ぱふっ。いや、もふっ、だろうか。


「どうした」


 聞き慣れた低音が心地良い。別にと答えれば「そうか」とだけ言って好きにさせてくれる。緑間にとってはいつものこと。オレからしてもよくやっていること。ふかふかの尻尾の中に飛び込むのは温かくて気持ちいい。
 もふもふ。最初はやめろと怒られていたけれどそれもいつしかなくなった。あまりにやりすぎると流石に怒られるけど。肌触りも良いんだよな、これ。


「真ちゃんって温かいよな」


 なんとなく零れた言葉に緑間は突然何を言い出すんだと視線だけをこちらに向ける。特に深い意味はない。生きているのだから温かいのは当然といえば当然。でも、この温かさが丁度良いっていうか。質感とかそういうのも含めてだけど。
 あれ、そうなると結局全部になってくるのか?まぁいいや。オレは緑間のことも好きだし、そういう答えだって間違いじゃない。


「オレ、お前がいれば他に何もいらないかも」


 これも特に意味のない独り言。ただなんとなく、頭に浮かんだことがそのまま声に乗っただけ。そう話している間にふかふかの尻尾が体を包み込んでくれる。その温かさにオレはうとうとし始める。
 こうやっているうちにオレが眠りに落ちるのなんてよくあることだ。そもそもオレがこうして緑間に甘える時は大抵それが目的であり、緑間も分かっているからさりげなく優しくしてくれる。


「ねぇ、真ちゃん」


 オレはお前さえいれば、他なんてどうでもいい。お前が傍にいてくれれば進める。お前と一緒ならどんなことがあっても乗り越えられるよ。

 だって、本当は分かってるんだ。オレも、お前も。

 分かっていて気付かないフリをしてるだけ。来るはずのない未来を信じてただ待っている。いくら待ったところでそんな未来が来ないことは分かりきっているのに、もしかしたらという僅かにあるかもしれない光を信じ続ける。馬鹿みたいだろ、こんなの。


「高尾、もう寝ろ」


 またくだらないことを考えているんだろう、って目がそう言ってる。疲れているんだろうって。
 そんなことないけど、オレ自身がそれを感じていないだけなのかもしれない。疲れているかは別にしても緑間の温かさを求めていたのは事実だ。そう、これもいつものこと。


「ぶっちゃけ、真ちゃんもオレと同じこと考えてるでしょ」

「…………寝ろと言っている」

「ちょっとくらい付き合えよ。寝るのはいつだって出来るんだし」


 それなら話をすることもいつでも出来るんじゃないかと思うかもしれないが、これがそうでもない。話にはタイミングというものがあって、なんて言い出したらキリがないけれど。そもそもタイミングなんてあまり気にしていないような気もする。ああでもそれなりには考えていると思う。
 思考が纏まらないのは睡魔が襲ってきているから。それこそ緑間の言うように寝てしまう方が良いのかもしれない。これだけ思考が纏まらないとなれば碌に頭が働いていないのはまず間違いないのだから。それでもオレは徐々に重くなってくる口を開く。


「オレさ、疲れちゃった」


 何が、とは言わない。言わなくても緑間には伝わっているから。言葉にしていないのだから正しく伝わっているかなど分からないけれど、これまでの付き合いからして伝わっているはずだ。根拠という根拠はないもののオレ達にはそれだけの絆がある。
 絆。オレの中にあるそれは、もうお前としか繋がりを持たない。お前の中のそれは、今もまだオレ以外の奴と繋がっているんだろうか。目に見えないそれをオレが知る術はないけれど。


「もし、オレがどこか遠くに行こうって言ったら……」


 お前は一緒に来てくれるだろうか。
 それとも、一人で行けと言うだろうか。

 どうするべきなのか。何が正しくて、何がいけないのか。そういう感覚が麻痺しているんだと思う。寝ろって言われる理由もそこだ。こういう時は色々考える前に寝るべきだってオレも知ってる。それなのにどうしてこんな話を続けているんだろう、と頭のどこかで思いはしたもののそれだけだ。
 どこか遠く。ここよりも遥か遠くまで、知らない世界に足を踏み入れてみようよ。自分達の知らない世界はちょっと怖いけど、お前がいればオレは進める。お前以外には何もいらない。


「悪ィ、今の忘れて。ごめん。おやすみ」


 回らない頭で考え事をするものではないな。自分の性格くらい分かっているつもりだったけど、案外そうでもないのかもしれない。
 結局オレはそれを緑間に聞いたとしてどうしたいのか。その答えははっきりしているようで実はそうでもなかったりする。それがはっきりしていたら、オレ達は今こんなところにはいない。要するに考えるだけ無駄というヤツだ。
 それなのに考えてしまうくらいに頭は使い物にならなくなっているようだ。ここは大人しく寝よう。寝て起きれば、またいつも通りに戻るから。何もかも。今まで通り、変わらぬ毎日を過ごしていくんだ。










「……やっと寝たか」


 すーすーと整った寝息を立てる男の髪に触れる。さらさらの黒髪に指を通しながら、少し前までの話を思い返す。
 ――もし、オレがどこか遠くに行こうって言ったら。
 お前も来てくれるか、と聞こうとしていたのだろう。最後まで言葉に出来なかったのは怖かったんだと思う。もし断られたら、と思ってその先が声にならなかった。そこまで本人が理解しているかは分からないが。


「オレはお前と一緒ならどこにでも行ってやる」


 だからくだらない心配はするな、と夢の世界に旅立っている友にこっそり伝える。
 どうして起きている時に伝えなかったのかといえば、この男がそれを望んでいなかったからだ。言ってやれば不安を取り除いてやれたのだろうが、その先に進む勇気を高尾はまだ持っていない。
 仮にオレがこう答えていたとしても、奴は冗談だからと笑って終わらせただろう。それでは意味がない。だからオレはまだこの言葉を高尾に伝えていないのだ。今はまだその時期ではないから。


「お前さえいれば、オレは」


 他に何もいらない。お前を苦しめるものなんて全てなくしてやりたい。それが出来ないから、オレ達はここに縛られているのだろう。どうにかしてやりたいのに出来ないもどかしさ。オレはただコイツの隣にいてやることしか出来ない。

 コイツは、まだあるかも分からない僅かな可能性を信じているから。

 そこに光がないと理解するまで、オレ達はずっとこの地にいるのだろう。割り切っているようで割り切れていないのはお前なのだと、気が付くのはいつだろうか。たとえそれが十年後、二十年後だろうとオレはその時を待つ。


「高尾…………」


 お前が早くこの苦しみのループから抜け出せるように。
 ただそれだけを願ってそっと額に唇を寄せた。何も知らなくていい。お前が隣で笑っていてさえくれれば、オレはここにいられる。オレはとっくにお前だけが――――。







(お前がいれば、お前さえいてくれれば)
(他に何もいらない。だからオレを一人にしないで)

これは、とある世界の隅に生きる者達の物語