「いらっしゃいませ」


 カランカラン、鈴が鳴る。お客さんが来た合図。その音を聞いてお決まりの挨拶を口にすれば、そこには見慣れた長身。所謂常連さんというヤツだ。


「あ、お仕事終わったんですか?」

「今日帰ってきたところです」

「そうなんすか。お疲れ様です。適当に座ってください」


 初めて来たのは半年くらい前だろうか。オレも身長は高い方だけれどこのお客さんはオレよりも背が高い。立ち話をする時はオレが自然と見上げる形になるくらい、百九十はあるだろうか。街中でも滅多に見ない長身と艶のある緑の髪。そして透き通るような翡翠の瞳。
 これだけ目立つ容姿をしていれば一度見ただけで覚える。二度目の来店で「あ、この前の」なんて言ってしまった。記憶力は悪い方じゃないけれど、二度目でこんなにしっかりと覚えているのも珍しい。それだけ特徴的だった。


「出張だったんすよね。一週間振り?」

「そうですね」


 半年も通ってくれている常連さんとはこうして話をする機会も増えてくる。お客さんの方から声を掛けてくれることもあるし、オレの方からありきたりな話題を振ることもある。この人の場合はオレの方からだった。
 最初は質問に対する答えだけしか会話は続かなかったが、今となっては普通に会話をする程度の仲にはなった。そう思っているのはオレだけかもしれないけれど、こうして会話が続くようになったんだから多少は親しくなっているだろう。それに、半年も通い続けてくれているんだから少なくともこの店の味は気に入ってくれているということになる。何よりそれが嬉しい。


「緑間さん、今日は何にします? あ、お汁粉作りましょっか」


 お汁粉なんてメニューはないけれど材料は揃っているから作ろうと思えば作れないことはない。どうしてお汁粉なのかといえば、お客さん――緑間さんがお汁粉が好きだからだ。いつも同じものばかり頼むから「好きなんですか?」と聞いたのがきっかけだったと思う。そこから緑間さんの好きなものを聞く流れになって、その時に聞いたのがこれだった。

 近くにも色々なお店はあるから食べたい物があればその日の気分である程度選ぶことが出来る。けれど、さすがにお汁粉を取り扱っている店はないらしい。それはそうだろう。オレだってあまり見かけない。そういうのは和菓子を取り扱う甘味処にでも行かなければないんじゃないかと思う。生憎近辺にはないけれど。
 だからというわけでもないのだが、ある時にふとそのことを思い出してレシピを調べたんだ。そうしたら案外簡単に作れると知って試しに作ってみたのがひと月前。オレ自身が甘いものをそこまで好きじゃないからどれくらいの甘さにしたら良いのか分からなかったが、良かったらと出したのが始まりだ。緑間さんは美味しいと言ってお汁粉を食べてくれた。甘さは大丈夫かと聞いたら、もっと甘くても良いと言われて正直ビビった。オレ的には結構甘くしたつもりだったから。なんでも緑間さんは甘党らしい。

 それからもっと甘くなるように作って合格をもらったのが一週間前。同時に、緑間さんはその次の日から仕事で他県まで出張することになった。今日はその出張から帰ってきた足でそのまま店に来てくれたようだ。
 家に帰ってゆっくり休み、次の日に来てくれたってオレは十分嬉しい。だけど緑間さんは今日のうちに来てくれた。本当、ありがたいというかさ。こういうお客さんは大切にしなきゃな。


「いいのか? メニューにはないだろう」

「それ物凄く今更でしょ。せっかく緑間さん好みのお汁粉が作れるようになったんすよ。緑間さんが飲みたいなら精一杯愛情込めて作りますって」


 料理には愛情を込めて作るものだ。よく言うだろ?最後に魔法のスパイスをかけよう的な?
 男のオレがやっても気持ち悪いとかそういうのは禁止だ。男だろうと女だろうと精一杯の愛情をこめて一つの料理を作るのは大事なことだろう。こういう職業をしているのならなおさら。
 そんなんで変わるわけないって思うかもしれないけど、これって案外大切なんだぜ。どんなものでも気持ちは通じるっつーの?ほら、なんか分かるだろ。頑張って作ったモンは何か感じるものがあるじゃん。結局何が言いたいのかというと、料理人はどんな簡単な料理にも高度な料理にも全て食べる人のことを考えて精一杯作ってますという話だ。


