一日の授業を終えて放課後。いつもなら部活があるのだが、今日は体育館の整備がある為に休みになった。それならば早いところ家に帰ろう。つい先程まではそう思っていたのだが。
「真ちゃん今日暇?」
いざ帰ろうと教室を出て廊下を歩いている時。隣から掛けられたのはそんな言葉だった。
あまり良い予感はしなかったけれど、特別何か用事があった訳でもない。暇ではないと切り捨ててしまうのは簡単なことだが、相手とは一応話くらいなら聞いてやらなくもない仲だ。碌でもないことを言い出した時には、勉強をするとでも言って断れば良いだけの話である。文句を言われるのは目に見えているが、勉強は学生の本分なのだから正論だろう。
そんなことはさておき、まずは話を聞くことからだ。何だとだけ返してやれば、意味ありげな笑みを浮かべて高尾は答える。
「ちょっと寄り道して行こうよ」
どこに、とは言わなかった。何をする為にということも言わず、ただ寄り道をしようという誘い。
これだけでは何をしたいのかさっぱり分からない。もっと具体的に言えと内心で思いつつも、行き先を明確にしないことにも意味があるのだろう。例えば、バスケをしたいのであれば帰りにストバスに行こうと言うだろうし、バッシュを見たいのなら見たいと言う。
そんな高尾が曖昧にしながら誘ったということは、それなりの理由があるのだろうと考える。ただ面白そうだったから、などという適当な理由の時もあるけれど。
それでも、少しくらいなら付き合ってやっても良いかとは思った。だから「お前がリアカーを漕ぐのなら行ってやらんこともない」とだけ答えてやった。すると「じゃあ決まりだな!」と高尾は嬉しそうに笑う。どっちみちいつも漕いでいるのは高尾なのだが、この際それは気にしないでおく。
自転車置き場にやってくると、ジャンケンをせずにそれぞれ自転車とリアカーに乗る。まだ明るい空の下、自転車のペダルを思いっきり漕ぎ出した。
いつか来るその日まで
寄り道をして行こうと言った高尾がまず向かったのは、学校から少し離れた所にあるホームセンターだった。緑間のラッキーアイテムを探す時にも来たことのある場所だったが、ホームセンターに寄って何を買うつもりなのか。これが夏だったのなら、花火をしようとでも言い出したかもしれない。だが、今の季節は冬だ。こんな時期に花火なんて物は売っていない。
さて、一体何を買うのだろうか。ノートなら学校のすぐ傍にある文房具店で十分だろうと考えている緑間を余所に、高尾はホームセンターの中をどんどん進んで行く。暫くして立ち止まったそこは『ガーデンコーナー』と表記されていた。
「えっと、必要なのは…………」
これとこれ、それにこれも要るかな。
何やら呟きながらポンポンとガーデニング用品がカゴの中に放り込まれていく。これを見た感じでは、高尾の目的はガーデニングに必要な物を買い揃えることだ。だからガーデンコーナーなのだろうが、そこへ緑間を付き合わせたのはどうしてなのかという疑問は未だに残ったままだ。
そんな緑間の内心など知らない高尾は、必要な物を揃えたカゴを持ってレジでお会計を済ませる。それから再びリアカーに戻ると買った物を袋ごとリアカーへ乗せた。テキパキと行動をしている高尾を見ながら、緑間はそろそろ“寄り道”の目的を尋ねる。
「高尾、何をするつもりなのだよ」
「何って、この花を育てようと思ってさ」
そう話す高尾の手には先程買ったばかりの植物があった。まだ芽が出て葉が開いたという段階で、これだけでは何の苗なのかは分からない。苗が並んでいる所には当然名前も表示されているのだろうが、今から戻って確認しようとまでは思わない。
今の高尾の発言で何をしようとしているのかが分かった。花を育てようとしていることくらいは買い物をしている様子を見ても分かっていたが、それだけではまだ目的がはっきりしない。結局目的は何なのだと目で訴えれば、楽しげな表情を見せながら自転車に乗って「後でのお楽しみ」とだけ口にした。どうやらまだ目的は教えてくれないらしい。どうせ追及しても答えないのだろうし、後で分かるのなら良いかと緑間はそれ以上の質問をすることはなかった。
