毎年祝う大切な日
授業が終わってバイトに向かう。夜遅くまで働いて深夜を回ってから帰るなんてことも珍しいことではなかった。朝は朝で学校に行く。そうして過ごす毎日。家計がこのバイトでの収入だけなのだから、出来る限りの時間をバイトに充てなければ生活していくことが難しかった。
だが、これでも高校生だった頃の忙しさに比べればマシだろうか。辞めようかと考えた部活は結局三年間続け、その中で空いた時間にはバイトをした。部活をやっていたらバイトをする時間なんてそうなかったが、その辺は貯金でどうにかした。それくらいの貯蓄はあった。今も貯蓄は残っているけれど、弟の将来のことを考えれば溜めておくに越したことはない。出来る限りは稼ごうと、無理はしない程度に働くようになってから数ヶ月が経った。
(今日も遅くなってしまったな……)
バイトをしていたのだから当然といえば当然だ。いくら家計の為とはいえ、あまりバイトばかりではいけないことは分かっているのだが時間があるとついバイトに時間を使ってしまう。まだ幼い(といってももう小学六年生だが)弟には寂しい思いをさせているという自覚はある。毎日誰も居ない家に帰って、たった一人で大きな家に居る。
それが辛いことだと分かっていながら、家に居てやれない。すまないと謝れば大丈夫だから気にしないでと言うものの、それも本心だろうが寂しいことも事実だろう。寂しい、と言わせてやれないことが辛い。自分に心配をさせまいと無理に笑わせてしまっている。
(少しバイトを減らすか。だが、そうすると生活が苦しくなる)
結局いつもこの繰り返しだ。そして最後に出す結論もいつも同じ。色々なことをひっくるめて考えて、弟の意見も聞いてそこに辿り着くのだ。
生活の為でも家族を蔑ろにするのはと悩み、それを聞いてくれる友人は無理しない程度に自分の思うままにやれば良いと言われた。寂しい思いをさせていると思うのなら、一緒に居る時に存分に甘やかしてやれと。家のことくらい分かっているのだろうから下手に気にしたりしない方が良いとも言っていた。
その友人には高校時代から随分と世話になっている。おそらく、この先も力になってくれるのだろうがそれで良いものか。友人はきっと自分のやりたいことをやっているだけだと言うのだろうけれど。
(こんなことばかり考えていると、また心配されてしまうな)
弟に。それから友人にも。
心配なんて掛けるつもりはないのだが、どうもこちらが何かを考えているとすぐに気付いてしまうのだ。逆もまた然りではあるが、家に帰ってから気付かれたりしないようにしようと心に決める。とはいえ、こんな時間に起きてはいないのだから心配することもない。朝に会う時に気を付ければ良いだろう。
そんなことを思いながらドアに鍵を差し込むと、ガチャリを家の中へ入った。だが、そこでいつもと違うことに気付く。いつもなら真っ暗な筈の室内に明かりが灯っている。この家に居るのは緑間とその弟である高尾だけ。緑間が帰ってきた時点で電気が点いているということは、考えられることは一つしかない。
「和成……?」
声を抑えながら名前を呼ぶ。もしかしたら消し忘れただけかもしれないが、ここに居たとしても寝てしまっている可能性もある。起きている可能性もあるけれど、時間的にそれはないと思いたい。
そっと部屋の中を覗くと、リビングのテーブルで眠ってしまう弟の姿を見つけた。どうやらここで寝てしまった、というのが正解だったようだ。いくら夏とはいえ、こんなところで何も掛けずに寝たら風邪を引いてしまう。
とりあえず部屋まで移動させようと抱き上げたところで、小さな声が聞こえる。
「しん、ちゃん……?」
「あぁ、ただいま。こんなところで寝ていたら風邪を引くぞ」
言えば「うん」と眠そうな声が返ってきた。衝動で起きてしまったらしいが、まだ半分は夢の中なのだろう。もう遅い時間だ。無理に起こしたりせずこのまま眠らせてやろう。
そう思っていたのだけれども。
「真ちゃん、ねぇ、今何時?」
唐突に尋ねられてどうしたのかと疑問に思いながらも、緑間は腕時計で時刻を確認してから「二時半だが」とだけ答えた。それを聞いた途端、高尾は「真ちゃん下ろして」と言い出した。駄目だと言う理由もなく、素直に下ろしてやればパタパタと家の中を走って行ってしまった。
