「お前はいつか、ふらっと消えそうだな」


 そんな話をしたのはいつだったか。登下校、部活、授業中……はないだろうから休み時間だろうか。こちらを見た翡翠が唐突に言ったのは。
 緑間にしては珍しく唐突に、深い意味もなくそんな言葉を零した。いきなりどうしたのかと聞き返したけれど、そう思っただけだとしか答えてもらえなかったそれは本当にその通りだったんだろう。すぐに視線は外されてどこか遠くの空へと移っていた。

 あの時。オレは何も答えなかった。緑間も答えなんて求めていなかったと思う。ただ頭に浮かんだ言葉がそのまま零れ出ただけ。それだけだった。

 だから辛そうな顔でこんなことを言われて、どうしたら良いのか分からなかった。


「高尾、どうすればお前はオレのものになる……?」


 高校を卒業してお互い大学へと進学したオレ達。別々の学校に通うようになっても連絡は取り合い、二十歳を過ぎてからは一緒に酒を飲むようにもなった。
 そしてオレ達は現在大学四年生。何があったのかは分からない。でも、いつもよりハイペースだったことにはオレも気付いていたし止めもした。案の定、大量の酒で酔った緑間はそんなことを言ったのだ。


「真ちゃん?」

「どうすればお前は、オレの元を離れず、傍にいてくれるのだよ……」


 酔っているからこんなことを言っているんだということはオレにも分かった。酔っ払いの言うことなんてどこまでが本気でどれが冗談かなんて分からない。人は酔っている時ほど本音を言う、なんてテレビで言っていたけれど本当かどうかは分からない。
 だから緑間のこの発言もどういう意味なのか分かりかねていた。その言葉にどの程度の意味合いが込められているのか。
 素直に言葉を受け取るのなら、それは恋愛という意味が込められているのだろうがオレは男でコイツの友達。まず緑間がそんなことを思っているなんて信じられなかった。けれど、目の前のコイツが辛そうに、苦しそうに声を絞り出すようにしてそんなことを言うから色んなことが分からなくなった。


「オレはいつだって真ちゃんの傍にいるよ?」

「嘘だ」

「嘘じゃないって。今だって真ちゃんと一緒にいるじゃん」


 少なくとも、オレは友達としてこれからも緑間と付き合っていくつもりだった。大学を卒業してからもずっと、昔のように毎日一緒にはいられないけれど時々会って近況を話しながら今日みたいに酒を飲んで。社会人になってからもそうやって付き合っていけたら良いと思っていた。
 同時に、そういう普通の友達としてこの先もずっと付き合っていけるのかという不安もないわけじゃなかった。オレは友達に抱いてはいけないものを心に抱いていて、その気持ちを忘れられないのなら離れた方が良いのかと考えたことはある。
 それでも緑間と一緒にいたいから友達として付き合ってきた。要するにオレのエゴだ。前にいつか消えそうだなと言われた時は正直ビビった。オレの中にはそういう選択肢もあったから。


「どうせお前はいなくなるのだよ」


 オレの前から、と言った男は今にも泣きそうな顔をしていた。
 確かにその選択肢もあったけれど、オレはお前の傍にいたいという気持ちの方が大きかった。だからこれからも離れるつもりはない。友達として、そうして付き合っていくんだと言い聞かせてお前の傍にいるつもりだった。
 だけどその選択肢を考えたことがあるのも事実だ。緑間はオレのそんな考えにも気付いていたんだろうか。人の考えていることなんて分からないけれど、三年間という時間を共に過ごしてきたオレ達はそれなりに互いのことが分かる。もしかしたらあの時も、そういう何かを感じたのかもしれない。


「いなくならないってば。真ちゃんオレのこと信用しなさすぎ」


 かれこれ七年の付き合いになるけれど、こんな緑間を見たのは初めてだ。分かっているつもりでもまだまだ知らない部分は沢山あるんだろう。オレは緑間がそんなことを思っていたなんて知らなかった。緑間もオレがこんな気持ちを抱いていることは知らないだろう。
 七年。それだけの時間があっても知らないことはある。お互い相手にだけはバレないようにと隠してきたからだろう。多分、こうして酔った勢いで感情が零れなければオレ達はそれをずっと隠し続けたまま友達として付き合っていたに違いない。