自転車を漕ぐこと数十分。
普段とは違った景色の中を通り抜け、視界が広がったそこは見晴らしの良い土手。
「この辺で良いかな。ほら、真ちゃん!」
邪魔にならないようにリアカーを止めると、ホームセンターの袋を片手に空いた方の手で緑間の手を掴んだ高尾が目の前の土手を下る。引っ張られるままに緑間も土手を降りて行くと中腹辺りで足を止めた。それと同時に掴まれていた手も解放され、くるりと振り返った高尾は手に持ったままの袋を緑間の前まで持ち上げて。
「今からこの花を植えようぜ」
言うなり袋からガーデニング用品を取り出して行く高尾。その周りはあっという間に買ったばかりの品物で埋め尽くされていく。シャベルに肥料、数は多くないけれど花を育てるのには必要なアイテムの数々。
高尾が着々と準備をしている一方で、緑間はただその場に立ち尽くしていた。花を育てるとは言っていたが、まさか今からこんな場所で一緒に植えようと言い出すとは想定外だ。いきなりそんなことを言われても、何をすれば良いのか分からないというのが今の心境だ。
そんな緑間に気付くと、まずは土から準備しないといけないからと高尾はシャベルの一つを手渡した。土を柔らかくしてから肥料を混ぜ、苗を植えられる状態にする。それが第一段階だ。高尾もガーデニングに詳しい訳ではないけれど、花の育て方くらいは生活科の授業でも習ったから把握している。念の為に下調べもしているからなんとかなるだろう。花を植えること自体は難しいことでもないのだ。
「花を植えるのは良いが、こんな場所に勝手に植えて良いのか」
「んー大丈夫じゃね? そんなに沢山植える訳でもないし」
本当に大丈夫なのかとは思うものの、既に作業を始めているのだから今更止めても遅いだろう。緑間が溜め息を一つ零すと、隣では大丈夫だってと根拠のないことを言っている。どこかから飛んできた種が植え付くこともあるんだし、とそれらしいことも言っているがそれとこれでは別である。
だが、高尾の言うように沢山の苗を植えるのではない。袋に入っている苗は全部で二つ。この広い土手にたった二つの花を植えるくらいなら、誰かに見付かるとも考え難い。今回は大丈夫だということにして作業を進めることにしよう。
「この間、ラッキーアイテム探しにあのホームセンターに行っただろ」
土を掘り起こしながら高尾は話を始める。確か数週間前だっただろうか。おは朝のラッキーアイテムがアルミ板で、そんなもの家に常備している筈もなくホームセンターにやって来たのだ。
「その時にたまたま目に入ってさ。育ててみたいなと思って」
「育てるだけならここでなくても出来るだろう」
「それはそうなんだけど、真ちゃんと一緒に育てたかったから」
花を育てるだけならどこでも出来る。重要なのは緑間と二人で育てるということだ。それにしたってこんな場所でなくても良かったのだが、ここなら学校帰りにすぐに寄ることが出来る。だからこの場所に花を植えることにしたのだ。どうせなら沢山の花を育ててみたいとも思ったけれど、流石にそれは不味いだろうと思い留まった。
重要なのは数ではない。どちらかといえば成長させる過程の方が重要だ。確かに沢山の花が咲いている光景は綺麗だろう。けれど、綺麗な花が見たいから花を育てるのではない。緑間と一緒に育てたいから育てるのだ。高尾がより重要視したいのはその過程。
「知ってる? 植物は育てる時に話し掛けたりするとより成長するんだって」
どこで聞いたのかは忘れてしまった。本当に話し掛けるだけで成長に変化が起こるかなんてことは、専門家ではないのだから分からない。でも、そういう実験で結果は出ているらしい。
