背の高い人は頭を撫でられるのに弱い。

 本当かどうかは分からない。けれど、偶然ネットで見掛けたそれを試してみたくなった。背の高い人間はバスケ部に所属している高尾の身近には多くいる。だからといって、むやみやたらにそんなことをしたら怒られそうである。やはり相手くらいは選ぶべきだろう。
 では誰にしようか。なんてのは考えるまでもない。条件は背の高い人というだけなのだから、手っ取り早く一番身近な人で試してみれば良いだけの話だ。


「…………急になんだ」


 部活が終わってからも居残って練習を続け、時間になったからと切り上げてきたのが数分前のこと。部室に戻って着替え、左手にテーピングを巻いていた相棒の邪魔をしないようにタイミングを見計らいつつ実践してみた結果がこれだ。言われながら頭に乗せていた手も払いのけられた。予想通りといえば予想通りの反応である。


「いやさ、背の高い人は頭を撫でられるのに弱いって聞いて」

「関係ないだろう」


 やっぱり?と笑ってみたが、呆れたように溜め息が返ってくるだけだった。まぁそう簡単にいくものでもないだろう。
 というより、これは要するに背の高い人は頭を撫でられることに慣れていないという話だ。その理由は分かる。背が高いから。その一言で全てに説明がつく。
 だからこそ撫でられるのに弱いということなんだろうが、言いたいことは分かってもそれが必ずしも事実であるとは限らない。撫でられ慣れていないことは事実だろうけれど、その先は人それぞれであり相手にもよるだろう。


「そんなくだらんことをオレにするな」

「でも先輩には出来ないだろ?」

「最初からやらなければ良いだけの話だ」


 ごもっともである。だが、それが気になってしまったから実践しようと思ったのだ。やらないという選択肢は端から存在していない。緑間に言わせればくだらないことでも高尾にしてみればそうではないのだ。
 しかし、身近にはまだ背の高い人達は沢山居るものの先程本人も言ったように先輩には流石に出来ない。やるとしても同学年の奴になるのだろうが、なんだかんだで止めろと言われて終わる気がしないでもない。別に撫でられてもなと高尾自身でさえその記事を読みながら思ったくらいだ。それなら尚更やるなと目の前の男に言われそうだからそこは口にしないけれど。


「ちょっとくらい嬉しかったりもしなかった?」

「しない」


 はっきり否定されてしまったがこれも予想の範疇だ。やっぱりそういうものだよなと思いながら、高尾は自分のエナメルを肩に掛ける。しっかりとテーピングを済ませた緑間も残りの荷物を纏めて立ち上がり、それを確認してさっさと部室を後にする。ここで長居しても怒られるだけだ。移動しながら「でも撫でられ慣れてはいないだろ」と話を続けようとしてみるが「しつこい」と怒られてしまった。
 いや、別に怒られた訳ではない。けれど、ここから話が広がるということもないだろう。緑間の答えは決まっているのだ。どういう形で質問しようがその答えは変わらない。
 まぁ背が高い人の意見が聞けたから良いか。そう納得させてから帰りのジャンケンに移る。今のところの成績は緑間が全勝で高尾が全敗。念の為に補足しておくと、これは初めてリアカージャンケンをした日から続いている記録だ。


「よっしゃあ、今日こそは負けねーからな!」

「せいぜい頑張るのだよ」


 それでも勝つのはオレだとでも言いたげな態度に言い返したくても、実際に今まで無敗を続けているのだから何も言い返せない。
 やってみなければ分からないだろと始めたジャンケンだったが、案の定とでもいうべきか。やはり勝利を掴んだのは常日頃から人事を尽くしているその男だった。


「本当、真ちゃんって全然負けねーよな……」

「人事を尽くしているのだから当然だ」


 そうかもしれないけれど、そこまでの効果が出せるおは朝占いとは一体何なのか。だがおは朝だってまさかその占い結果が人の命をも左右しているとは思っていないだろう。やはりこれは緑間だからこそなのだろう。
 ジャンケンも終えたところであとは家まで自転車を漕いでいくだけ。正確には信号の度にジャンケンをするのだが、おそらく残りのジャンケンも緑間の全勝だろう。かといって高尾も負けるつもりはないけれども、ジャンケンの意味がないくらいには結果が分かりきっているのが悲しいけれど現実なのだ。


「真ちゃん? どうかした?」


 荷物をリアカーに乗せたところで立ったままの緑間に気付いて疑問を浮かべる。ジャンケンまでやったのだから今更歩いて帰るとは言い出さないだろう。けれど、それならどうしたというのか。
 一方の緑間はといえば、ただじっとその目を高尾へと向けていた。きょとんとした表情で高尾が振り返って数秒。緑間は徐に高尾へと手を伸ばしたかと思えば。


「ちょ、真ちゃん!?」


 何するんだよ、と続いた理由は全て緑間の行動にある。
 後は帰るだけだというのになかなかリアカーに乗らなかった緑間は唐突に高尾の頭に手を乗せた。といっても、先にそれをやってきたのは高尾の方だが。つまり、今度は緑間が高尾の頭を撫でたということ。


