好きだと告白するつもりは全くなかった。やってみなければ分からないと思うかもしれないが、やらなくても分かりきっている恋だった。そう、実らない恋。どうして何もせずにそれが分かったのかというと答えは単純明快。オレも相手も同じ男だったから。それ以上の理由もそれ以下の理由もない。
だから気持ちを伝える気なんて本当になくて、思わず零れたそれを拾われたことにも驚いたしいつものように誤魔化そうとしたけれどその目があまりにも真剣だったから誤魔化すことも出来ず。恋は実らなくても友達として、相棒として隣に居られたらって思っていたのが全部崩れたと思った瞬間だった。
しかし意外なことに、という表現もおかしいが男が男にそういう意味の告白をしたら普通は受け入れられないと思うだろう。少なくとも、同性婚の認められていないこの国ではそう考えるのが普通だ。でも、ソイツは自分も同じ気持ちだからと受け入れてくれた。
そしてオレ達は友達であり相棒であり、さらに恋人という関係になった。それももう三ヶ月前の出来事だ。恋人になったからといって特に何かが変わることもなく、オレ達は今まで通りの生活を送っている。一緒に登校して部活に出て、授業を受けてまた部活をして帰宅。付き合ってから変わったこと、というのは正直ないと思う。
(でも、男同士ならそんなもんかな)
恋人だからって特別するようなこともない。男女の恋愛だって付き合ってすぐにするようなことはないだろう。学生同士なら一緒に登下校をしたり二人でお昼を食べたり、なんてところから始まるのかもしれないが部活もクラスも同じオレ達は一年の頃からずっとそうしている。それらは既に日常の一部だ。
他に恋人だからすることといえば、分かりやすいところでデートだろうか。といっても、やはりバスケ漬けの毎日を送っているオレ達にそんな時間は殆どない。もっとはっきりした行為ならキスとかもあるが、別に付き合ってすぐにするようなことでもないしその辺は人それぞれだろう。したくない訳でもないけれど。
(何も変わってないけど、付き合ってはいるんだよな……?)
付き合ってから何もなさ過ぎて疑問になってしまったがそこは間違いないはずだ。三ヶ月前にお互い自分の気持ちは相手にはっきり伝えている。好きという言葉も伝えた。それっきりだけどこれも毎日のように言うようなことでもない。男同士ということもあって男女の恋愛以上に人の目を気にしているから余計にそういう恋人らしいことはないのかもしれない。
「高尾」
聞き慣れた声が耳に届いてそちらを向く。終わったのかと尋ねればすぐに肯定が返された。今日はコイツが日直だったから職員室に日誌を届けてくるのをこうして教室で待っていたのだ。これも恋人になる以前から。逆にオレが日直の時は緑間が待っていてくれる。
最初は先に体育館に行っていたんだけど、いつからか待っていてくれるようになった。オレが待っていることに対しても何も言われなくなって漸く友達として隣に居ることを認めてくれた頃からだ。まぁ、最初からなんだかんだ言いながらも付き纏うオレを傍に置いてくれてたけど。緑間はそういう奴だ。
「帰るぞ」
自分の机から鞄を手に取って短く声が掛けられる。こちらも返事をしながら鞄を持って席を立つ。いつもならこのまま体育館に向かうところだが、生憎と今日は体育館の点検があるらしく部活はなし。当然自主練も出来ないから帰る以外に選択肢はない。寄り道くらいは有りだが特に行きたいところもないから真っ直ぐ帰ることになるんだろう。
教室を出てそのまま昇降口へ。靴を履きかえて二人並んでいつもの道を歩いていく。時間が違うだけでこれもオレ達の日常。恋人である以前に友達であり相棒でもあるからそんなものだ。
「そういえば今度の練習試合あるじゃん?」
「今週末にウチでやる試合か」
「そうそう。そん時にさ…………」
クラスメイトでチームメイトで。急に新しく何かが変わることもなければ、これまでの関係が変わることだってない。自分達には自分達のペースがあるんだからこれで良いんだ。人と比べるようなことでもない。
でも、何もないことに不安が何もないかといわれればそれはちょっと違う。男同士という時点で不安なんてたくさんある。もしかしたら友情を勘違いしているんじゃないかとか、好きでも恋人らしいことをするのには抵抗があるんじゃないかとか。
「……高尾?」
「え? あ、ごめん。何の話だっけ」
考え事に没頭して話を聞いていないなんて何をしてるんだろ。まずどうして今そんなことを考えているんだって話だが、教室で待っている間に余計なことを色々と考えてしまったから以外にない。人それぞれなんだから気にすることはないのに、頭では分かっていても心がそれに伴うかといえばこれがまた別問題らしい。
「何かあったのか?」
心配してくれる友人に何でもないと笑ってとりあえず話を戻そうとする。
――が、翡翠の瞳がこちらをじっと見つめて外れない。これはオレが何か隠していると分かっている。オレもそうだけど一年間一緒に過ごした上にその大半を共にしていればお互い相手のことは分かるようになるものだ。適当に誤魔化せば良いやと思っても誤魔化せないようになってきている。それでも気付かないフリをすることもあるけれど、今回はそうもいかなそうか。
「…………大したことじゃないんだけど、オレ達って恋人らしいことは全然してないよなと思って」
変に遠回しに言ってもしょうがない。どうせ話さなければコイツはオレが話すまで待つのだろう。それが分かっていて無駄に長引かせようとは思わないだけだ。