あとは、愛情を注いでやれば元気に育ってくれるのではないだろうか。大事なのは植物に対する態度なんだろうなと、高尾は自己解釈している。植物は生きているのだからこれも的外れな解釈ではないだろう。
「毎日部活帰りに寄って、っていうのは無理かもしれないけど。一緒に育ててみようよ」
この小さな命を。綺麗な花を咲かせられるように。
優しげな表情で苗を見詰める高尾は何を考えているのか。人の心を読むことは出来ないからそれは分からないけれど、一緒に育てて行けばその表情の意味も分かるかもしれない。
これまでも共に時間を過ごすことで少しずつ互いのことを理解してきた。軽そうに見えて実はそうでもなかったり、天才と呼ばれ才能だけでやっているのかと思えばその実努力を惜しまない奴だったり。お互い第一印象と今では大分印象が変わったものだ。
「買ってしまった後でそれを聞くのはどうかと思うのだよ」
そう言いながら緑間も一緒に作業を進める。そんな姿に高尾は小さく笑みを零す。本当、素直じゃないよなと心の中で呟く。
「真ちゃんなら育ててくれると思ってたから」
「もしオレが嫌だと言ったらどうするつもりだったんだ」
「んー……。考えてなかったけど、もし断られたら一人で育てたんだろうな」
せっかく買った花を自分勝手な理由で放置したりしない。ちゃんと育てるつもりで買ったのだ。何もせずに枯らせてしまうなんて可哀想なことは絶対にしない。
もしもという仮想の話ではあるけれど、もし緑間が断ったなら。一人でもこの花を育て、花が咲いた時には緑間をもう一度この場所に連れて来たのだろう。これがあの時の花なんだって、順調に成長してくれた花を二人で一緒に見たんだと思う。それくらいなら緑間も付き合ってくれると、高尾はもう知っているから。
「ま、結局そうならなかったから良いじゃん」
「全く、お前はいつもそうやって…………」
「さっさとしないと日が暮れちゃうぜ」
「少しは人の話も聞くのだよ!」
多少声を荒げればごめんごめんと謝られるが、流しているようにも聞こえるそれは本当なのだろうか。一応聞いてはいるだろうし、いつも言われることだけに先が分かっていたのだろう。仕方なく溜め息を吐くだけに留めて作業を再開する。
学校からホームセンターへ、それから土手へ。ここまで来る間に大分日が傾いた。辺りの空は既にオレンジ色に染まっている。この時期の風は冷たいなと肌で感じながら、隣でくしゅんと小さなくしゃみが聞こえて「大丈夫?」と尋ねればすぐに大丈夫だと返された。いつもはもっと遅い時間に帰っているとはいえ、あまり風に当たって体調不良を起こしては大変だ。
「土も出来たし早く植えよっか。風邪を引いても困るしさ」
「別にオレは大丈夫なのだよ」
「分かってるって。でも寒いし早めに終わらせるに越したことはないっしょ」
体を動かせば温かいだろうけれど、花を植える作業はそこまで体を動かすものでもない。勿論着込んではいるもののじっと作業をするというのはやはり寒い。帰りにコンビニにでも寄って行こうと高尾は勝手に決める。ちょっと寄るくらいなら文句も言われないだろうとは経験則だ。
ポットから苗を取り出し、程よい大きさに掘られた穴の中に苗を置く。ある程度の間隔で植えられた二つの花にそっと土を被せてやれば完成。あとは土手の下にある川から水を汲んで与えてやれば終了だ。
「よし、これで完成だな!」
片手にはジョウロを持ちながら植えたばかりの苗を満足そうに見る。たった苗を二つ植えただけとはいえ、作業を終えた時の達成感は大きい。
「明日から毎日、水をやりにここに来るのか?」
「出来ればそうしたいけど、来れない日もあるかもしれないよな」
花はちゃんと育てたい。けれど、二人は学生であり毎日この場所に来られるかは定かではない。学校帰りに寄れば良いといっても、部活が終わった後にここに寄れば家に帰るのが遅くなってしまう。かといって、行きがけによるにしても朝練に間に合うようにと思えば今より早く家を出ることになる。それは良いにしても、二人は一緒に登校している訳で。出来る限りは水をやりに来る予定ではあるものの、どうしてもという日は仕方がないかもしれないと高尾は思う。
