特別なシュート。
『……幸せだった、のか?』
「あまり会えないのは寂しいけど、こうして繋がっていられるから今も幸せだよ。お前の相棒でいられて、親友で恋人でいさせてくれてありがとう」
大学生であるオレ達にとって、高校時代は過去の思い出だ。あの頃はバスケ漬けの毎日で、高校生らしく遊んだり馬鹿やったりもしながら幸せだったと思える日々を送った。
過去形にしたのは高校生活が終わったからという意味であって、卒業してからも緑間と繋がっていられるから幸せだ。いくら高校を出てからも一緒に居たいと思っても、お互い進む道が違えばなかなかそうはいかない。今は学業が忙しくて会えなくても、恋人として確かに通じているのだからそれで良い。
オレを選んでくれてありがとう。傍にいさせてくれてありがとう。何より今日伝えたいのは。
「真ちゃん、生まれてきてくれてありがとう。大好きだよ」
七月七日。オレの大切な、大好きな人がこの世界に生まれた日。緑間の両親が彼をこの世に産んでくれた日。今日と云うこの日に感謝と祝福を。伝えたかったその言葉を贈る。
『高尾』
「ん?」
『ありがとう』
「どういたしまして」
誰よりも早く「おめでとう」が言いたくて、日付が変わる直前に電話を掛けた。これくらいのワガママは恋人の特権ってことで。
でも、やっぱりこうして話していると会いたくなる。声だけでは物足りない、緑間が恋しい。会って抱き締めて、直接「おめでとう」って言いたい。
「真ちゃんに会いたい」
『オレもお前に会いたいのだよ。だが、もう夜も遅い。それにお前も忙しいだろう』
日付が変わったばかりの深夜。電車も終電が近くなってくる頃だろう。移動手段なんて値段を気にしなければタクシーだってあるんだからどうにでもなる。忙しいのはオレよりむしろ緑間だろうけど、一日、誕生日の日くらい一緒に居ても良いんじゃないだろうか。
だって、織姫と彦星だって今日だけは会えるんだぜ。一日くらい一緒に過ごしても課題はなんとかなるだろう。何より会いたいんだ。オレも、緑間も。会いたい、声が聞きたい、お前に触れたい。好きな人への気持ちが止まらない。
だから今日だけ、誕生日だからという理由で良いから。
「真ちゃん、会いたいんだ」
電話を離してそう告げる。見上げたそこにあるのはドア。
機械越しにオレの名前を呼ぶ声が聞こえる。疑問を含んだそれから数秒後、今度はバタバタと掛ける音が聞こえてくる。ガチャリ、と鍵を開ける音が聞こえたかと思えばそのままドアが開かれた。
「誕生日おめでとう」
ごめん、来ちゃった。
小さく笑うオレを翡翠が大きく開かれたままこちらを見ている。真ちゃん、と呼ぼうとしてその前に大きな腕に包まれた。そしてオレも自分の腕をその背に回す。
こうして触れ合うのはいつ振りだろう。温かい。夏の夜に何やってるんだって話だけど、気温なんて関係なしにただ触れたくて抱き締めた。大学に行ってからもこの身長差は縮まらなかったけど、もうこれはこれで良いかなとは思っている。男としてはもっと欲しい気持ちもあるがバスケを本格的に続けている訳でもないし、オレ達はこの身長差が丁度良いのかなくらいのことは思えるようになった。
「色々考えたんだけど、誕生日プレゼント決まらなくてさ。だから会いに来た」
「決まっていたら来なかったのか?」
「その場合はプレゼントを渡しに来たかな」
どっちみち来るんじゃないかって。そりゃ、お前の誕生日なんだから当たり前だろ。直接会ってお祝いしたいから。一年に一度しかない、オレにとっては何よりも大切な日。何があろうと「おめでとう」の一言くらいは直接伝えたい。それはこの先もずっと、オレがお前の隣に居る限り。続けていきたい。
一番は会いたかったから。次に誕生日だから。そして、お前も同じ気持ちなんじゃないかと思ったから、こんな夜中に押しかけた。非常識な時間だと咎められることもなく、オレ達は久し振りの相手の温もりに浸っている。緑間の腕の中で心が満たされていく。
「高尾、お前はまた――――」
「気のせいだよ。大学生のうちはお互い勉強を頑張る。そう決めただろ?」
