はい、とカップを手渡してやれば素直に受け取られた。突然やってきた時は驚いたけれど、いつもと様子の違う彼を見てとりあえずすぐ傍のソファに座らせたのが数分前。何があったのかなんて知らないけれど、その顔を見てなんとなく想像は出来る。


「どうした? 喧嘩でもしたのか?」


 誰ととは言わなかったが、この場合考えられるのは一人しかいない。それで違ったら大変失礼だが、違っていることはないのだから問題もない。
 話したくないのならそれでも構わないけれど、わざわざ自分を訪ねて来たということは話を聞いて欲しかったからだろう。それともただ一緒にいて欲しかったのか。考えていたって答えは出ないが、その答えなら本人の口から聞けば良い。


「…………今日、ちょっとした失敗で言い争いになって」

「そのまま別れてここに来たのか」


 途中から言葉を引き継いでやればこくりと彼、まだ幼さの残る自分は頷いた。一体どうしてそんなことになったのかはこれから聞くとして、これは重症かななんて頭の片隅で考える。

 オレ達はどちらも同じ人間、違うのは齢が十ほど離れているということだけだ。それがどうして同じ空間にいるのかといえば、きっかけは例の如くおは朝とラッキーアイテムが引き起こした事態である。
 その時はなんだかんだで最終的に高校生の自分達は元の時代に帰れたのだが、何がどうしてこうなったのか。なぜか向こうとこちらを行き来できるようになってしまったらしい。
 といっても、行き来できるのは高校生の彼等だけ。こっちに来てもオレ達以外には会っていないから特に影響もないはずだ。オレ達もコイツ等が来るのは歓迎しているからこうして来てくれるのは構わないけれど、まさか喧嘩の相談を持ちかけられることになるとは思わなかった。


「多分、緑間も熱くなって言っちゃっただけだぜ」


 本心ではない、と一通り話を聞き終えたところで一言。多分オレが言わなくたって分かっているだろう。ただ、本心でなくてその場の勢いだったとしても、言い争いの最中に零れ出たそれは彼を傷つけるには十分すぎるほどの威力を持っていた。


「分かってる。でも、もしかしたら…………」

「ない。アイツはお前が思ってるよりお前のことを大事にしてるから」


 オレには目の前にいる自分の気持ちが分かる。
 同時にこの場にはいない高校生の緑間の気持ちも分かる。

 自分のことならともかくどうして緑間のことまで分かるのかといえば、オレがその緑間と十年も一緒にいるからだ。十年もあれば良いところも悪いところも色んなことを知る。アイツのことなら他の誰より知っているんじゃないかとも思う。それはアイツからしても同じだろう。
 だからこそはっきり否定する。幼い自分の気持ちも分かるし、そういう考えが生まれるのも分かる。でもそれは全部違うから否定する、のも本当はオレの役目ではないんだけれど。自分が頼られたから代わりに否定しておく。本当はコイツと同い年で喧嘩をした相手が自分で否定するべきなんだけどな。


「分かってるなら信じてやれよ。もしなんてないって」


 それでも不安は生まれてしまうだろうけど、オレ達に出来るのは信じることぐらいだ。信じて裏切られたら、なんて考えだしたらキリがない。
 なーんて偉そうに言ってるけど、逆の立場だったらオレも目の前の自分と同じように考えるだろう。今は第三者の立場だからこんな風に言えるだけ。オレはそんなに強い人間じゃないから。でも、同じであって違う昔の自分を元気づけてやることなら出来る。それしか出来ないともいえるけれど、最後は当人達で解決するものだ。


「あんまりごちゃごちゃ考えても良いことなんでないぜ」

「……アンタは考えねーの?」

「オレの話は良いんだよ。言いたいことあるなら聞いてやるから全部吐き出しちまえよ」


 さりげなく自分から話を逸らしたことくらい気付いているだろう。相手もオレだからその意味も分かっているだろう。
 だが、そこは追及されなかった。今それをしたってしょうがないからだろう。別の機会に聞かれるかもしれないけれどそれはそれ、今はこっちの話が優先だ。


「普段言えないことも全部、自分になら言っても平気だろ?オレは他言もしないし、お前が思ってることは多分オレも思ってることだから」


 未来の自分に対して話したところで結局は独り言だ。こうして対面していると独り言とは思いづらいかもしれないが、独り言といえば独り言だろう。
 ここで全部吐き出して、心の中にある蟠りをなくしてしまえば良い。友達や家族にだって話せないだろうし、アイツにだって言えないだろう。だからってずっとそれを抱えているより言葉にしてしまった方が楽になる。オレならそれを聞いてやれる。

 自分より少しだけ小さな体を引き寄せる。こうすれば泣いたって分からないから、言いたいことも何もかも全部ここで出してしまえば良いんだ。
 オレに出来るのは、本当にそれだけしかないから。

 腕の中の自分は、少しずつぽつぽつと話を始めた。誰かに聞いて欲しいわけではなく、自分の中にある思いをただ言葉にした。
 その叫びを聞きながらオレはその背中を撫でる。大丈夫だと安心させるように。





□ □ □





 言いたいことを全部言い終えて漸く落ち着いた彼は、自分からその身を離してありがとうとお礼を述べた。オレは何もしてないから礼なんていらないと笑って、自分の世界に戻るその背中を見送った。
 後はあっちの緑間がどうにかしてくれるだろう。オレの役目はこれで終わりだ。