一体どうしたというのか。リビングの方へ戻って行ったということは何か忘れ物でもしたのかもしれない。すぐに戻って来るだろうと待っていれば、黒髪を揺らしながら高尾は一分も掛からずに戻ってきた。
「リビングに何か置いてあったのか?」
「ううん、そうじゃないんだけど。真ちゃん、これ」
そう言って渡されたのは小さな袋。何だろうかと思いつつ受け取ると、高尾はニコッと笑って。
「誕生日おめでとう、真ちゃん」
高尾の言葉で今日の日付を思い出す。否、正確には昨日の日付だ。そして、高尾がこんな時間まで起きていた理由も分かってしまった。今渡された袋も。
そういえば、高校生だった頃も高尾はリビングでオレの帰りを待っていた。部活があったから早くは帰れなかったが、それほど遅い時間になる訳でもない。緑間が家に帰ってきた音を聞くとすぐ玄関に掛けてきてプレゼントを渡していた。
おそらく、今日もこれまでと同じように待っていたのだろう。違ったのは緑間が部活ではなくバイトで帰りが遅くなっていたことだ。緑間が帰ってこないから待っていて、深夜を回って眠くなってしまったといったところだろうか。早く帰ってやれなかったことを申し訳なく思いながら、それでも先に緑間は小さな頭に手を乗せた。
「ありがとう、和成」
「ごめんね。誕生日すぎちゃって」
「オレの方こそ済まない。お前はずっと待っていてくれたのだろう?」
尋ねるとコクリと頷いた。自分の誕生日などすっかり忘れていたが、この弟はちゃんと覚えていてくれたらしい。考えてみれば、毎年高尾に自分の誕生日を気付かされているかもしれない。高尾が居なければ毎年思い出すこともなく何もせずに過ごしていただろう。逆にいえば、高尾が一緒に居る限り毎年こうして思い出すことになるのだろう。
「遅くまで待っていてくれてありがとう。だが今日はもう遅いから寝よう」
「でも、真ちゃん明日も朝早いでしょ……?」
確かに緑間は明日も朝から学校へ行く。だが、それは高尾も同じだ。いつもと変わらない朝。それが嫌だと言う訳ではないのは分かっている。
それなら高尾が何を言いたいのか。緑間はそれも分かっている。つい数十分ほど前まではそのことを考えていたから。
高尾はまだ小学生だ。大丈夫だと言っても寂しくなることくらいある。一緒に居たいと思うことが。それが今なのだ。素直に話してくれたのはそれだけ寂しかったのか、それともまだ少し夢の中なのか。そんなことはどちらでも構わないけれど。
「和成、今日は一緒に寝るか?」
「いいの? だけど真ちゃん帰ってきたばっかりじゃ……」
「オレがお前と一緒に居たいだけなのだよ」
だから気にすることはない。そう伝えれば、高尾はふにゃりと笑ってうんと頷いた。
いつも寂しい思いをさせてしまっているのだ。こういう時くらい一緒に居てやりたい。それに、こんな風に一緒に居られるのもあと数年。今でこそ一緒に居るけれど、弟も大きくなれば独り立ちをするだろう。それまでの間、出来るだけ共に過ごしたい。
現実的にそれがなかなか出来ていないけれど、こうして暮らしていくことを選んだのは生活の為だけではない。確かにそれもあるけれど、緑間にとって高尾は大切な弟のような存在だったから。そして高尾にとっての緑間も同じ。一緒に居たいから一緒に居るのだ。
そう思ったのはあの時から。
時が流れ高校生だった兄は教師になり、小学生だった弟は無事に中学、高校へと進学していった。同じ学校の教師と生徒として、監督と主将として、色々な形で繋がりながらまた一年と歳を重ね。
自分の好きなようにやれと言われていた高尾は自分のやりたいこと。それをやる為に大学へ進むことを決めた。お互いの生活リズムが変わったことでまた擦れ違うことが多くなったけれど。
「あ、お帰り。真ちゃん」
仕事が終わって帰宅をすると、弟がキッチンで夕飯の支度をしている。この家ではよくある光景だが、大学生になってバイトを始めた高尾が料理をしている姿は久し振りに見る。ここのところ、何やら人手が足りないらしく帰りが遅い日が続いていたのだ。お互い細かい予定は話していないことも多いが、この時間にここに居るということは今日のバイトは休みなのだろう。
