(あの店長、シフトくらいちゃんと組めよマジで)


 最近一人辞めてしまったせいでその分代わりが必要なのは分かるけど、と内心で文句を言いながら星空の下を歩く。
 今日も少しで良いから残ってくれないかと言われ、少しならと承諾したものの気が付けばもうすぐで日付が変わるような時間だ。どこが少しだとがっつり数時間多く働いた帰り道で思う。その分バイト代が増えるのは良いが、それにしたってもう少し何とかならないのだろうか。だが、これも新しいバイトが入るまでの辛抱だ。


(帰ったら課題やって……その前に飯か)


 まだ食材は残ってたよなと冷蔵庫の中を思い出す。けれどそろそろ買いに行かなければならないだろう。本当は今日の帰りにでも買うつもりだったのだが、寄り道をするのも面倒になってしまったからまたにする。もう何もないというところまではきていないからまだ大丈夫だ。
 適当に食事をとって軽くシャワーを浴びたら課題だなとこの後の予定を一通り考える。課題は明日でも良いかなとは思えど、出来る時に出来るだけ進めておいた方が良いだろう。今日のようなことがないとは言い切れないし、早く完成するに越したことはない。

 漸く辿り着いたそこは高尾が今暮らしているアパートだ。建物自体は少し古いけれど、大学からもそう遠くない距離にあり何より家賃が安い。一人暮らしをするには十分な広さであり、大学生になった時からこの場所で暮らしている。
 かんかんと階段を上り、自分の部屋のある階までやってくる。やっと家かなんて思いながら廊下を歩いていると、そこに人影があることに気が付いて足が止まる。家族がこの時間にやってくるわけがないし、かといって友達の中でここを知っている人はそう多くない。知っていたとしてもこの非常識の時間に訪ねて来る奴なんて居ないだろうし、それでもやってきたとすれば余程のことがあったのか。


「遅かったな」


 明かりがないせいで姿を確認するのが遅れたが、その声ですぐに分かった。分かったものの、まさかこんな時間に来るなんて考えられないような人物で驚きが隠せない。


「真ちゃん……?」

「またバイトか。お前はすぐに無理をするのだからほどほどにしておくのだよ」

「え、ああうん。いや、それより何で真ちゃんがウチに居んの!?」


 それも部屋の前で待ってるし、というのは高尾の部屋なのだから当たり前だ。鍵を持っているのは高尾で、その高尾は今までバイトに行っていた。誰も家に居なければここで待つ以外にない。
 それなら出直すとか色々あるのではないかと思うが、それともすぐにでも会う必要のある急用だったのか。緑間に限って意味もなくこの時間に訪ねるなんてことはないだろうと結論付けて思考を巡らせるが、それも「高尾」と名前を呼ばれたことで中断させられる。


「急に訪ねて済まなかった」

「それは別に良いんだけど、何かあったの?」


 考えるのをやめて本人に直接尋ねたのはその方が早いからだ。見上げてきた色素の薄い瞳に少しだけ視線を逸らしながら、大した用事ではないんだがと話す様子は緑間にしては歯切れが悪い。
 大した用事じゃなくてもこんな時間に訪ねるような用事があったのだろう。それが何なのかを聞こうとして、それより先に翡翠の目が高尾を真っ直ぐに見つめた。


「誕生日おめでとう」


 今日、十一月二十一日は高尾の誕生日だ。だからこそ緑間は高尾を訪ねた。
 年に一度しかない特別な日だが、それでもこの非常識な時間に彼の家を訪ねるかは少々迷った。それでも結局、特別な日だからとこうして足を運んだのだ。
 出来るならもっと早い時間に高尾に会いたかったのだが、緑間にも学校がある。高尾にも当然大学があり、その後から今まではずっとバイトに励んでいた。だから結果として二人が会えたのが一日も終わりに近いこの時間になってしまったというだけの話である。


「それだけ伝えたかったのだよ。遅くに悪かったな」


 そう言って立ち去ろうとする緑間の腕を慌てて掴み、なんとかこの場に留める。たとえ用がそれだけだったとしてもこのまま帰らせるのもと思っての咄嗟の行動だったが、思った以上に冷えていたその体に思わず声を上げる。


「お前! 一体いつからここに居たんだよ!?」

「大学が終わってそのまま来ただけだが」


 それはつまり、大学でやることがあって残っていたとしても一時間以上はこの場所に居たということだろう。もう秋も過ぎて冬になろうとしている。暦上では冬になっているぐらいだ。そんな季節に外で一時間以上も待っていたら体が冷え切って当然だ。
 とりあえず家に入れと言っても緑間は電車がなくなると断る。確かにそうかもしれないが、こんな状態で帰らせられるわけがない。もう今日はウチに泊まっていけと半ば強引に部屋に上がらせる。これで風邪でも引いたらどうするつもりなのか。風邪など引くわけがないと言っても、引く時は引くのだ。