「おかえり」


 高校生の自分を見送ってくるりと振り返る。オレの言葉で姿を現したコイツは、この世界の緑間真太郎。オレと同じ、アイツ等よりも長く共に過ごしてきた友。


「オレの代わりにアイツの話を聞いてくれたら良かったのに」

「それはオレよりお前の役目だろう。オレでは逆効果だ」

「そんなことねーよ。オレにはお前が一番だから」


 とっくに帰って来ていたことには気付いていた。だからオレより緑間に聞いてもらった方が良いんじゃないかとも思ったけど、あんな自分を放っておけるわけもなく結局オレが話を聞いてしまった。だけど、オレにとっては緑間が一番だというのは本当だ。きっとアイツにとっても。そうでなければ、たった一人のことであんなに傷ついて悩んだりするわけがない。
 でも、緑間はそう考えたからオレ達だけにしてくれていたのだろう。気にせず入って来ても良かったんだけど、とは思うが緑間がそれをしないことなど分かりきっている。まぁ、その代わりに話は聞いていたんだろう。盗み聞きをしようとしたわけではないことも分かってるけど。


「和成」


 名前を呼ぶなり白く長い指先をこちらに伸ばして唇を重ねた。触れ合った場所からお互いの体温が混ざり合う。
 珍しいな、なんて思いながら熱が離れると翡翠を見つめた。すると、どうしたんだと問うより先に緑間が口を開いた。


「オレはお前さえいれば良い。お前以外には何もいらない」


 それが先程のオレ達の話を聞いていての言葉だというのはすぐに理解した。そんなことはとっくに知っている。知らないのは高校生のオレの方であって、オレはそれを知った上でこうして共に暮らしているんだ。わざわざオレに言う必要はないのに。言ってもらえるのは勿論嬉しいけど。


「知ってるよ。分かってるからオレは大丈夫」


 何を心配したんだか。そう言って微笑むと、緑間は複雑そうな表情を浮かべた。それからさっきオレが高校生の自分にやっていたように、オレよりも大きな腕がオレを包み込んだ。
 本当に今日はどうしたの、と尋ねても返答はなし。代わりに少しばかり腕の力が強められた。こんな日もあるんだななんてぼんやりと思っていると、すぐ近くから聞き慣れた低音が耳に届く。


「無理をするな」


 無理なんてしていない。それに喧嘩をしたのは高校生の自分達であってオレ達ではない。オレ達とアイツ等を混同しているわけはないだろうが、何かを重ねている気がする。何かといっても、この状況ではオレと昔のオレぐらいしか重ね合わせるものはないけれども。


「無理なんてしてねーよ?」

「それなら無理に笑うな。お前まで傷つくな。辛いのなら辛いと言え」


 お前の方が辛そうだ、とは言えなかった。相変わらず鋭いというか、コイツには敵わない。どうして何でもすぐに気付くんだろうか。別に今は隠してもいないけど、些細な変化にもちゃんと気が付くんだよな。
 かといって無理して笑っているつもりはなかった。オレは傷ついたりしてないし、辛いのかと聞かれたら否定する。

 ただ、やっぱり昔の自分の叫びは独り言にしかならなかったという話だ。
 オレもアイツと同じ、アイツもオレなんだから当たり前だけれど。今でこそ信じているから平気だけど、アイツの気持ちは全部オレにも分かるんだ。


「大丈夫だって、真ちゃん。オレもそう思ってた頃があったなって、ちょっと思い出しただけだから」

「だから言っているのだよ。オレはお前を愛していて、お前を手放す気はないのだと」

「……それはまた、随分と重い愛の告白だな」


 でも大丈夫だ。オレにはそう言ってくれるお前が隣にいるから。勿論アイツにも。まだ出会って一年、お互い手探り状態なんだろう。長く付き合っていけばそれも分かるようになる。だからアイツ等のことは心配していない。オレ達の未来も。

 未来なんて未知の世界だ。十年後、いや一年。一ヶ月。明日だってどうなるか分からない。数時間後の未来ですら誰にも分からない。
 けど、オレ達がこの世界にいる限りオレ達の関係は変わらないってことくらいは分かってる、っていうのもおかしいか。オレはオレ達の未来を信じてるから。


「これくらい言わないと分からないのだろう?」

「んなことねーけど、言われるのは嫌いじゃねーぜ? オレもお前を愛してるし」


 言いながら今度はこちらから口付けをする。ありがとうの言葉の代わりに。オレにはお前が必要で、きっとお前にもオレが必要なんだろう。不安にならないことがないとはいわないけれど、大丈夫だって信じられるくらいの関係だから続いているのかな。
 いや、違うか。オレ達はただお互いが好きで一緒にいるだけ。自分でこの男と一緒にいることを望んでこの道を選んだのであって、ごちゃごちゃした理由なんてない。世間体だとかそんなもの気にならないくらい、オレはコイツに――――。


「真ちゃん、お願いがあるんだけど」


 何だとと聞き返しながら緩められた腕から抜け出し、こちらを見つめる翡翠に笑みを浮かべる。オレの好きな色はずっと変わらない。この先も変わらない。
 今日は休みなんだし、と提案したそれを恋人は特に考えることなく肯定した。悩まない辺りがコイツらしいというか、愛されているっていうか。きっといつまでも変わらないんだろう。これがオレ達の関係だから。






(ただの杞憂でしかないと思えるくらい、コイツはオレのことが好きで。オレもコイツが好きで)
(だから大丈夫だって言える。信じれば良いんだって)

(こんなに一途に愛してくれているんだから、不安になることは何もないんだ)