「日頃の行いだろう」

「ひっでぇな。オレそんなに信用ないの?」

「いつも笑って誤魔化そうとするのはどこのどいつだ」


 それは、気のせいじゃないだろうか。なんて言っても無駄なんだろう。コイツにはきっとバレてる。今までもそう思うことはあったけれど気付かないフリをして貫き通した。緑間は優しいから、オレが笑って誤魔化したことに気付いても気付かないフリをしてくれていた。そうやって今日まで来た。
 緑間がそうしてくれたから、オレはその優しさに甘えて気付かないフリをし続けた。本当に何かあった時はちゃんと話したし、今は言えないことなら追求しなかった。それがオレ達の関係。


「……でも、オレは真ちゃんの傍にいるよ」


 否定しても嘘だとバレるのなら本当のことだけを伝える。お前が嫌だと言わない限り、オレはお前の傍を離れたりしない。この距離はいつまでも変わらない。そう、変わることはない。


「言うだけなら簡単なのだよ」

「おい、オレはお前の中でどんだけ信用ねーんだよ」


 口では何とでも言えるということか。流石にここまで信用がないとオレでもヘコむ。これも全部オレの性格のせいでもあるんだろうけど、そんなに信用がないように見えるのか。
 そう考えていると、さっきまで向かいの席に座っていたはずの緑間の姿が見えなくなる。正確にはオレの隣に移動してきた。酒のせいでほんのりと頬が赤く染まり、瞳にも熱がこもっている。やっぱり睫毛長いなとズレたことを思ってしまったオレも酒の席で多少は酔っているのかもしれない。


「高尾、好きだ」


 真っ直ぐな翡翠がこちらを見て告げる。その言葉の意味が友情ではなく愛情だということくらい、これまでの流れからしても明確だ。何よりその瞳が愛情であることをはっきり教えている。友達としてのLikeではなく、恋愛の意味でのLoveなのだと。


「オレはそういう意味でお前と共にいたい。それでも、お前はオレの傍にいてくれるのか?」


 ああ、さっきの言葉もそういう意味で言っていたのか。それなら信用もある程度はあるのかもしれない。これもまた今考えるべきではないのだろうけれど。
 酒というものは恐ろしいものだ。隠していたものをぽろぽろと零してしまう。話しながら喉を通った酒は、その効果をオレにももたらしたのだろう。さらに一口、ごくっと喉を鳴らした時には少なからず酔っていたんだと思う。


「うん。いるよ」


 いつまでだって、そういう意味でオレもお前が好きだから。
 どこまで声に出ていたのかは分からない。オレの中にあったのは緑間の「好き」という言葉とその前の「信用出来ない」という話だけだった。だから、言葉で信じられないのなら行動で示せば良いという思考回路で自分の唇を緑間の唇に押し当てた。


「これなら信じられるでしょ?」


 言葉だけで足りないのなら行動に移せば良い。簡単なことだ。
 一瞬、目を大きく開いた緑間だったけれどすぐに熱を持った瞳がオレを射抜いた。かと思えば、離れた瞬間に緑間の方から口付けをされた。さっきよりも深く、熱い口付け。お互いの熱が混ざり合う。


「本当に、本当にお前は…………」

「好きだよ。好き、だから離れない。ずっと傍にいる」


 一回の言葉で信じられないのなら二回、三回。何度だって言う。それでお前が信じられるのなら、お前がその言葉を望むのなら。オレは何度だって好きと伝える。
 好きなんだ。お前が。
 まだ僅かに残る冷静な自分がストップを掛けようとするけれど止められない。酒という魔力はあっという間にオレ達のタガを外した。

 好き、嫌い、好き。
 嫌いになんてなれない。同じ学校で、一つのコートの上で肩を並べていた頃から。なんだかんだで嫌いになんてなれなくて、おもしろい奴だったのが好きな奴になっていて。友達としてだったのが恋愛という意味に変わったのはいつだったのか。


「真ちゃん。オレはお前が好き」


 だからお願い。
 お前の望むだけオレも伝えるから、お前の好きもオレにちょうだい?







(お前が好きで、だからお前を手に入れたい。これからも傍にいて欲しい)
(いつまでだって傍にいるよ。オレもお前が好きだから。その代りお前もオレの――――)

この手を放すつもりなんてない。これからもずっとお前の傍に。