それに、オレ一人で考えていたところで答えが出ない問題だ。加えてその答えを持っているのがコイツなら話してしまうのも手かもしれない。そう思った。
「だからって恋人らしいことをしたいとかじゃないけど、好きとか言ったのもあの時だけだし」
「……それはお前もだろう」
「そうなんだけどさ。オレ達はオレ達って分かってても、なんつーか」
もう少し恋人らしいことも、と思っているのが本当のところだ。人目もあるからそういうことをするにしてもほんの限られたことしか出来ないだろうけど、付き合っているのならと思うことがない訳じゃない。町でカップルが手を繋いで歩いているのを見ながら、ああいうことを出来たら良いのにとか。勿論、男同士でそんなことが出来る訳がないとかその辺のことは分かってるけど。あー……なんて言えば良いんだろう。
「ごめん、やっぱ今の忘れて。ホントは分かってるから」
オレは緑間のことが好きで、緑間がオレを好きだという気持ちも疑ってなどいない。分かっているけれど、街中のカップルを見ながら羨ましいと思うこともある。オレ達には出来ないことも普通に出来ることが。だからといってどちらかが女だったらとは思わないし、女の子と付き合いたいという意味でもない。
だからごめん、と翠を振り返ると同時に腕を引かれてそのままオレは真ちゃんの腕の中に収まった。いくらオレも男だとはいえ、自分よりも体格の良い男に突然腕を引かれれば自然とこうなる。だが、問題はそこではない。
「真ちゃん!? 急にどうしたの、ってかここ外……!!」
「高尾」
平均以上もある男子高校生二人が道のど真ん中でこんなことをしていたらどう考えてもおかしい。とにかく離れようと抵抗してみるが、強い力で抱きしめられてしまえばオレの力では振り解けない。何より、その強い声に抵抗しようとする力を奪われる。
一度落ち着いてから再びどうしたのかと尋ねる。誰かに見られたら不味いとも言ったのだが、人なんて居ないから大丈夫だと答えられた。今は居なくてもいつ誰が通るかなんて分からない。やっぱりこのままではいけないと言おうとしたところで、すぐだから聞けと遮られた。
「オレはお前が好きだ。だが、オレ達は同じ男だろう。普通とは違うし、オレにはそういう経験もあまりない」
そういう経験、というのは恋愛経験のことだろう。その点についていえばオレだって似たり寄ったりだ。高校に入ってからは部活ばかりの毎日で、中学の頃だって今ほどではないにしてもバスケばかりの日々を送っていた。告白をされたことはあるけれど付き合った経験は正直なところない。緑間も同じようなものだと勝手に思っていたからそこは大差ないと思う。
それでも人並みには恋愛というものについて知っているつもりだ。具体的にといわれても困るけれど、お互いが好きだから付き合って一緒に出掛けたり恋人同士でしか出来ないことをしたり。それくらいは緑間だって分かっているだろう。
そう思っていたのだが、オレが考えていたのと緑間が考えていたのは少しばかり違ったらしい。
「だから、どうすれば良いのか分からなかったのだよ」
具体的には何をどこまでやって良いのかといったところだろうか。
さっきもいったようにオレ達は男女の恋人のように普通に手を繋いで歩くことも出来ない。キスにしたって相手がどう思っているか、というのはどっちでも変わらないだろうが好きでもしたいと言って良いものか。自分はしたいと思っても相手は本当にそこまでしても良いと思っているのかとオレも考えた。普通の恋じゃないから余計に。それは出来ないと言われるのが怖かった。
こうして触れたいとも思っていたけれど、なかなかタイミングもなければ触れて良いものか分からなかった。そんな風に話す緑間の胸の音がすぐ近くに感じる。きっとオレの心臓の鼓動が早いのもバレているだろう。
でも、そんなのは好きだから当たり前だ。付き合っているとはいえその距離感が分からなかったのはお互い様だったらしい。相手が今まで通りだから、恋人だからと特別するようなこともないからと何も出来なかったのはどちらも同じだった。だから。
「真ちゃん、オレも同じ。真ちゃんに否定されるのが怖くて言い出せなかった。ごめん」
オレ達は二人とも初めて付き合っているのが今の恋人だ。恋愛経験なんて碌にないけれど、それでもオレ達なりに進んでいけば良い。手探り状態なところもあるけれど、そうやって少しずつ恋人らしいこともしていけるようになれば良いんだ。好きで付き合っているということは間違いないのだから。
「オレも真ちゃんが好きだよ。だから、これからはちょっとずつそういうこともしよ?」
堂々と街中を恋人としては歩けないけれど二人だけの時間とかに。
そう提案してみると「あぁ」と緑間は肯定を返してくれた。何も心配することなんてなかったんだなと思いながら、少し名残惜しいけれど緑間の腕から抜け出して数歩分先に移動すると小さく笑って。
「楽しみにしてるな、真ちゃんがちゅーしてくれるの!」
恥ずかしいから冗談めいて口にする。けれど本気でそう思っている。きっと緑間もそれが分かったんだろう。ほんのりと頬を朱に染めてそういうこと堂々と言うなと注意された。どうせ人なんか居ないんだから大丈夫だろとさっきの言葉をそのまま返して帰り道を歩く。
恋人としての距離感
それはまだはっきりとは分からないけれど、少しずつ触れていこう。
お互いに。そうして徐々にその距離を縮めていこう。