起きたばかりというのは頭が働かないものだ。
 目が覚めてぼんやりとしたまま、とりあえず時間を確認しようと近くにある時計へと手を伸ばす。すぐに届いたそれを目の前まで持ってくるまで所要時間数十秒。


(七時過ぎか……そろそろ起きるかな…………)


 今日は休日。何時に起きても誰も文句は言わないだろう。一人暮らしではないけれど同居人はそういったことで怒ったりはしない。数年前はこれより早い時間に起きて朝練をしたんだよなと思い出しながら、今ではもう無理だなと思う。あれは若かったから出来たことだ。今でも世間では十分若い方に分類されるがそこは気にしないでおく。
 誰にも怒られないとはいえ、朝食の支度をすることを考えれば起きても良い時間だ。一汁三菜をきちんと守っている訳でもないしその辺は適当だが、朝食として準備をするからにはそれなりの物を作る。かといって、別に料理が得意という訳ではない。それでもこの生活を始めてから何度も料理をしているうちに少なからず腕は上がっただろう。


(朝食は何にするかな。とりあえずご飯は炊いてあるけど)


 そんなことを考えながら体を起こす。しかし、それは隣から手を伸ばされて強引に布団に戻された。


「うおっ、いきなり何すんだよ真ちゃん!」

「…………五月蝿い」


 明らかにまだ眠そうな元相棒に高尾は溜め息を漏らす。寝ぼけて人をベッドに引きずり込んだんじゃないだろうなとは考えたものの、一応それはなさそうだ。「なぁ」と呼びかければ「何だ」ときちんと返ってきたから起きてはいるらしい。返答までに数秒を要したのは頭が動いていないだけだろう。高尾もついさっきまではそうだったのだが、起きようとしたところで突然ベッドに戻されて意識もはっきりさせられた。


「オレそろそろ起きたいんだけど」

「寝ろ」

「もう朝だし、朝食も作らなくちゃいけないからさ」

「食べるのはオレが起きてからだろう。今すぐ作る必要はない」


 それはつまりまだ起きる気がないということだろうか。いや、それはこの様子からして予想はしていた。けれど、緑間が起きてから作ったのでは待たせてしまうだろう。子供じゃないのだからそれくらい待つだろうが、目が覚めてしまったからどうせならこのまま朝食を作ろうと思うのだ。昨日は緑間も遅くなかったし、今から作れば出来上がることには起きてくるということはこれまでの生活で分かっている。
 しかし、緑間には高尾を放す気がないらしい。布団の中に戻したままその腕は高尾へと回されている。これでは起きたくても起きられない。


「真ちゃんは寝てて良いから放してくれない?」

「お前が出て行ったら寒い」


 オレは湯たんぽじゃないんだけど、と思いつつも気持ちは分からなくもない。暦の上ではもう冬であり気温も低くなってきている今日この頃。くっついていると温かいと感じる季節であり、その温かさを手放したくない季節なのだ。あと数週間もすればベッドから出たくなくなるだろう。今でさえ少し辛いものがある。それでも寝てばかりいられないから起きたいのだが。


「すぐに温かくなるでしょ」

「そういう問題じゃない」

「じゃあどういう問題なんだよ」


 寒いからという話ではなかったのか。聞いたところで返事がないのだからどうしようもない。いつもはこんなことないんだけどなとは思ったが、それは緑間が起きていないからの話だろうか。起きていたとしても、ここまでされたことはあまり記憶にない。そういう気分ならしょうがないのかと考えて、それも何か違う気がした。
 真ちゃんと呼びかけても良いから寝ろと言われるだけ。だから起きたいんだけどと思いつつ、緑間は高尾を寝かせたいらしいということだけははっきりしている。その理由は全く分からないけれど。


「オレがいなくなったら寂しいの?」

「そうだと言ったらお前はここに居るのか」


 予想外の返答に「へ?」と間抜けな声が出る。お前が言い出したことだろう、と言われればその通りなのだが否定されることを前提に言っていたから肯定されて驚いた。やはり今日はそういう気分なのだろうか。そういう……甘えたい気分なのか。


