「いつの間にこんな料理出来るようになったんだろーな……」


 食事をしている最中、ポツリと零された声に緑間は顔を上げた。どうやらただの独り言だったらしく、高尾は変わらずに箸を進めている。ワンテンポ遅れて顔を上げると「どったの真ちゃん」と疑問を浮かべた。どうしたのとはこっちの台詞だ、と声に出さない代わりに緑間は溜め息を零した。


「何かあったの?」

「オレは何もないのだよ」


 言えば「そう?」とクエッションマークを浮かべながらも食事を再開する。独り言とはいえ無意識に口に出していたわけではあるまい。となると、考えられるのは先程の独り言がこちらまで聞こえていないと思っているといったところだろう。
 このままでは埒が明かない。緑間は何かあったのかとつい数秒前に自分に投げられた問いを返した。その問いに高尾はきょとんとして、緑間と同じく何もないと答えた。何もないわけがないだろうと、今度ははっきり口にした。


「何もないように見えないのだよ。さっきの独り言といい」

「あれ、聞こえてた? ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったんだけどさ」


 それならばどういうつもりだったというのか。話が進まなくなるだろうと緑間は突っ込むのを止めた。そうすれば、高尾は自ずと補足を始める。


「別にオレ料理なんて人並みだった筈なのに、気付いたら色々作れるようになったなと思って」


 高尾は料理が得意でもなければ、料理が好きな訳でもない。だが、緑間と暮らすようになってから必然的に料理当番になっている為、いつの間にか色んな料理が出来るようになっていたのだ。
 どうして料理当番になっているか、というのはわざわざ説明する必要もないだろう。簡潔にいえば、緑間は料理が苦手だからだ。その料理の腕前は高校時代に高尾も十分知っている。これは緑間に包丁を持たせられないと、大学生になってルームシェアを始めた時に自然と料理当番になったのである。


「これだけ料理をしていれば腕も上がるだろう」

「そうかもしんないけどさ、オレが言いたいのはそういうこっちゃないのだよ」


 お馴染みの口癖を真似すればすぐにやめろと怒られた。こんなやりとりは高校生だった頃から何度も行われている。高尾も分かっていてやっているし緑間も半ば諦めているだろう。要するにいつものことなのだ。
 さて、そんなことはさておき。それならば高尾は何が言いたいのか。話の流れからして料理に関することだと想像することは容易い。けれど、その先は幾ら考えても緑間には分からない。高尾も話さずに通じることはないと分かっているからそのまま話を続けた。


「だからさ、オレは料理得意でもないし好きでもないワケよ」

「そうなのか」

「そうだよ! 真ちゃんが出来ないから自然と飯当番やってるけど、ぶっちゃけめんどいとか思うこともあるし」


 ルームシェアを始めて一年は経っているが、高尾が料理当番について何か言うのはこれが初めてだ。そもそも、高尾の言うように自然と決まっただけで当番を話し合った記憶はどちらにもない。高校生活でお互いのことをそれなりに把握していた二人は、話し合うまでもなくそれぞれの分担を決めた。
 決めたという表現は正しくないが、なんとなくお互い役割が決まっていたのだ。高尾は料理、緑間は洗濯、ゴミ捨ては行きがけに、掃除は二人でといった具合だ。


「つまり、料理をしたくないということか?」

「いや、そうじゃないんだけどさ……」


 ならばどういう意味だと追及する。今の話では自然と料理当番になっているけれどそれが嫌だというようにしか感じられない。ここは料理も分担するべきではないかと言いたいように聞こえたのだが、高尾の反応からしてそれは違うらしい。
 というのも、先程から述べているように高尾は料理が得意でもなければ好きでもない。けれども、自分が作った料理を緑間が美味しいと食べてくれるのは嬉しいのだ。正直面倒でも緑間が喜んでくれるからと今日まで何も言わずに作り続けていた。そんな高尾が何を言いたいのかというと、料理当番をどうにかして欲しいという話ではなく。


「オレもそういうこと思うっていう話。これからは料理作らないとかそういうことじゃないから」


 料理当番を分担しようなんて言わない。緑間が料理を出来ないことなど百も承知なのだから、この先も料理は高尾が作る。ただ、そういうことを思ったりもするのだということを知って欲しかっただけ。いや、最初はただの独り言で終わる筈だったのだから知って欲しかったというほどのことでもないけれども。そう思っていたからその言葉が零れ落ちたのだろう。
 緑間がいるから。高尾が料理を作る理由はそれだけだ。だから、例えばそう。緑間が大学の用事で出掛けていて一人でご飯を食べるとしよう。そういう時は適当にある物で済ませるか、近場で買ってくるかのどちらかだろう。一人だったらわざわざ料理をしようとは思わないのだ。


「休みたいのなら偶には休め」

「んー……でもオレが作らなかったら飯に困るじゃん?」

「お前の手料理が食べられないのは残念だが、そういう時くらい休むべきなのだよ」


 言えば高尾はきょとんとした。そんな高尾にどうしたと尋ねれば、驚いた顔のまま「真ちゃんそんな風に思ってたの?」と疑問が返された。そんな風とはどんな風だと思ったが、それを聞くよりも前に高尾が言葉を続けた。


「そんなに期待されてたんだ」


 補足するように続けられたその言葉に、緑間も高尾の言いたいことを理解した。この生活を始めた最初こそ、作った料理に感想を求められて美味いと答えたがそれも初めのうちだけ。一緒に暮らしているというのに毎日そんなやり取りを繰り返したりしない。だから、高尾の料理に対して何かを言うのは本当に久しい。
 だが、言葉にしなかっただけで緑間はずっとそう思っていた。高尾だって緑間が自分の料理を好んでくれているのは知っていたし、毎日のように感想を求めているわけではない。けれど、やはりそう言って貰えるのは嬉しいものなのだ。それが分かればもう余計な言葉は不要だろう。


「当たり前だろう。知らなかったのか?」

「知ってたぜ。そんなにオレの手料理が好きだったとは思わなかったけど」


 何を馬鹿なことを言っていると高尾の言葉を緑間は否定する。お前の手料理が一番に決まっているだろう、とはっきり告げられて今度こそ高尾は固まった。数秒を要して緑間の言葉を理解すると、次の瞬間にはブハッと吹き出した。どうして笑うんだと緑間が眉間に皺を寄せると、ごめんと謝罪をしながら色素の薄い瞳は真っ直ぐに翠を捉える。


「やっぱオレお前のこと好きだわ」


 好きでもなければそもそもルームシェアなんてしていない。いや、好きだからこそ一緒にいることを選んだ。
 そこまで言ってもらえるのなら手料理を頑張ろうという気にもなる。どうしても作りたくない時だけ甘えさせてもらおう。料理が好きではないけれど嫌いでもないし、自分の料理が日常の一つになっているのは悪くない。







好きだから毎日でも食べていたい。
そう言ってくれる人と一緒にいられるのは幸せだな、なんて。