「それなら頼むのだよ」

「ありがとうございまっす! これから作るんでちょっと待っててくださいね」


 材料は全部揃っている。緑間さんが今度の出張は一週間だって言ってたから、それくらいには用意しておこうと思っていたんだ。一応今日買っておくかと思って買ったんだけど正解だった。
 せっかく来てくれたのに作れないとかお客さんに悪い。メニューにあろうがなかろうがお客さんには満足してもらいたいんだ。そんな勝手なことが許されるのは、ここが個人経営の店だからである。


「出張から帰ってきたばっかなんすよね。この後は真っ直ぐ帰宅っすか?」

「寄るところもないですから」

「でもウチには寄ってくれたんすね」

「迷惑でしたか?」

「まっさか! 緑間さんならいつだって大歓迎っすよ」


 ウチは大通りから外れた場所にあるこじんまりとした店だ。お客さんはあまり多くないけれど、ウチの店を見つけてきてくれるお客さんがいるならそれで良いんじゃないかって思ってる。
 そりゃ、お客さんが沢山来て有名にもなれば経営だって安定するだろう。沢山の人が来て自分の店の料理を美味しく食べてくれるなんて誰だって嬉しいに決まってる。テレビや雑誌で紹介されるところまでくれば大成功だ。

 でも、オレはそういうところを目標に店をやっているわけじゃない。そもそも、店を始めた時からそんなことは考えていなかった。有名になれば良いことも多いかもしれないけれど、有名になればいいってもんじゃない。
 それが努力した結果であることは分かるけれど、有名でなくても良い店なんて世の中には数えきれないほど存在している。店の味が好きだったり雰囲気が好きだったり。何か一つでも好きだと思えるところがあって、また来たいと思ってくれる。そしてまた足を運んでくれたら十分だ。多かろうが少なかろうが重要なのは数ではない。そう思ってくれる人が居るということ。


「いつだってとはいっても営業時間はあるでしょう?」

「まぁそうなんすけどね。営業時間なんてウチみたいな小さい店じゃあってないようなもんすよ」


 営業時間は当然決まっている。朝も夜もその時間に合わせて店の準備をしたり店を片付ける。ないなんてことはまずあり得ないけれど、そこまできっちりしているかと言われればそうでもない。
 現に今も営業時間は三十分もないけれどそれなら三十分後にきっちりお店を閉めるかといえば答えはノーだ。お客さんが居るからっていうより、緑間さんが来てくれたからかな。もちろんそれを口にはしないが、個人経営というのはその辺の融通がきく。


「緑間さんが居たいならいつまで居てくれても構わないっすよ?」


 冗談で言ったであろう言葉にそんな風に返す。本気で営業時間があるかどうかなんて聞くわけがないからな。分かり切っていることだし。だからきっと、オレのことも冗談として受け取られるのだろう。
 真意?それは受け取る方にお任せする。


「そういうことを言って本気にされたらどうするつもりですか」

「あれ? 緑間さん、案外乗り気なんすね。意外っすわ」


 てっきり冗談でもそういうことを言うもんじゃないとか言われるものだと思っていた。半年もあればそれなりにお互いのことも分かってくる。ああ、それであえてこう言った可能性もあるのか。それなりには分かってもまだまだお互い知らないことの方が遥かに多い。
 意外ではあったけど本気にするなら本気にしても構わないですよ、と言えば緑間さんが目を大きく開いた。緑間さんにとってはこの返しが意外だったんだろう。まぁ、これもどこまで本気で受け取られているかは分からない。


「……高尾さんは、ここに来る客全員にそう言っているんですか?」


 どうやら話の内容よりもそっちが気になったらしい。そっちかとは思ったが、聞かれたからには答える。


「まさか、言うわけないですよ。緑間さんだから言ってるんすよ」

「それが本気なら、オレも本気にしますが?」

「オレはいつだって本気ですよ?」


 そんなやり取りをしているうちにお汁粉が出来上がる。火を止めてお椀によそり、お箸と一緒に緑間さんの前に置く。お待たせしました、とお決まりの言葉も忘れない。この時間のお客さんは緑間さんだけどはいえ、あくまでも今は営業中である。


「冷めないうちに食べてくださいね」

「……いただきます」


 にこっと笑うと緑間さんはゆっくりとお椀に口を付けた。念の為に味を確認すれば大丈夫だと返ってきて安心する。

 さて、問題はここからだ。お互いに冗談だか本気だか分からないやり取りをしてきたがこれは果たしてどちらの意味なんだろうか。
 その答えは緑間さんがお汁粉を飲み終わってから。






の常

(本気、だったらいいななんて。オレもどうかしてるな)
(本気、とは言ってもコイツは本当にその気があるのか分からないのだよ)