「ただいま。今日は休みだったんだな」
「バイト? まぁそんなとこ。休み貰ったんだけどね」
どうやら偶然休みだったのではなく、わざわざ空けておいたらしい。何か用事でもあったのかと尋ねれば、まぁねとだけ返ってくる。それより先に風呂に入るか、それともご飯を食べるかとよくある台詞を投げ掛けられた。特にどちらが良いという希望もなく、そろそろ夕飯は出来るけどという高尾の言葉で夕飯にすることに決める。
その言葉通り、十分ほど経った頃にはテーブルに料理が並べられる。やけに豪華な食卓に疑問を抱く。弟は料理を運んでいたから聞くに聞けず、その質問が出来たのは全部の料理がならべ終わってからだ。やはりいつも以上に豪華な食卓である。
「和成、今日は何かあるのか?」
言えば高尾はきょとんとする。だがすぐに吹き出して「あ、そっか。真ちゃんだもんな」なんてお腹を抱えている。全くなんだというのか。
緑間がついていけずに眉間に皺を寄せているのに気付くとごめんと謝られたが、それはとりあえずいいことにしよう。それより結局今日は何があるのかだ。
「真ちゃん、今日は七月七日だよ?」
まだ笑いが止まらないらしい高尾がそれだけ答えた。そしてようやく納得がいく。
七月七日、世間でいう七夕だ。そして緑間の誕生日でもある。
それに気が付いて他のことも合点がいった。わざわざ弟が休みを取ったのは、もしかしなくてもそういうことだったんだろう。そういえば昔、高尾は遅くまでオレの帰りを待っていたことがある。その時も誕生日を祝う為だった。それから先も毎年、高尾はオレの帰りを待って誕生日を祝ってくれた。そういう優しい子に育っていた。
「どうせまた忘れてたんだろ? でもオレは真ちゃんの誕生日忘れないぜ」
「その、すまなかったな」
「いーよ、真ちゃんも忙しいだろうし。オレがお祝いしたくてやってることだからさ」
それより夕飯食べようぜと言われて漸くいただきますと料理に手を付けた。よくこれだけの料理を一人で準備したものだ。そしてどの料理もとても美味しい。いつの間にかレパートリーを増やしてどんどん上達している。初めて作ってみたんだけどと言われて出される料理もしっかりと味付けされていて美味しいものばかりだ。そんな弟の手料理をずっと食べていられるというのは幸せなことだろう。
「こうやってさ、この先もオレは毎年真ちゃんの誕生日祝うから。真ちゃんが忘れてても思い出させてあげるね」
そんなことを言い出す弟が愛しくてたまらない。触れたくなるのを食事中だからと我慢して「あぁ」と頷くと、高尾はにこっと笑って誕生日のお決まりであるお祝いの言葉を口にした。
「真ちゃん、誕生日おめでとう。いつも色々ありがと。これからもよろしくな」
全部言い終えてから渡されたプレゼント。ここまで毎年のやり取りである。高尾の誕生日にはオレ達の立場が逆になる。お互い、相手の誕生日はしっかり覚えているのだ。自分の誕生日は緑間の場合ほとんど覚えていない。高尾の場合は半々ぐらいだろうか。
覚えていることの方が多いが時々忘れていることもある。だが、そこは緑間も高尾と同意見だ。たとえ弟が忘れていたとしても毎年誕生日を祝って思い出させてやると。だからこの先もずっと、こうして誕生日を思い出しながら暮らしていくのだろう。
「ありがとう、和成」
誕生日を覚えてくれて、祝ってくれて、いつも家のことを任せてしまって、家のことを気にかけてくれて。言いたいことは山ほどあるが全部この一言に纏める。そしてこれからもよろしくとこちらも返すのだ。
目を細めながら笑う弟に結局オレは席を立って手を伸ばしてしまった。そのままそっとキスをすると、ほんのりと頬を染めた弟に食事中だと怒られてしまったが嫌ではなさそうだ。
「お前の誕生日はオレが祝うのだよ」
「うん、楽しみにしてる」
そう話しながら途中になっていた食事を再開する。この間はあんなことがあってさ、と久し振りにゆっくりと兄弟で食卓を囲む。やっぱり弟と過ごす時間は大切だなと思った。弟の姿を見ているだけでも元気がもらえる。高尾にはとても感謝している。本人は気付いていないだろうが、そこは彼の誕生日にお祝いとして返そう。
Happy Birthday 2013.07.07