「バスケ部では小柄だがお前も身長は高い方だろう?」


 そう、バスケでは小柄に入る高尾だって身長は百七十後半。クラスの中では当然高い方に分類される。緑間はその身長故に頭を撫でられることが殆どないが、高尾もこの身長では頭を撫でられる機会なんてそうそうない。
 そういう意味では高尾だって緑間と同じはずなのだ。だからこそ、こうして高尾が疑問に思っていたことを実際に試してみた。


「そうだけど、そう言ってもお前いつも人のこと小さいって言うだろ」

「別に言っていないのだよ。それで、背の高い人は頭を撫でられるのに弱いというのは本当だったのか?」

「話を逸らすなよ!」


 元はといえば高尾がその疑問の答えを知りたいが為に実践してみたことが始まりだ。自分でやってみた方が分かるだろうという考えで実行しただけである。人に聞くよりもその方が分かるだろうという考えは強ち間違いではない。
 それに、話を逸らしているのはどちらかといえば緑間ではなく高尾の方だ。緑間の言おうとしていることくらい高尾はとっくに気付いているだろう。それでいてこの反応が返ってきたということは話を逸らそうとしているのは当の本人だといっているようなものだ。


「………………」


 そして静かになった男に緑間は不思議そうに「高尾?」と名前を呼ぶ。呼ばれた方はといえば、視線を合わせないようにしながら「もうやめろよ」と手を払いのける。しかし、それっきりで高尾はまた黙ってしまう。
 そういえば、事の発端は背が高い人は頭を撫でられるのに弱いというものだった。緑間は関係ないだろうときっぱり否定したが、緑間ほどではないにしても高尾も世間一般的には高身長に入る。だからこそ本人が体験してみれば早いと思ったのだが。


「…………お前は、こういうのに弱いのか」


 たかが頭を撫でられるという行為。たったそれだけのことで変わることもないと思ったのだが、これが案外そうでもなかったらしい。
 正直、高尾もたかが頭を撫でられるだけでと思っていた。撫でられただけでどうということもないだろうと思っていたから、高尾自身もこんな気持ちになるものだとは思わなかった。
 一応口では否定しておいたが無意味だろう。もう緑間にはバレてしまっている。でも、誤解のないように相手が誰でもこうなる訳ではないとは補足しておきたい。試してはいないけれど高尾の中でそれは明確となっている。その理由は説明するまでもないだろう。


「そうじゃねーけど……それより早く帰ろうぜ」


 余計なことは言うべきではない。そう判断してまたも話を逸らそうとする。
 分かりやすすぎるそれに緑間も気付いてはいるが、ここは追及すべきかしないべきか。高尾がどちらを選んで欲しいのかは分かりきっているが、珍しい反応をされたら少なからず悩んでしまうというもの。そして緑間が選んだのは前者だった。


「そうじゃないなら何だ」


 自分からスキンシップをしてくることは多々。こちらからやってみてこれということは、するのは良いけれどされるのは嫌ということか。
 違う。嫌なのではなく慣れていないという話なのだろう。確か前にも似たようなことがあった。あの時は「それとこれとは別」だとか何とか言われたんだったか。お前はよくやってくるだろうというような話に対しての高尾の答えがこれだ。つまりそういうことである。


「……それは、真ちゃんがいきなりこんなことするからだろ」


 いつもよりも小さな声で聞こえたそれは大方予想通り。相手が誰でも良い訳でもなく、相手が緑間だったからこそ。背が高いからというよりは恋人にそんなことをされたからと言った方が正しい。
 これが普段から多少なりとスキンシップをされていたなら話は別だっただろう。けれど緑間はそういうタイプではない。そんな緑間がいきなりこんなことをしてきて、恋人としてはそれがほんのちょっとだけ良いと思ってしまった。これが答えだ。


「ほら、もう良いだろ! さっさと乗れよ」


 顔が熱いけれどこの夜の闇の中では気付かれないだろう。緑間がリアカーに乗ったのを確認すると重いペダルをゆっくりと回し始める。


(まさか緑間があんなことするなんて)


 予想外もいいところだ。それでもって、するのは良いけどされるのには慣れてないんだよと緑間が辿り着いたその答えを心の中で叫ぶ。
 その緑間はリアカーに揺られながら自転車を漕ぐ恋人へと僅かに視線を向ける。一体どんな顔をしているのかなどこの状態では分かる訳もない。だが。


(アイツのこんな反応が見られるなら、たまには良いかもしれないな)


 たまには真ちゃんもさ、などと言ってくるのは高尾の方だ。これで何か言われたとしても、いつもお前が言っていただろうという言葉で片付けられる。
 果たして、高尾はどんな反応を見せてくれるのか。いきなりそんなことをするようになれば心臓に悪いと文句が出てきそうな気もするが、その辺のことは今は考える必要もないだろう。






そう思っているのは決して一人ではないのだと、そろそろはっきりさせておこうか。