そんな高尾を見ながら緑間はまた溜め息を零す。余計なことを考えているということくらい、顔を見ればすぐに分かる。おそらく人のことを気にしているのだろう。一緒に育てたいと言い出したのは誰だと思いながら、緑間は口を開く。
「一緒に育てるのだろう。帰りが無理なら朝でも構わない」
学校まで少し遠回りになってはしまうものの、そこまで時間が変わる訳でもない。植物への水やりは朝や夕が良いというような話は聞いたことがある。具体的にどの時間帯が良いのかは分からないが、土が乾燥した時に水をやれば良いというのは間違いない。とりあえず毎朝ここに寄って行けば問題ないだろう。
行きでも帰りでも、二人で育てるからには二人で来なければ意味がない。高尾は緑間のことを気にしているようだが、そんなことを言い出したら一緒に世話をするあたりから考え直さなければならない。それとも植えるだけしか一緒に出来ないとでも思っているのか。それはないだろうが、どうも変なところで遠慮をするらしい。
「二人でなければ意味がないのだろう?」
「……そうだな。じゃあ、毎朝行きがけに様子見てから行こっか」
そう言って見せた笑みに緑間は安堵する。やっぱり笑っている方がコイツには似合う、なんて絶対に口にはしないけれど。
そんな緑間の表情を見ながら、こうして普通に高校生らしいことをする自分達の関係も大分進歩したものだななんて高尾はこっそり思う。花を植えるのが高校生らしいかといえば、バスケに打ち込んでいる普段の方が高校生らしいだろうけれど。たまにはバスケ以外でも高校生らしく寄り道とかするのも有りだろう。いつからこんな風に付き合ってくれるようになったんだっけなとぼんやり考えながら、植えたばかりの苗に視線を落とす。
「この花が咲くのを楽しみにしててね、真ちゃん」
何の花を植えたのかはそれまで秘密。珍しい花ではない。絶対に緑間も見たことのある花を植えた。
どうしてこの花を選んだのか?その答えもいつか花開くその日までの秘密だ。あの日、偶然目に入ったこの花が始まりだった。バスケ以外のことでも一緒に何かをしてみたいとそう思い、興味本位でこの花を調べてみたのが数週間前。そこに書かれていることを見て今日の寄り道をしようと決めた。
(花言葉、なんていくら真ちゃんでも知らないだろうけど)
知らなくていい。だけど知って欲しい。なんて矛盾ばかり。直接言う勇気なんてないから、偶々見つけたこの花を育てることにした。気付かないだろうからこそ、こっそり伝える想い。
「さてと、そろそろ帰るか」
「その前にこのガーデニング用品はどうするのだよ」
「オレがちゃんと持って帰るから安心してよ。あ、ラッキーアイテム用にいる?」
いつどんなアイテムが出て来るか分からないおは朝占い。いつの日かこれらのアイテムも必要となる日が来るかもしれないからと尋ねてみる。今この場にあるようなガーデニング用品くらいは、どこの家庭にもありそうなものだけれど。
そんな高尾の問いに緑間は少し悩みながらも、それならば一応貰っておくと答えた。それに了解とだけ答えて広げたままのガーデニング用品を片付ける。
「一緒に育てていこうね、真ちゃん」
「ああ」
小さな苗に「また明日来るね」と声を掛ると二人は自転車に戻る。それから自転車に乗って今度こそ家路に着く。
この花が咲くその日まで、本当の意味はそっとしまっておこう。
その意味を伝える日が来るのかは分からないけれど。今はこの苗が綺麗な花を咲かせる日を楽しみにしよう。毎日水やりに通って、愛情いっぱいに育てよう。
二人で育てる花がどんな色を見せてくれるのか。
花咲くその日を心待ちにして。
fin
ぎお様のイラストに小説を書かせて頂きました。快諾してくださってありがとうございました!
何の花を埋めたのかは一応考えてありますが、そこはご想像にお任せいたします。