言葉を遮って話したのは高校を卒業した時の約束。約束なんていう堅苦しいものでもないけれど、オレ達は納得してそう決めた。会いたいって、寂しくて恋しくなることだってある。大学が離れているといっても会えない距離じゃない。一緒に暮らせない距離でもない。
それでもこれを選んだのはお互いの為。知り合いに話したら馬鹿じゃないのかって笑われるかもしれないし、ごちゃごちゃ考えずに一緒に居たいならそれで良いだろなんて言われるかもしれない。これを選んだことで何かが変わったのかといえば、そういう訳でもない。だけど、オレ達には必要なことだと思ってる。
でも、離れていて分かったこともある。高校生だった頃も散々考えたことだけど、オレは相当緑間のことが好きらしい。ついでに緑間もオレが思っている以上にオレのことが好きみたいだ。数ヶ月振りに会ったら愛おしくてたまらない。
「プレゼント用意できなくてゴメンな。その代わり、今日はずっと一緒に居るから」
七日になった瞬間から、七日が終わるまで。厳密にいうなら、零時零分から二十三時五十九分まで。形に残る物はないけれど、同じ時間を共にして思い出の一つにでもなれたら。
「オレが家に居なかったらどうするつもりだったのだよ」
「そしたら待ってたに決まってるっしょ。何の為にオレがここまで来たと思ってんだよ」
会いたかったからだろ、なんて言われたら否定出来ないじゃないか。それは卑怯だろ。それも事実だから否定はしないけれど、オレは緑間の誕生日を祝う為に来たんだ。プレゼントが用意できなかったから、せめてこの一日は一緒に過ごしたいと思って。わざわざ夜中に電車でここまで来たのも全部その為だ。一秒も無駄にせずに緑間の元に行きたかったから。
とはいえ、勿論緑間の予定は優先させるつもりだ。けど、緑間がその時間をオレにくれるってことは分かってる。好きなのはお互い様、だから。
前に言われたことがあるんだ。お前がオレを好きなら、それ以上にオレもお前のことが好きだって。だからこうして一緒に過ごすのもオレの方が嬉しいんじゃないかと思う部分もあるけれど、それは緑間も同じだって信じられる。
「迷惑だった?」
念の為に尋ねると、緑間は口元に弧を描くとそのままオレの額に唇を落として。
「馬鹿め。迷惑な訳がないだろう」
何故恋人が自分に会いに来てくれたのに迷惑だなんて思うのか。むしろ喜ばしいことだ、と緑間は話す。やっぱり予想は当たっていた。これでも高校三年間ずっと相棒をやっていて、それ以上の時間を親友として、また恋人として過ごしている。きっとまだ知らないことも多いんだろうけど、それなりに相手のことは分かっているんだ。
背に回していた手を解き、オレはその手をそのまま首に回した。オレのしようとすることに気付いたのか、緑間もオレに合わせて少しだけ屈んだ。オレが背伸びをした分と合わせて、ゼロ。
「今日一日、楽しみにしてる」
「それはこっちのセリフだろう」
「ならまずはお汁粉でも作ろっか? 流石に今はダメだけど」
「どうせ今日だけなのだから良いだろう」
「それでもダメ。医学部なのにそういうトコは気にしないよな」
医学部とこれは関係ないだろうと言うけれど、健康という意味で十分関係があると思うんだけど。それと、今日だけじゃなくてオレはいつだって作ってやるっつーの。お望みなら毎日だって。
毎日味噌汁を作ってくれなんてプロポーズがあるけれど、コイツの場合は毎日お汁粉を作ってというようなプロポーズの方が合いそうだ。今は無理だけど、卒業して一緒に暮らすようになったらそれも良いかもしれない。飲み過ぎは体に悪いだろうけれど、元々毎日飲んでいるからな。健康には気を付けるようにすれば大丈夫だろう。
「真ちゃん、卒業したら一緒に暮らそうな」
「ああ。約束だからな」
大学ではお互い勉学に励もう。だからルームシェアもしないでそれぞれ大学に近い場所で一人暮らしをする。自分の将来の為にもそれがベストだから。
大学を卒業して社会人になったら、その時は一緒に暮らそう。行ってきますとかお帰りなさいとか、当たり前のやり取りをして共に生活をしよう。
毎日、三百六十五日、何年も何十年もずっと。大切な人が待つその家に帰ろう。お前が待っているその場所へ。
Happy Birthday 2013.07.07