「兄ちゃん、これで合ってる?」

「そうだな。だが、ここはこうした方が楽に解けるのだよ」


 ノートに書かれている文字の横に書き足しながら説明すれば「そっか!」と弟も納得する。それから「やっぱり兄ちゃんは凄いな」とお決まりのことを口にする。弟が何度兄のことを凄いと言っているかなど、本人にも誰にも分からない。ただ、ことあるごとに口にしているのだからかなりの数であるのは間違いないだろう。
 それから残りの問題を解き、答え合わせをしてみれば全問正解。元々頭の良い弟なのだから、少し教えるだけですぐに理解出来るのだ。良く出来たなと頭を撫でてしまうのはもう癖みたいなものだ。弟の方も兄にそうされるのは嫌ではないらしく、幸せそうに目を細める。


「課題はこれで全部か?」

「うん。付き合ってくれてありがとな」


 パタンと教科書とノートを閉じる。筆記用具も全て一ヶ所に纏めると、和成は兄の方に振り返った。


「なあ、兄ちゃんはオレのこと好き?」


 唐突な質問ではあるものの、最早聞きなれた質問でもある。昔から「兄ちゃん大好き!」「兄ちゃんはオレのこと好き?」と幾度となく尋ねているのだ。今回もそれと同じであり、真太郎もいつものように肯定を返す。そうすれば、こちらもまたいつも通りに「オレも好きだよ」と嬉しそうに笑うのだ。いつまで経っても仲の良い兄弟である。
 一時期は兄に遠慮をしてあまり近付かなかった和成だったが、今となっては昔のようにべったりである。というのも、兄がそんなに気を使うなと怒ったからだ。結局これまで通りの方が良いという話になり、現在は見ての通りだ。


「和成」


 そっと額に口付けを落とす。和成は柔らかく微笑みを浮かべながら、その頬は薄らと朱に染まっている。兄が自分の名前をちゃんと呼ぶ時、それが何を意味するのかはとっくに知っている。


「兄ちゃんって意外とオレのこと好きだよね」

「さっきも好きと答えた筈だが」

「そうじゃなくてさ。なんつーの、態度に出さないだけでかなり好きでしょ?」


 和成の場合は、全て見た通り。好きだと思っている分だけ態度にも表れている。逆に、真太郎はといえば好きだと思っていてもあまり表に出すことがない。好きかと言われれば好きと答えるし、第三者からしてみれば兄がかなり弟を可愛がっているのは一目瞭然だ。それ以上に弟の方が兄のことを大好きと表に出しているから、二人が揃っているとそちらに目がいってしまうけれど。
 学校で話を聞く友人は、口を揃えてお前は兄弟のことが本当に好きなんだなと言ってくれた。素直に当たり前だと答えるのは弟、そんなことはないと言ってしまうのは兄。結局好きなんだということくらい周りにバレバレである。


「愚問だな。伝わらないというのなら、ちゃんと分からせてやるまでだ」

「そこまでしなくたって、オレは分かってるってーの」


 言いながら頬にチュッとキスをする。離れた後にその目は挑戦的な光を含めて兄を見た。


「でも、教えてくれるっていうなら聞くぜ?」


 全くどこでそんなことを覚えてきたのだろうか。そんなことを思いつつも、あえてこんなことを言った理由は分かっている。
 互いに兄弟が好きなのだけれど、普段は弟からの一方通行に近い。兄が珍しくそれを表に出してくれると言うのなら、こんな機会を逃したりはしないということなのだ。結局はただ兄が好きなだけなのである。


「自分で言った言葉には責任を持つのだよ、カズ」

「オレは兄ちゃんが好きだから」

「オレも好きだと言っているだろう」


 今度は唇と唇が触れ合う。
 ただの仲の良い兄弟というだけのレベルではない?そんなことはない。兄弟のことが大好きなだけの普通の兄弟だ。スキンシップがちょっぴり激しいだけ。兄弟愛の域を超えていない。
 そう、今はそれだけだ。


「あ、兄ちゃん。たまにはバスケしようよ」


 進学していくうちに二人で過ごす時間は自然と減っていく。それでも、弟はこんな風に兄の部屋によく訪ねて来るから家ではそれなりに一緒に居るだろう。だが、外に出掛けることは滅多にない。今日はどちらも空いていて、それならと和成は提案した。
 断る理由もなく了承すれば嬉しそうに笑って「行こうぜ」とボールを持ちながら振り返る。通常運転な弟と一緒に部屋を出ると、行き先はお決まりのバスケットコート。


(自分の言葉には責任を持てと言ったのだがな)


 前を走る弟を眺めながら、真太郎はそんなことを考える。弟にとっての好きは昔から何も変わっていないのだ。それはそれでも良いかとは思っている。相手は弟であり、同性であり、そしてまだ高校生。このくらいの距離が丁度良いのだろう。少し近すぎるような気がしないでもないが。


「あまり走ると転ぶのだよ」

「転ばねーよ。兄ちゃんオレを何歳だと思ってんの」


 もう高校生といえど、真太郎からすればいつまで経っても可愛い弟のままだ。五つ年下の弟から目が離せない。それは、これからもきっと変わらないのだろう。
 そして、それは弟の和成からしても同じ。


(あのまま何も言わなかったら、兄ちゃんはどうするつもりだったんだろ)


 兄程ではないが和成も頭は良い。周りの空気を読むことも得意だ。人の感情にもそれなりに敏感。どれだけ取り繕っても兄にはバレてしまうのと同じように、兄の気持ちの変化には特に気付く。
 好きだという感情は昔から変わっていない。大好きな兄、自慢の兄、そして尊敬している兄。あまり表には出さなくても、何だかんだで優しい兄が自分のことを好きだと思ってくれているのは知っていた。自分の口にする「好き」が、兄弟愛だけではないと気付いたのはいつだっただろうか。そして、兄のあの熱い視線の意味は。
 どちらともなく誤魔化して、スキンシップという名目で戯れている。兄弟だから、と許される範囲で。


「兄ちゃん、最近オレのプレイ見てないっしょ? ビックリするぜ」

「それは楽しみだな」


 いつの日か、二つの感情は兄弟の域を出る時が来るのだろうか。それは本人達にもまだ分からない。少なくとも、和成が高校生であるうちはこのままだろう。けれど、その先は白紙の物語だ。
 好き。
 そう口にする言葉の意味が変わるのはいつだろうか。










fin