「真ちゃんってほんっとに馬鹿だよね」


 馬鹿と言われてむっとした表情を見せるが、これを馬鹿と呼ばずに何といえというのか。頭は良いはずなのにどうして数時間も玄関先で待つことを選んでしまったのか。

 理由は簡単だ。緑間には高尾がいつ帰ってくるのか分からないから。それに、もう半日以上が過ぎているとしても出来るだけ早くにその言葉を伝えたかったから。
 と、それを高尾に言ってもしょうがないことは分かっている。代わりに「お前が遅いからだろう」と適当な言葉を返せば、今バイト先が人手不足なのだと簡潔に説明された。それから風邪を引かれても困るし部屋の前で待つのだけは止めろよと念を押されながら、キッチンから持ってきたらしいおしるこを手渡される。高尾の部屋におしるこが常備されている理由は言わずもがなだろう。


「誕生日だってさ、会わなくてもメールとか電話とかあるじゃん?」

「日付が変わってから見たのでは遅いだろう」

「そういうのは気持ちが大事なんだから日付は二の次っしょ」


 そうはいっても誕生日は年に一度、その日限りのことだ。こちらが当日でも本人が当日に見れないのでは意味がないと緑間は思う。そもそも、メールでも電話でもなくこうして会いに来たのは。


「だが、一年に一度しかない特別な日だ。直接祝ってやりたかった、と言っても駄目か」


 確かに今はそういった便利なツールが沢山存在している。けれど、今日と云う特別な日を直接祝いたかった。たとえ日付が変わるような時間になったとしても、もし高尾が帰ってくるのが日付を超えてしまった後だったとしても。直接会ってその言葉を伝えたかった。
 特別な人の特別な日。
 それを直接祝わずにメールだけで済ませるなんて出来ない。電話でも物足りない。会って、その目を見て伝えたかったから来たのだ。それだけの理由では駄目なのだろうか。


「……っとに、お前は」


 駄目な訳あるか。思ってもそれは声にならなかったのだが、ちらりと見た翠は優しげに笑った。そして、逸らした顔をそっと自分の方に向けさせて唇を寄せる。
 一体どこでそんなことを覚えたのか。だが、緑間がこういうことをする相手は世界に一人だけ。


「もう過ぎてしまったが、生まれてきてくれてありがとう。お前の両親にも感謝しなければならないな」

「そうだな。そのお蔭で真ちゃんに出会えたんだもんな」


 ありがとう、と日付は変わってしまったけれど心の中で伝える。会いに行くには少しばかり距離があるのと、それを直接言うのは恥ずかしさがある。でも、いつかちゃんと伝えたい。両親の誕生日であったり父の日や母の日といったイベントだったり、そういう時にこの気持ちは伝えることにしよう。
 そして今は目の前の友人兼恋人に伝える。馬鹿だよなとも思うけれど、そう思って訪ねて来てくれたことは純粋に嬉しいから。なんだかんだで言いそびれていることに気付いたから今ここで言う。


「ありがとう、真ちゃん」


 誕生日を祝ってくれて、会いに来てくれて。
 朱に染まった頬はまだその赤さを残している。けれどそんなことは今更気にせず、真っ直ぐに翡翠を見上げふんわりと笑った。その表情を見ながら緑間は愛おしいなとこっそり思うのだ。口にしないのは高尾がまた恥ずかしがってしまうから。
 それから、やはり会いに来て良かったと思う。伝える手段は色々あれど会いに来なければこの顔も見れないし、このテノールを聞くことも出来なかった。こうして気軽に触れることも叶わないし、伝えられるものの大きさが違う。メールや電話を否定する訳ではないけれど、会えるのなら会いたいと思ってしまうのはそれだけ彼を愛しているからだろう。


「…………和成」


 聞き慣れた低音が珍しく下の名前で呼ぶ。こうして付き合うようになってから、本当に時々だけ呼んでくれる呼び名。熱の籠った瞳を向けたまま、その声に思ったままの言葉を乗せる。


「愛している」


 何度目かになるその言葉は何度聞いても慣れない。言われる度に顔は熱を持つし、同じ気持ちが胸に溢れるのも変わらない。それはそうだろう。緑間が想っているのと同じくらい、それ以上に高尾だって彼を想っているのだから。


「オレも愛してるよ、真ちゃん」


 どちらともなく交わした口付けは先程よりも深く熱く。赤に染まった頬を見て幸せそうな笑みを浮かべた。