じっと見つめる視線が一つ。気のせいかもしれないで流したけれど、それだけ見つめられれば気のせいでは片付けられない。
何か変なことでもしただろうかと思い返してみるが特に何もした覚えはない。それならどこか変な場所でもあるのか。そう考えたところで本人に聞かなければ答えなど分かるわけもなく、こちらをずっと見ている色素の薄い瞳を振り返った。
「……えっと、どうかした?」
「んー? なんでもねーよ?」
これだけ見ていて何でもないことはないだろう。何もないのならここまでの視線は向けられない。絶対何かがあると確信して、さっきから見てるだろと更に追求する。
しかし、それも気のせいだと流される。勿論気のせいじゃないだろうと突っ込んだ。これだけ見られれば理由も気になるというもの。言えば、少し考えるようにしながら「いやさ」と漸く目の前の男は話す気になったらしい。
「真ちゃんがお前のこと可愛いって言うじゃん?」
それがどう理由に繋がるのかはさっぱり分からないけれど、とりあえず質問されているようだったので頷いておく。可愛いという言葉は男に対して使うものではないのだが、それでも緑間は高尾のことを可愛いと言う。
別に可愛くないだろうと言っても緑間からすれば可愛いらしい。そう言われたところで高尾にはその気持ちがさっぱり分からないけれども。
とまあそれはさておき、ここで緑間の話が出てくるということはそういう話なのだろうか。二人にとって緑間は恋人という相手である。
誤解のないように言っておくが、二人というのは高校生の高尾和成と社会人の高尾和成。本来なら別の時間軸を生きている者達だ。恋人というのもそれぞれの世界の緑間真太郎のことである。決して緑間が二股を掛けているという話ではない。
「オレのどこが可愛いのかは分からないよな。でも、オレも真ちゃんのこと可愛いなって思うことはあるかな」
相手は百九十五もある男だ。けれど、それを可愛いと思ってしまう自分もいる。それはやはり、恋人という特別な相手だからだろう。同じ男としては二十センチ近くも身長差があるのは悲しくもあるが、それも含めて彼のことが好きなのだ。ふとした仕草を可愛いなと思うこともある。
そう考えると、緑間達が自分達のことを可愛いというのも納得出来るのだろうか。考えてはみたが、それでも自分のことを可愛いとは思えず。いくら緑間に可愛いと言われようとも納得は出来なさそうだと結論付ける。可愛いと言われて喜ぶのは女性だろう。
だが、自分に対しては可愛いとは思えないものの自分でなければ話は別。
「けど、お前を見てると少しは真ちゃんの気持ちも分かる気がしてさ」
十歳ほど年上の自分の口から出た言葉に思わず「は?」と間抜けな声が漏れる。
それはそうだろう。まさか自分自身に可愛いと言われることなど想像したこともなかった。こんな変わった状況下でなければそもそも有り得ないことだ。
「オレはアンタだぜ?」
「それは知ってる」
「じゃあ可愛いはおかしくねぇ……?」
おかしくないかと問うより、おかしいだろうと言い切ってしまいたい気分だ。それが出来なかったのは、唐突なその言葉に多少なりと動揺したからである。
社会人である高尾も自分自身のことを可愛いとは思わない。それこそどこが可愛いんだという話で、その点は高校生の高尾と同じである。
だが、その対象が年下の自分となれば話は別らしい。そう言われたところで、やはり十六歳の高尾にはその気持ちが全く分からないわけだが。
「オレはオレでも全く同じじゃないだろ?」
だからそれを説明するべくその理由を話す。どちらも同じ高尾和成という人間であるが、二人が全く同じとは言い切れない。
同一人物ではあるものの別の人間なのだから考えていることも思っていることも違う。それが似ていたり、同じことを思っていたりすることはあるだろうが全てが完全に一致するわけではない。
それは確かにその通りなのだが、それでも高校生の高尾には分からなかった。もし自分より幼い自分に会ったならそう思うのだろうかと考えてはみたものの、会ったことなどないのだから想像し辛い。
恋人の幼い頃の写真を見たら可愛いと言う自信はあるけれど、自分のことはどうだろうか。それを誰かに見せたとすればその場のノリで可愛いだろくらいは言うだろうが、目の前にいたとして可愛いと思うのか。考えたところでそんな状況になったこともなければなることもないのだから結局分からずに終わる。
「それに、お前もオレだからな」
次に出た言葉にまた一つ、クエッションマークが浮かぶ。さっきまでの話もそんな感じではなかっただろうか。
その通りであるのだが、大人の高尾が言いたいのはそういうことではなく。
「自分相手なら何も遠慮することもねーかなって」
いきなりの爆弾発言にかろうじて何をするつもりなのかとだけ問い返した。一体この男は何を考えているのか、自分のことながらさっきから分からないことばかりだ。
明らかに距離を取ろうとする自分に微笑みを浮かべながら、怖がることはしないと言ったもののそれなら何をするつもりだと警戒心は解かれないまま。そっちこそ何をされると思っているんだと言いたくなったが、それは止めておく。
代わりに質問の答えとして「普通に可愛がるとか?」と話すと今度は沈黙で返ってくる。可愛いと言われるのも納得できないのだからこの反応は想定内だ。気に入らなかったかと笑えば、男でそれを喜ぶヤツなんていないと不満そうに言われる。
「まぁな。でもいないとも言い切れないんじゃねぇの?」
「……アンタさ、オレのことからかって遊んでるだろ」
普通に返したつもりだったのだが、続いたのはそんな言葉だった。大きい高尾からしてみれば今更である。気付いていないことは分かっていたが、オレも案外鈍いところがあるのかなとこっそり心の内で思う。
「やっと気付いたんだ」
「そりゃあ、な」
流石にここまでくれば分かるといったところだろうか。
だが、こちらは二十六歳。向こうは十六歳。その差は十もあるのだ。十年という月日は決して短いものではない。十年もあれば色んなことを経験し、高校生の自分よりも多くのことを身に付けている。
「でも」
短くそれだけ言った大人の自分は、おもむろに右手を伸ばすとそのまま高校生の自分の唇へと己の唇を重ねた。
「!?」
「可愛いって思わないこともないぜ?」
そう言って笑ったのも確かに自分なはずなのに、どこか自分ではないように思える。それも当たり前だ。同一人物でも全てが同じではないのだから。まず二人の間には十年という時がある。それだけでも結構な違いだ。
真ちゃん達どうしてるか見に行くか、なんて言いながら立ち上がった自分は口角を持ち上げてこちらを見る。行こうぜと差し伸べられ手を掴むべきか悩みながらその手を掴む。二十六の彼がそういう意味で好きなのは誰なのかは知っているから。
可愛いと思うのは
(真ちゃん、浮気してない?)
(してるわけがないだろう。そもそも誰と浮気するのだよ)
(高尾? どうかしたのか?)
(いや、なんでもない)
(……和成、お前は自分に何をした)
(何もしてねーよ? ほら、それより三時のおやつにしようぜ)