「真ちゃん、今日は甘えたい日?」

「違う」

「それならこの腕を放してよ」

「断る」


 さっきから同じことを繰り返している気がするのは決して気のせいではないのだろう。数分とこのやり取りをしているが何も進展がない。
 このループを止めるには高尾が諦めるしかないのだろうか。そうすれば少なくともループは終わる。ここまで言われたらたまには二度寝をしても良いかとは思い始めてきたけれど、一体今日はどうしたのか。


「甘えたいんじゃなかったら、何かあったとか?」

「違うと言っている。逆だ」

「逆?」


 何が逆なのか。その言葉がどこに掛かっているかがまず分からない。普通に考えれば直前の言葉、甘えたいという言葉に掛かっているのだろうか。それとも何かあったという方に掛かっているのか。その場合だと何もないにしかならないから違いそうだが、甘えたいの逆というのも。
 高尾がそう考えているところで、緑間がそういうことだとはっきり言葉にして伝えた。つまり、甘えたいの逆――甘えられたいのだと。


「オレいつも真ちゃんに甘えてるけど」

「そうじゃない。オレが忙しいとお前は何でもやってくれるが、たまには休めと言っているのだよ」

「別に無理してやってる訳じゃないし、そんな気にすることじゃねーよ?」

「いいから今日は休め。そして好きなだけ甘えろ」


 なんだよそれ、と笑えばそういうことだからお前は寝ろと本日何度目かになる言葉を言われた。休むことがイコールで寝るになっていることは突っ込むべきなのだろうか。
 起きるのに早い時間でもないけれど、まぁ休みの日なら二度寝しようかと考える時間だから良いかというところに収まる。よく分からないが緑間がそう言うのなら、今日は素直に甘えさせてもらおうか。


「なんつーか、今日はいつも以上に優しいね」

「普段はお前に何でも任せてしまっているからな。お蔭で助かっているが」


 本当に今日は何なんだろうか。強引に寝かそうとしたり休めと言ったり、甘えろとも言われて。更には珍しく素直に話をしてくれる。別にいつもが素直じゃないといっているのではなく、あまり言葉にしないことを言葉にしてくれているという意味だ。珍しいで片付けてしまえばそれまでだけれど。
 あ、と声が漏れる。ずっと疑問だったけれど、もしかしたらそういう意味なのかとこれまでの緑間の発言の答えが頭に浮かんだ。眠くて頭が働いていないということもここまで普通に会話をしていればない。というより、おそらくこの男は初めからこうするつもりだったのだろう。


「今日がオレの誕生日だから?」


 多分そうだとは思うけれど確信はない。疑問形で尋ねれば、はぁと分かりやすく溜め息を吐かれた。そして、今気が付いたのかと呆れた声で言われた。
 忘れていた訳でもないけれど、そういう意味だとは思わなかったのだ。寝起きで頭が回っていなかったというのもあるだろうが、そう考えてみれば緑間の発言にも納得がいく。


「いつも通りで良いんだけどな」

「お前が生まれた特別な日だろう。それくらいさせろ」

「んー……じゃあそうするけど、オレまだ大事な言葉言われてないぜ?」


 大事というかお決まりというか。誕生日を祝おうとしてくれるのは分かったけれど、そのお祝いの言葉をまだ言われていない。
 そんな風に言えば、緑間は高尾を自分の方に向けさせるとそっと唇を落とした。離れた翡翠は優しげな笑みを浮かべて告げる。


「誕生日おめでとう、和成」


 言い終わるなりふわりと包み込むように抱き締められる。ゆっくりと閉じられる翠を見ながら、小さく微笑んで「ありがと」と呟いて高尾もまた瞼を下ろす。

 ぎゅっと腕を回せばお互いの体温で温かくなる。
 二人の朝はまだもう少し先のようだ。







まだ