もし、なんてありもしない空想話をお前は嫌うかもしれない。だけど、過去はともかくまだ見ぬ未来にはいつ何が起こったっておかしくはない。確証された未来などどこにもない。それを選んでいくのは己自身だが、生きていく上で予想していなかった出来事に直面することだって少なくないだろう。
もしかしたら明日死ぬ、なんてことも有り得ない話ではない。縁起でもなければ普通に考えれば極僅かな可能性でしかないけれど百パーセントないとは言い切れない。そういうものだ。
「…………、真ちゃん!」
「何だ」
すぐに返ってきた声に驚いてそちらを見れば、呆れたような翡翠が視界に入ってくる。あれ、そういえば今何してたんだっけ?
「えっと……?」
「いきなり人の名前を呼んだかと思えば、お前は何がしたいのだよ」
はぁ、と溜め息を一つ吐いた緑間は更に「人を呼びつけておいて」と付け加えた。
そこでオレも漸く思い出す。今はテスト期間で部活もなし。来週にはテストが控えているから一緒に勉強をしようと緑間を家に呼んだのだと。一緒に勉強をするというよりオレが勉強を教えてもらいたかったという方が正しいかもしれない。
それで勉強をしていたはいいけれど、ひと段落がついたところで休憩しようとしたのが悪かった。いつの間にか眠ってしまったらしく、目の前には不機嫌な友の姿。
「やる気がないのならオレは帰る」
「待って! オレが悪かったから帰んないで!!」
「……そう思うのなら最初から寝るな」
立ち上がろうとした緑間を引きとめることには成功したようだ。今回は全面的にオレが悪い。別に寝ようとして寝たのではないけれど、結果として寝てしまったのは事実である。すみませんでした、と謝ってまた問題の続きを解くことにする。
問一、から始まる文章。それらを読み終えてノートには計算式を並べていく。そんな当たり前の作業をしながら唐突にシャーペンを動かしていた手が止まる。
「なぁ、真ちゃんって数学得意?」
得意かといわれれば得意ではないけれど、苦手かと聞かれればそうでもない。つまり普通ということらしい。
あれだけ良い点とってて普通なのかよと言えば、ちゃんと勉強をすればあれくらい取れると返された。それ、世の中の全ての人には当て嵌まらないと思うんだけど。
「何か分からない場所でもあったのか」
「いや、そうじゃねーんだけどさ」
それなら口より手を動かせという緑間の意見は尤もだ。勉強をする為に来てもらったというのに休憩ばかりでは帰られても仕方がない。
だが、一度止まった手はなかなか動かなかった。問題が解けない訳ではない。公式も答えも分かっているけれど、目の前の問題とは別の問題が頭の中を占める。
「あのさ、世界の人口が約七十億人とするだろ? それで日本の人口は約一億人、東京の人口は約一千万人」
細かい数字は分からないけれど確かそれくらいの数だった筈だ。急に何を言い出すんだと言いたげな視線を受けながら、オレはテスト範囲とは関係のない問いを緑間に投げ掛ける。
「世界にこれだけの人が居る中でオレ達が出会う確率ってどれくらいなんだろうな」
確率の公式も以前に授業で習った。だが、公式なんて使わなくてもこれだけ大きな数であればおおよその答えは分かるだろう。答えとはいえないかもしれないが、確立としてはかなり低いものだということくらいは分かりきっている。
世の中には一期一会という言葉がある。一生に一度の機会という意味だ。だからこそその出会いを大切にするべきだというものだが、本当にその通りだ。オレ達がこれだけ多くの人達が存在する世界で出会えたことは奇跡のような確率ではないだろうか。
「…………お前は、それを運命とでも言って欲しいのか?」
「んー……どうだろう。でも、その中でオレ達が出会えたことって凄いと思うんだ」
この出会いが偶然なのか必然なのかは分からない。けど、それを運命だといっても過言ではないかもしれない。
だって、何か一つでも違っていたらオレ達は出会っていないんだ。
オレ達がバスケットボールというスポーツをやっていなかったら。中学生だったあの頃、試合をしていなかったら。
同じバスケをやっていたとしても何かが違えばこんな風に親しくなれたかも分からない。もしかしたら友達にすらなっていなかったかもしれないし、相棒になんてなれなかったかもしれない。
「何か一つでも違ったら今のオレ達はないんだぜ? 仲間でも友達でも、相棒でも恋人でもなかったかもしれない」
そういう可能性は確かに存在していた筈だ。それでもオレ達はこうして出会い、今の関係を築いた。所詮は空想話である。くだらないと吐き捨てられるような戯言だ。
けど、数々の偶然が重なって出会えた奇跡がここにあって。同じチームで戦いながら相棒という関係になり、友達であり恋人といえるような関係にまでなれた。そうやって一緒に居られる今がとても幸せだと、そう思った。
そんなことを考えていた時だった。ぽん、と頭に重みが増した。
頭の重みを感じながらそちらを向くと、翡翠の瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。そしてはっきりと告げた。
「何の夢を見たかは知らないが、オレはここに居るのだよ」
どうしてこれが夢の話だと分かったのか。いや、寝ていた奴に突然名前を呼ばれれば何かあったのかくらい思うか。しかもその後すぐにこんな話だ。
オレがどんな夢を見ていたのかを緑間は聞かなかった。でも、オレの不安を拭うように欲しい言葉をくれる。まるでオレが何の夢を見て、何を考えたのか分かっているかのように。
「オレの隣にはお前が居る。それはこれからもずっと変わらない」
変わる訳がない。離れたいなんてこれっぽっちも思わない。卒業してからに共に居たいと、そう思うほどの相手だからこそ男同士という壁を越えて付き合っている。
お前にはこの先も隣に居て欲しいのだと、緑間はそう話した。
「それでも、お前はまだ不安か?」
この男は本当にオレがどんな夢を見ていたか知っているんじゃないのか。そう錯覚するほどに的を射た言葉を並べられる。
不安なのかという問いはどこに掛けられているのか。明確に言われてはいないけれどオレには分かっている。どちらかといえば緑間がそれを理解していることが不思議で、けれど些細なことでも気付いて不安を拭ってくれるコイツのことがオレはやっぱり……。
「ううん。十分だよ。ありがと、真ちゃん」
偶然の出会い。運命だったのかは分からない。しかし、オレ達はこうして出会えた。それが奇跡的なことだったとしてもオレ達は出会ったのだからもしなんて考える必要はない。緑間が居なくなるなんてこともない。そう、本人がはっきりと言葉にしてくれたのだから。
くだらないことを考えて不安になることはない。大丈夫。あれは夢であって現実ではない。何より大切なそれは今もこれからも変わらずにそこに在り続ける。
あの日、あの場所で
出会った俺達は相棒となり、この先もずっと君の隣に